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リッカルド・ムーティとバイエルン放送交響楽団

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バイエルン放送交響楽団にとっても、私にとっても今年最後の演奏会に、
いよいよ大取としてリッカルド・ムーティが登場しました。

もうムーティに付いては今更何も説明の必要がないかもしれませんが、
この才能に溢れたナポリ出身の指揮者は今一番油が乗っている人で、
才能に任せたスタイルだけではなくすごいインテリだし、
何と云っても作品に対する真摯な取り組みが素晴らしい指揮者だと思います。

それに私の一番好きなウィーン・フィルとも一番相性が良くて、
このオーケストラの良さを存分に引き出しているのではないでしょうか。

プログラムはメンデルスゾーンの4番のシンフォニー、いわゆる「イタリア」と
後半はシューベルトの普段あまり演奏されないMesseの5番と云う内容でした。

先ずはメンデルスゾーンですが、もう登場する姿から風格が漂っています。
冒頭の木管がポンと何とも軽妙に出だした音は、すぐさま弦へと受け継がれ
その爽やかな暖かさは五月のポポロ公園あたりに吹く心地良い風を連想させました。
あの頭の方だけ枝を付けた独特の形をした松が気持ち良く揺れているようです。
二楽章もしみじみ歌いますが決して重くも暗くもならず程よい明るさ。
三楽章の出だしも揺れながら弾きだされる弦は何か萌えいずるよう期待感に溢れ、
オーケストラも良く健闘していました。
終楽章は颯爽としたテンポながら密度の高い丁寧な演奏で一気にフィナーレに達ました。
唯、ちょっと残念だったのは結構大事な所でホルンが二回も外した事でしょうか。
音程を取るのが難しい楽器だし、韓国と日本ツアーの疲れもあったでしょうが、
このクラスのオーケストラだったらビシッと決めてもらいたい物です。

実はこの曲は以前ウィーン・フィルとの演奏で聴いたことがあったのですが、
この曲にしてはあまりにも立派な演奏で、ちょっと重いかなぁと贅沢な事を感じました。
今回のBRとの演奏では丁度程よい軽さで、この曲にはむしろ合っていたかも知れません。
とは云え曲としてはドイツの交響曲の系譜に入る訳ですから、単に明るいだけでは物足りません。

後半のシューベルトは初めて聴く曲でしたが、
流石に歌手や合唱が加わるとこの人の独壇場みたいな物で、
それはそれは綺麗なハーモニーで良く歌います。
オーケストラをこれだけ流麗に歌わせる事ができるのは彼本来の才能かと思いますが、
それがシューベルトに相応しい感覚なのでしょうね。
あれだけ歌曲に精通したシューベルトですから、どの曲にも歌が溢れ、
例え交響曲にですら歌詞を付けると歌えそうです。

次の日はBRがライヴ放送をして、休憩時間にはムーティのインタビューが入りました。
その中で彼はウィーン・フィルと唯一シューベルトの交響曲の全集を録音した指揮者云々の話を
していましたが、(確かケルテスも録音していたかも)、それはさて置き、
昔からウィーン・フィルとシューベルトを演奏をするのは大変勇気がいると云われて来ました。
あれだけ沢山の作曲家が活躍した街ですが、生粋のウィーン子は実はこのシューベルト唯一人で、
我々外国人、否ウィーン人以外には分からない何か特別の感情や表現があるのでしょうね。
あのカラヤンですら、ウィーンフィルとのシューベルトの録音は無いはずです。

ムーティさんは昨シーズンからシカゴの常任に就任されましたが、できればもっと
ヨーロッパでの演奏機会をお願いしたいものです。
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by Atelier-Onuki | 2012-12-29 22:35 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

ヘンゼルとグレーテル

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先日の日曜日は、我らが大野和士さんがここのシュターツ・オーパーデビューとなる
「ヘンゼルとグレーテル」を観てきました。
グレーテル役も中村エリさんで、こうして日本人の活躍を見るのも嬉しいものです。

クリスマス・シーズンになると、「ラ・ボエーム」やバレエの「くるみ割り人形」と共に毎年
数多く取り上げられますが、中でもドイツ語圏では一番多く取り上げられているのではないでしょうか。
内容的にはクリスマスとは関係がないのですが、二幕のフィナーレで沢山の天使が出てきたり、
最後は神への感謝の賛美で終わるので、この時期には相応しいのでしょうね。
実際、もしこのオペラがなかったらと思うと、オペラ・ファンと子供達には、
ちょっと寂しいクリスマスになっていた事でしょう。

個人的にも昔まだ学生だった頃、大谷洌子先生の演出での公演をお手伝いさせて頂いた事もあって、
とても好きな作品です。

このオペラはフンパーディンクの妹さんでヴェッテ婦人と云う人が教会の子供劇のために、
グリム童話の中からこの題材を選び、原作の残酷なシーンをカットして、やんわりとした内容に
自ら台本を書きました。
そこで作曲を音楽の先生でバイロイトでもワグナーの助手を勤めていた兄に、
「お兄ちゃん、ちょっと音楽をつけてよ。」と気軽に頼んだ処、
こんな立派なオペラに仕上がってしまいました。

おそらく、クリスマスには毎年、教会で子供たちによる降誕劇を行ってきて、
ちょっとマンネリ化していた劇を何か新しいやり方で試したかったのだと思われますが、
妹さんとしてはその出来の余りの立派さに、驚くと共に少々困惑したのではないでしょうか。
私も以前、降誕劇の装置のお手伝いをした事がありましたが、
気まぐれな子供達の扱いは大変で、しかもこんな立派なオペラは素人だけでは
到底できそうもありません。

実際、これを知ったワグナーも、自分自身が目指していた楽劇と云うスタイルで、
素晴らしい出来栄えとなったこの作品には大いに嫉妬をしたそうです。
事実、ヴェッテさん達が上演したという記述は見たことがありませんし、
初演はクリスマスの二日前にヴァイマールで何とリヒァルト・シュトラウスの指揮で
行われていますから、文字通り音楽史に残る名作の誕生と云えるでしょうか。
子供向けに分かり易いとは云え、話の内容、音楽共に素晴らしく、
ジーンと来るシーンもシバシバあります。

この日の演出は1965年の復刻バージョンでリストさんと云う演出家、
この方の事はよく知らないのですが、伝統的で分かりやすい演出で安心して観ている事ができました。
14時と18時からの二公演で、歌手は流石にダブル・キャストでしたが、
指揮の大野さんは両方共の出演でさぞかし大変だった事と思います。
丁寧に出だした序曲は自然なテンポで進み、フィナーレではたっぷりと歌って
気持ち良くまとまりました。観客の反応も暖かい拍手で好意的でした。

まぁ初登場の指揮者にとっては試金石の様な扱いをされている作品の一つですが、
ここでは数年前まではルイージが振っていましたし、
二年前だったかロイヤル・オペラではコリン・デイヴィスが豪華キャストを起用して振っています。
(どうもこれはDVDになっていて今年、日本でアカデミー賞を取ったようです)
レコーディングを見ても、かつてはカラヤンを初めクリュイタンスとショルティはウィーン・フィルと録音
をしていますし、巨匠と云われた人達にも興味のある作品なのでしょうね。

大野さんの場合は多分、数年前グラインドボーン音楽祭での実績もあって、
招待されたと思いますが、これから徐々にメジャーの出し物にも登場してもらいたいものです。
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歌手陣はお父さんがちょっと張り切って歌い、テンポを崩していましたが、
我らがエリさん初め皆さん良く健闘していました。
唯、この貧しきはずの一家、皆さん良く栄養が行き渡っているようで、ちょっと微笑ましい。
まぁ考え方によっては、返って悲劇にはならない救いとして良いのかも知れません。

Wenn die Not aufs höchste steigt,
Gott der Herr die Hand uns reicht!

たとえ困難が最高潮に達しても、
神はその手で私たちを守りたもう!

下手な訳で済みませんが、皆によるこの歌で終幕となります。

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by Atelier-Onuki | 2012-12-23 01:58 | オペラ | Trackback | Comments(2)

俺たちゃ 街には 住めないからに

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デュッセルドルフの我が家は人の出入りが多く、宴会もしばしば。
そんな中、Mさんご一家とは帰国されるまでの間、特に親しくしていました。

Mさんは、かつてはスピード・スケートの選手で、何でもヘルシンキであった世界選手権では
5位と云う輝かしい成績の持ち主。
酔っ払うと、「スタート時の第一歩は世界一だと云われてたんだよっ」とよく語っていました。
奥様も本格的なフェンシングの選手だったそうで、まさにスポーツ一家という感じでした。
そんなMさんも今はのんびりした気の良いおじさんで、○ちゃん、々と皆から親しまれていました。

冬も近づいてきたある日、いつものように皆で一緒に飲んでいましたが、
話題はスキー話に・・・
今年は皆でドロミテへ行こうと云う事になり、大いに盛り上がりました。

それを聞きつけた娘の同級生が、私も行きたいと云う事で、こちらは母子二人での参加。
総勢11人と云う大所帯となりました。

あれこれと皆で計画を立てるのもワイワイと楽しく、皆で料理する日々の献立まで相談していました。
そんな中、何時しか皆は私のことを隊長と呼ぶようなりました。
まぁ11人ですからちょっとした一個小隊、なんだか小隊長になったような気分で、
そう呼ばれるのが嬉しくなってきました。

ただこれだけの大人数ですからアパートを見つけるのも一苦労です。

結局モエナと云うメインのスキー場からはちょっと外れた村に、一軒のアパートを見つけました。
アパートのある地区はソメダと云って、そのちょっぴり日本っぽい響きも気に入りました。

いよいよ出発当日、今回も夜行寝台ですが、もう雪がシンシンと降っています。
一番料金の安い6人用のベッドが付いたコンバートメントに男女が分かれて乗り込みました。
我が小隊の男性陣は4人でしたので、当然見知らぬ他人と同室になります。
まぁ最初の方はお互い遠慮がちに静かにしていましたが、
私は長旅をMさんと楽しみたかったので、
秘かに箱の酒(=日本酒)を用意していました。
これをチビチビやっていると、二人のドイツ人も興味深そうに見ています。
静かに飲んでいるのも飽きてきたので「どう・・一杯試しますか?」と聞いてみました。
最初はちょっと躊躇していましたが、飲んでみると結構気に入ったようで、
その後はオツマミも出てきてワイワイと楽しく過ごしました。

列車は定刻通りにボルツァーノに到着、箱が効いたのかちょっぴり頭が痛いです。
バス・ターミナルでモエナ行きのバスを探しても見つかりません。
結局一番近い所までバスで行って、そこからはタクシーと云う事になりました。
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外れとはいえ、このモエナにもLusiaと云う立派なスキー場があって
充分スキーを堪能することができます。
Mさんのお子さん二人は未だ初心者でしたが、さすが両親のDNAを継いだのか覚えが早く、
メキメキと上達していきました。
もうそろそろセラ・ロンダにトライしても良いかなと云うレヴェルにまで達したので、
いよいよ向かうことにしました。

モエナからスキー・バスで40分位でしょうか、セラ・ロンダの出発地点の中で一番近い
カンピテッロに着きました。
ここからロープ・ウェイで一気に登りますが、暗く厚い雲が立ち込めています。
スピードを上げたロープ・ウェイがその雲を突っ切ると
「ワァー!」と云う歓声と共に雄大な山々のパノラマが目前に広がりました。
ここはコールロゼッラと云って標高が2400m位あります。
今度は反対側の斜面を雲に向かって降りて行くのですが、ちょっとキツイのは最初だけで
途中のセラ峠あたりからはダラダラとしたコースがプランと云う村まで続き、
ゆったりと楽しむ事ができます。
それにここからの眺めは大好きです。
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広大な斜面に、もみ木やゴツゴツした岩が点在した不思議な光景で、
子供達は映画のシーンで見たのでしょうか、ここを007コースと名づけました。

プランに着いた頃、もう「お腹が空いた!」と言い出す人も。
ちょっと遠い所から来たので、既にお昼近く、ここで昼食をとることにしました。
このプランには大きなカマドのある炭火焼のレストランがあって、
ピザを初め焼き物が美味しい店です。
奥の席に陣取ってワイワイと楽しい食事が始まり、話にも興が乗って長居をしてしまいました。
実は未だここは、全体の四分の一しか来ていません…。

ちょっと先を急がなくてはならないのですが、
途中景色が良いところでは、記念写真のためストップ・・・
そんなこんなで、何とかアラバまでたどり着きました。

さあここからが最後の難関、今回の時計回りのコースでは最大の難所が待っています。
唯、これを乗り切って最後のリフトに乗れば、後は我々の帰りたい所まで滑って降りられます。

二本あるロープ・ウェイの内、当然低い所へ向かう楽な方に乗りたかったのですが、
何とこの日は運休、仕方なく一番上まで行くロープ・ウェイに乗りました。
途中からチラホラ雪も降り出して来ました。

それでも頑張って何とか途中辺りまで滑ってきましたが、今度は行きたかったコースが閉鎖中。
このキツイ斜面を直行しなければなりません。

雪は益々勢いを増し視界が効かないほどに、それに日も暮れ始めました。

ここまで頑張って来たY君ですがとうとう立すくんでしまい、ちょっぴり涙ぐんでいます。
お父さんのMさんも緩斜面では面倒を見ることができたのですが、
さすがにこのキツサでは為す術もありません。

しばらく呆然としていると、上の方から三・四人滑ってくる人影が。
近づいてきてやっと、それがお巡りさんであることが分かりました。
スキー・ウェアですが、はっきりとお巡りさんである事が分かる制服、
それもイタリアのポリシアですから格好のいい事。

どうも我々のような落ちこぼれがいないか最後の見回りをしていたようです。
事情を察した一人の若い警官が、Y君をひょいとダッコして
スイスイとものの見事に降りていきました。
我々も何とかついて行き、下にある小さな休憩小屋までたどり着きました。
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残念ながら最後のリフトはもう終了で、動いていません。
彼らに帰る術を尋ねると、タクシーしかないと云う事でしたので、
皆が乗れそうな大きな車を頼んでもらいました。

その間のオバサマ達ですが、呑気なもので、この先の心配をするどころか、
胸の前に両手を合わせた格好で、若いお巡りさんに向かって
「格好いい、格好いい・・・」と連発しています。

お店の人達も店じまい、バス停の待合みたいな軒先に裸電球だけ付けて、
さっさと帰って行ってしまいました。
大きなタクシーはそう何処にでもある訳ではないので中々来ません。
雪は止む気配もなく、どれ位待ったでしょうか。
一時間ほど経った頃、ようやく山の上からヘッドライトの動きが見え始めました。
きっとこれだろうと信じて、まるで希望の光がやって来たような気持ちで待っていました。

それが実際タクシーだったのでどれ程ホットしたことでしょうか。
今度は、いろは坂の様な山道を延々と走りようやく宿のある村まで帰って来る事ができました。

それにしてもあの山道を遠い所まで良く来てくれたなぁと、
今となっては笑い話と共にしみじみ感心をしています。

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by Atelier-Onuki | 2012-12-18 21:47 | チロル | Trackback | Comments(0)

雪よ岩よ我らが宿り

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毎日のように雪が降って寒いし暗いしと、辛い季節になりました。
それでも雪景色は綺麗だし、陽が差し込むとキラキラして別世界にいるような気分になり、
暫しうっとりと見とれてしまいます。
特に今年の冬は例年よりも早く雪が降りだしたようです。

演奏会やオペラもこのシーズンは充実した公演が多く、辛いことばかりでは無く、
別の楽しみ方があります。
それにアウトドア派にとってはスキーという楽しみもあります。

日本では大雪で大変な被害が出ていて、こんな時にスキーの事など考えるのは
不謹慎かもしれませんが、ちょっとだけアウトドア派としては
ついついゲレンデの情報などを調べてしまいます。
昔と違って今はあちこちにWebcamが設置されていて、
家にいながらにして現地の最新の様子を見る事ができ便利になり、見ているだけでも面白いものです。

ドイツは意外にも本格的な山が南にしか無く、スキー場もガルミッシュ辺りが
やっと満足できる所かもしれません。
ありがたい事にミュンヘンからは日帰りで行けるので練習にはもってこいです。

ヨーロッパのスキー場は、それぞれの国によって特徴が違っていて興味深いものがあります。
例えばフランスなんか中央集権という国の特徴がスキー場にも反映しているのか、
一箇所に集中してスキー関連の設備が集まっています。
ラ・プラーニュと云う所へ行ったことがあるのですが、大型のホテルやアパート、
その中にスーパーや映画館、温水プールまであって、
ちょっとしたスキー・ヴィレッジを形成していました。
それにリフトもほとんどが一箇所に集中していて、そこから蜘蛛の巣のように伸び、
あちこち移動せずにいろんな山へ登ることが出来便利でした。
唯、小さな村に建物が集中している分、ホテルの部屋は狭くなっています。
この頃、子供達はまだ小さくて初心者レヴェルでしたが、
一番下の娘がある急斜面で雪の塊に足を引っ掛けて頭から結構長い距離を滑落しました。
この時、下にいたご婦人が心配をして「サヴァ?」と娘に尋ねていました。
本来なら娘の心配をしなければならないのですが、
ヘェ~こんなシーンでもサヴァと云うんだ・・・と変な感心をしていました。

ある年は出発ギリギリまで決めておらず、急遽行くことになったのですが、
知っているスキー場はもう既に一杯で宿が取れませんでした。
かろうじて空いていたのがトルゴンと云う聞いた事もない所、
地図で調べてみても中々見つかりません。やっとモントルーの南、
山の端っこにへばり付いているのを見つけました。
電車とバスを乗り継いで長旅の末、何とかたどり着きました。
翌日からスキーを始めましたが、林間コースもあってなかなかのスキー場。
二つ目の尾根を超えると知らない間にそこはもうフランスです。
気が付けばトロア・ヴァレーという広大なスキー場の一番端っこに繋がっていました。
ちょっとしたコーヒー一杯でもスイス側と違ってグッと美味しくなります。
通貨が違うという面倒を我慢してでも、お昼はこちら側と決め毎日通っていました。
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そんな中、「ここは良いよと」と仕事仲間でやはりスキー好きのドイツ人からドロミテを紹介されまた。
当時はデュッセルドルフにいたので、北イタリアはとても遠い感じがして
中々意を決する事できなかったのですが、とうとう行ってみる事にしました。
夜行の寝台列車に乗って10時間ほどでしょうか、朝8時ころ
ドロミテの玄関口ボルツァーノへ着きます。
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途中ブレンナー峠では乗員や牽引車の交換があるので結構長く停車しています。
ここは国境なので流通の中継地点になっており、現在はトラックがたくさん集まっていますが、
その昔モーツァルトやゲーテもここを越えてイタリアに向かったと思うと、中々感慨深いものがあります。
駅もとても渋い造りですので、長い停車時間も楽しいものです。

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さてボルツァーノからバスで揺られる事1時間半くらいで、目的のファーザ谷に着くことが出来ます。
この辺のエリアは北から大きな谷が三本あって、その谷に沿うように村々が点在しています。
面白いことに一番北では殆どドイツが通じ、二番目は60%くらい、
三番目はさすがに10%くらいしか通じなくなります。
地名はどこもドイツ語とイタリア語の二カ国語で標記されています。

地元の人達はイタリア人と云われるのを余り好まず、
自分達のことを南チロル人と云って誇りにしています。
民族的にはロマンド人で、言語も普段はロマンド語で会話をしているそうです。
面白いことに、この言語はどの言語ルーツにも属さないそうです。
この民族はスイス辺り(あのスイス・ロマンド管弦楽団もロマンド人で結成されたそうです)
の方が有名ですが、この辺の山岳地帯に点々と住み着いていたのでしょう。
人柄も優しく勤勉でとても良い人達です。

ありがたいことに食べ物がイタリアの中でも美味しい地域で、
これは山の上で食べても結構ちゃんとした味で感心します。
確かジェラートもこの辺の村で最初に作られたと聞いた事があります。

それに何と云っても景色の綺麗な事、雄大で素晴らしい眺めです。
何でもこの辺の岩盤は柔らかいそうで、隆起した山が浸食の影響を強く受け、
とても不思議で面白い形を形成しています。
一般的なアルプスの山々の形と違って、何か西部劇に出てくるサボテンが
突起したような形の山に似ているかもしれません。

ゲレンデも広大、この辺だけで全長500kmほどあるそうで、
とてもとても回りきれるものではありません。
スキー・パスもスーパー・ドロミテと云うパスを買えば全地域のリフトが乗り放題ですので、
気にせず地域を越えて滑走することができます。
ハイライトはセラ・ロンダと云って、中央にドンと隆起したセラ山脈を一周するコースで
全長が大体40km(とは云っても半分はリフトですが)、これを一日かけて一周します。
登っては下りのコースですが、其々の地域によって景色の雰囲気も違い、変化に富んだ楽しいコースです。
ちなみに時計回り、反時計回りと二つの方向でそれぞれ違う景色、コースを
楽しむことができますので魅力は尽きません。
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ある年3家族で総勢11人と云う大所帯で行って、このセラ・ロンダにトライしたのですが、
最後にある出来事が・・・この話も長くなるので又別の機会にでも書きたいと思います。

さぁ今シーズンもドロミテへ・・・行きたいなぁ~


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by Atelier-Onuki | 2012-12-15 06:27 | チロル | Trackback | Comments(0)

ヴィシネフスカヤさん逝去によせて

先ほどラジオを聞いていたら、ヴィシネフスカヤさんが亡くなられたと報じていました。
音楽番組だったので急遽彼女が歌った録音から何曲か放送されていました。

かつてボリショイ・オペラのプリマとして一世を風靡されましたが、
その頃私は未だロシア・オペラには全く親しんでなく、
かろうじてカラヤン盤の「ボリス・ゴドノフ」でマリーナの役を歌っておられたのと
美人さんだったなぁと云う印象くらいしか知りませんでした。

その後あの偉大なチェリストのロストロポーヴィチさんと結婚され、
波乱万丈の末アメリカへ亡命されました。

彼女には一度だけアムステルダムでお目に掛かった事があります。

それはコンセルトヘボウが主催した「Slava」というタイトルで
二週間ほどのロシア音楽祭を開催しましたが、その最終日の演奏会が
小澤先生の指揮でロストロポーヴィチとドヴォルザークのチェロ協奏曲と
後半はバシュメットが加わりシュトラウスの「ドンキホーテ」という
チェリストにとっては驚異的ハードな演奏会でした。

実はこの数年前に、やはり小澤先生と60歳記念コンサートがウィーンであって
ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲にチャイコフスキーの「ロココ風」を挟み、
最後はドヴォルザークという全曲チェロばかりの出てくるもう信じがたいハードなプログラムで、
それをものの見事にあの楽そうに見えるそっくり返った格好で楽々と完璧に弾ききりました。
その印象があまりにも強かったので、今度はアムステルダムまで追っかけて来た訳です。

演奏そのものは当然素晴らしいもので、終演後このホールの隣にある
行きつけのレストランへ何も考えずに入りました。
窓際の席に案内をされ、ふと隣を見ると大きなテーブルがセッティングされています。
ひょっとしてこれはと思いつつ注文を済ませた時、
頭の後ろから「 コ ン バ ン ワ !」とカタコトの日本語に振り返ると
ななんと ロ ロストロ が・・・ 思わず後ろずさりしそうになりました。
彼を先頭に奥様のヴィシネフスカヤさん、バシュメットご夫妻、
コンセルトヘボウの主催者の人達が賑やかに入ってきました。

さすがロシア人早速にウォッカのボトルを開けニシンの塩漬けを肴に
ノストラヴィアを連発しています。
そうする内、なせか厨房から「ソーリー・ソーリー」と遅れてきた小澤先生が
お嬢さんを伴って登場され、それも私の真隣に座られました。
もういきなり私の食べている魚貝のクリーム煮を見つけては、
「それ何?美味しそうだね・・僕もこれにしよう!」とお構いなしに話しかけてこられます。
宴は益々盛り上がりをみせ、ウォッカの消費は留まるところがありません。
それにしてもロストロさんはお元気、話も興が乗った処で
急に「征爾・・・」と、かしこまった調子でショスタコーヴィチの話をしはじめました。
小澤先生もこちらを振り返って「この話は聞いておいた方が良いよ」と云っています。
圧政下のソビエト連邦時代、作曲家も自由な表現が制限されていましたが、
ショスタコーヴィチは暗号のように彼のメッセージを曲の中に埋め込んでいたようです。
この作曲家と親交の深かったロストロポーヴィチは、そんな真実にせまる話も聞いていたようです。

お酒もすっかり回ってきたようで、興が乗ったのか何とヴィシネフスカヤさんが歌いだしました。
こんなプリマドンナの歌を間近で聴けるとは思いもよりませんでした。
宴はいつ終わるのか分からないほど盛り上がっています。
お疲れの我らが先生はお先にと退席されました。

デザートも済ませた我々もそろそろ帰ることに・・・
「皆さんのご健康を!」と挨拶をすませ、出口まで進んだ処、イヤァ~黒山の人だかり、・・・
皆さん遠慮がちにこちらを伺っていたようです。

皆、口々に「ユー・アー・ラッキー」と云って中には小さく拍手をする人まで。
まるで最終回にさよならホームランを打った選手のような気分になりました。

又、一つ大きな時代が終わったような気がします。
この波乱万丈の人生を歩んだ偉大な音楽家ご夫妻のご冥福を祈りつつ・・・


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by Atelier-Onuki | 2012-12-12 04:58 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

クラウディオ・アバドのこと

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先日はヘラクレス・ザールで折角アバドの演奏会があったのですが、
この処、忙しさも佳境でちょっと神経も疲れていたので残念ながら行けませんでした。
彼は癌を患って、復帰後も演奏会は年に10回あるか無いかと激減いたしましたので、
とても貴重な機会だったのですが、体力・精神ともに負けてしまいました。

これは彼が作ったボローニャのモーツァルト・オーケストラとバッハばかりのプログラムでしたが、
この後ジェノバとパレルモでも同じ演目で公演を行うようです。
健康に気をつけて余り無理をされないことを願っています。

彼はベルリン・フィルの在任中に癌に侵され、暫くの闘病期間をおいてから復帰しましたが、
彼自身もこの少ない演奏機会を大切に取り組んでいるように思います。
元々素晴らしい指揮者ですが、何かもっと吹っ切れたような、
別次元の境地に入ったかの印象を受けます。
元来、純粋でピュアな濁りの無い音楽作りをしていたように思いますが、
それが更に純化してその精神はとてつもなく高い所に来ているような気がします。

初めて彼の演奏を聴いたのはロンドン交響楽団と来日した時で、
演目はラヴェルの「ラ・ヴァルス」とマーラーの5番のシンフォニーでした。
あのラ・ヴァルスの冒頭、静かに出始めた音がきしみながら交差して行くあたり、
もうゾゥとするような神秘的な響きで何か別世界へ引き込まれそうな感覚で鳥肌が立ちました。
(録音でも彼のラヴェルは本当に良いですね)
マーラーも当然ながらアダージョなどウットリとした世界に浸れました。

その後はウィーンでの演奏会やオペラで聴きましたが、
特にオペラはもう素晴らしいの一言です。 
スカラと同じストレーレル演出の「シモン・ボッカネグラ」
あの一幕二場目、大きな帆を張った船が中央にセットされ、
印象的で綺麗、何ともお洒落な演出。
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歌手も豪華な布陣で、男声歌手ではブルゾンとライモンディ低音域二人の二重唱など
はっきり張り合っているのが分かるほどの熱唱。
もうテノールやソプラノ(多分リッチァレリだったか)が誰だったか
その存在が霞む位の印象でした。
こうなったらもうアバドの独壇場、全体をキリリと引き締め、
素晴らしい集中力と歌にも充分満ち溢れた、
これぞヴェルディという世界を表出してくれました。

アバドが「シモン・ボッカネグラ」を取り上げるまでは、それほど頻繁には
上演されなかったこのオペラですが、これ以降注目をされるようになりました。
もう「シモン」と云えばアバドと真っ先に思い出すほどです。

それとパヴァロッティが出た「仮面舞踏会」や、
テアター・アン・デア・ウィーンでの「ドン・ジョバンニ」も
生涯忘れられない程の素晴らしいものでした。
ウィーンに現存する一番古い劇場テアター・アン・デア・ウィーン
(ウィーン川沿い劇場と云う名ですが、現在は川に蓋をして上にズラーと市場が並んでいるので見えません)
 はモーツァルトの「魔笛」でこけら落としをした劇場として知られています。
古いのでギシギシ雑音も多いのですが、このオーケストラ・ピットに
モーツァルト自身が立って指揮をしていたと思うと感慨深いものがありました。
真っ黒な街角に雨が降っているシーンから始まったアバドによるドン・ジョバンニは、
演出もスマートで仕掛けも一杯で楽しめました。
例えばレポレロの「カタログの歌」のシーンでは舞台の端にカタログを引っ掛けて
ドンドン読み上げるたびに延ばして行き、最後は舞台一杯まで延びて行きますが、
それに腹を立てたエルヴィラが火をつけると、花火になっていたカタログは一気に消滅してしまいました。
演奏もスタイリッシュでスマートにドンドン進行していきます。
レチタティーヴォの伴奏ではチェンバロではなくフォルテ・ピアノとチェロによるもので
特にチェロを多用しちょっと今まで聴いたことがない豊かな潤いを与えていました。

ベルリン・フィル在任中の演奏会では特にマーラーの何曲かのシンフォニーが印象強く残っています。
中でも、ケルン聴いた9番なんか彼の体質にも合っているのでしょうか特に素晴らしかったと思います。
それとウィーンでの7番、・・・ これはラトルのベートーヴェン・チクルスを
聴きに行った時の最終日の夜に聴きました。
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こんな風に一日の間にウィーン・フィルとベルリン・フィルを両方聴けるなんて現象は
ウィーン以外では知らないのですが、
午前の11時からベートーヴェンの9番を、夜はマーラーの7番と云う超ハードなものでした。
しかもアバドはこの日の演奏会が音楽監督として
ベルリン・フィルとの最後の共演という記念すべき演奏会。
ベルリンではなくウィーンを選んだのは、ここの音楽アカデミーで学んだ彼にとっては
思い出の地なのかも知れません。
実際、ここの聴衆は彼をこよなく愛していて、いつも暖かく迎えていました。
貴賓席にはアバドの前任者であったカラヤンの夫人エリエッテさんと、
後任者となるラトルも来賓しています。
会場は着飾った年配の婦人で溢れんばかりです。
彼も若い頃は本当に格好が良くて(今も勿論ですが)大勢の追っかけファンがいました。
当時その追っかけていたファンも今はそれなりの年配になって時の移り変わりを感じます。
そして緊迫した演奏の幕が終わると、あちこちからステージめがけて花束が投げ込まれました。
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それはそれは、何時終わるのか分からないほど延々と雨のように降っています。
もうステージは足の踏み場も無いくらいに花で埋め尽くされました。
オーケストラが去った後も拍手は一向に鳴り止もうとはしません。

何度も何度も名残を惜しむように・・・

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by Atelier-Onuki | 2012-12-11 03:30 | ウィーン | Trackback | Comments(0)

束の間の木漏れ日

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12月に入り、もうすっかり冬のモードになりました。
街の広場にもクリスマス市が立ち大勢の人で賑わっています。

久しぶりに木漏れ日がさして来たので買い物のついでにイングリシャー・ガルテンを散歩しました。
これは英国庭園とでも云うのでしょうか、まぁ広大で有名なロンドンのハイドパークなんかと比べて
歴史的にどちらが先なのかは分かりませんが、街中の公園としては驚異的に広大です。

改めて地図で確かめると、ハイドパークの大きさはおよそ1km x 2km、
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それに対しここは幅が約1kmとほぼ同じですが、縦に長く5kmほどあります。
そこから先は川に沿って延々と続き森へと繋がって行き、まだまだ続いているようです。
南側も一旦街で寸断されますが、これも途中から川沿いの森林道になり森へと繋がって、
こちらはもうアルプスまで続いて行くのではと云う勢いです。

つかの間の陽気に考えることは皆同じで、多くの人々が歩いています。
これを見込んでか、なんと大道音楽の人まで出ていました。
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そうそう夏場はこの小川周辺には大勢のヌーデュストも出現します。
と云いてもバイエルン的な大らかさで純粋に太陽を求めて来ているだけです。
自転車に乗ったお姉さんなんかも、サァと来て何の抵抗もなくパァパとお脱ぎ捨て
川に飛び込んでいます。こんな光景はまるでルノアールやセザンヌの水浴シーンの世界ですが、
現実の世界でも存在していました。

さて、ブラブラとキネージッシャー・トルム(中国塔)まで歩いてきました。
a0280569_26536.jpgここはこの公園内にある一番有名なビア・ガーデンで中国風の五重塔が建っているので、
こんな名前が付いています。夏場はこの塔の上にバンドが入りブンチャン・ブンチャンと
バイエルン調の演奏をして盛り上げています。
私はこの音楽が苦手なのでもっと先の水辺にあるビア・ガーデンへ行って静かに飲んでいます。
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今日は陽が差しているとはいえ、結構寒いのにも関わらず大勢の人々が
外に座って飲んでいました。よほどこの街の人はビア・ガーデンが好きなのか、
季節のギリギリまで楽しんでいるようです。

明日からは一週間ずっと雪の予報です。
まぁ束の間の太陽をもう少し楽しんで・・・

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by Atelier-Onuki | 2012-12-06 02:08 | ミュンヘン | Trackback | Comments(0)

ザルツブルク街歩き

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次の日も婦人は元気で、「何処かへ行く?」の問いに「何処でも~」と乗り気です。
山へは昨日行ったので結局ザルツブルクへと向かう事になりました。

それにしても婦人はバイエルン・チケットがすっかり気に入ったようです。
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これは、このバイエルン州内の一日だけ乗り放題チケットでICEなどの特急には乗れませんが、
とてもリーズナブル、人数によって値段が別れていて、

例えば今回のように二人ですとたったの26ユーロと格安です。
バイエルン州はドイツで一番大きな州ですから中々乗り出があります。
東の方だとチェコ国境まで行けますし、今日の様に南はオーストリー国境まで行けます。
ザルツブルクはオーストリーに入ってから暫く走りますがこの駅まで有効となっています。
尤もベルヒテスガルテンなんてドイツ国内ですが、
半島の様な形でオーストリーに食い込んでいますから更に南へと行く事になります。
ミュンヘンから2時間、長閑な風景にもちょっと飽きだした頃には到着します。
と云ってもこの日は霧が濃く立ち込めてボーッとしか見えませんでした。

ザルツブルクの駅はここ数年かけて大改装中でホームもガラス張りでモダンな天井の工事中、
以前は単なる地下道が見違える程大きなコンコースになって既に一部は営業を初めていました。
唯、昔を知る者にとっては、何だか違う所へ来た様な感じがして、ちょっと寂しい気がします。
以前はドイツ方面からのホームはちょっと隔離された感じの一番端っこにあって、日本でも昔あった柵だけのa0280569_18282841.jpg鄙びた改札口・・・入国審査もここで行われ駅員かと間違えるほどでした。
駅舎もこの一角は確か木造で味わいのある物でした。

まだあちこち工事だらけの道を街へと向かいました。
まずは駅から近いお決まりのミラベル庭園へ、まだ霧が立ち込めていて、お城は薄らとしか見えません。それでも人気がなく夏場とは違って、ちょっと幻想的で良かったかも知れません。

川を渡って旧市街地へ、モーツァルトの生家がある小道へと向かいました。
この通りは看板がどの店も凝っていて楽しめます。
お店も小ぶりながらブランド店やお洒落にしている所が多くて目を見張ります。
それに何と云っても美人の店員が多いこと・・・ハッとさせられる事がシバシバ。
ある狩り用品の店など、私には全く用がないのにワザワザ後戻りをしてまで覗いてしまう有様でした。
それに引き換え我がミュンヘンの寂しい事。・・・滅多にお目にかかる事がありません。
何故かは良くわかりませんが、これは多分このバイエルン地方はコンサヴァティヴで、街も人もとてもレトロな雰囲気、歴史的にもあまり近隣諸国との交流も少なく、純血に近いのかも知れません。
ちょっと目の体力を使ったのでお腹が空いてきました。

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まぁこれもお決まりのコースですが、St.ペータースへ行く事にしました。
ここは岩盤にへばり付く様に建てられた修道院で、かつて人々に施しとして提供していたスープが有名です。
栄養価の高い材料を煮込んだものですが、特徴はその受け皿にあります。
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それは固いパンで出来ていてスープと共にお皿まで食べる事ができ、お腹も大きくなるし、
器も沢山用意しなくて良いと云う一石二鳥のアイデアでした。

我々は別に施しを受けに行った訳ではないのですが、今はレストランも営んでいます。
今と云っても803年からと入口のプレートに書かれています。
これは建物なのかレストランなんか明記していませんが、まぁ1200年以上の歴史があるわけです。
夏場は岩盤の下にある中庭でも気持ち良く食事ができますが、今日はガランとしています。
室内もアンティックそのもので雰囲気があります。
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気の早い事に、もうクリスマスの飾りが所狭しと上手に飾られていました。
食事もちょと精進料理に近いのか、お上品な味に盛り方も控えめでした。
トイレットが二階なので上がってみると、これ又アンティックな雰囲気、廊下を挟むように小部屋が
幾つかあってここも綺麗なクリスマス装飾がなされ準備万端と云ったかんじです。
奥の大広間も飾りが終わっていて、これは結婚式かなんかの準備をしているようでした。
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さて食後はブラブラとこの修道院に隣接した岩盤の下に広がる雰囲気のある墓地を歩いて、
これもお決まりのケーブルカーに乗って丘の上にあるお城へと向かいました。
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この日はあいにく霧が立ち込めて遠くの山々は見えませんでしたが、閑散とした城内の広場には
小さなクリスマス市の準備をしていたり、町並みを連想させる居住地は小さくて閉鎖的、
その区切られてた空間には人影もなくちょっとシュール、
まるでキリコの寂しさと哀愁が漂う絵の世界へ引きこまれた様な錯覚に陥りました。
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街へと戻りブラブラと駅まで、そろそろ帰るモードです。
来た時と同じ橋を渡ってちょっとコーヒー・ブレイク、たもとのザッハー・ホテルへと向かいました。
ウィーン風のカフェは何だかホッとする気がします。
窓際の席へ、椅子も白縁に淡いコーラル・レッドのフェルト張り、
注文は当然ながらメランジュ。このいわゆるウィーンナー・コーヒーは泡立てミルクがたっぷりで和みます。
壁には所狭しと著名人のポートレートが飾られています。
多分フェスト出演の為に訪れた音楽家が多く宿泊して来たのでしょうか、
モッフォを初めルートヴィッヒなど往年の歌手から、
指揮者ではカラヤン初めバーンスタインやショルティ、ムーティやラトルなどと
時の移り変わりも感じられます。

処で以前から気になっていたのですが、このホテルの隣に白い瀟洒な館があって、
この裏庭の中央にはカラヤンのブロンズ像が立っています。
それは彼の指揮スタイルを良く捉えた全身像で、この家の人は余程
彼のファンだったんだなぁと思っていましたが、壁に付いていたプレートをフト見た処、
ここはなんと彼の生家でした。
知らなかった・・・

さて、次の日は婦人もご機嫌よくデュッセルドルフへと帰って行きました。

私も何時も通りの電車通勤が始まりましたが、ザルツブルクとは大違い、車内は残念ながらその差
は一目瞭然で、ヘッドホーンで身を固めなるべく車窓から外を眺める日々が始まりました。

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by Atelier-Onuki | 2012-12-01 18:34 | ザルツブルク | Trackback | Comments(0)