<   2013年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧

ヨーロッパの春は

今年の冬は本当に長く、やっと先々週クロッカスやシュニーグロッケンの小さな花々が咲き出したのに、
また雪が降り出しました。
もうイースターだと云うのに… 春が待ち遠しいです。
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さてシスレーの洪水の項でも書いたのですが、昔々日本で開催されたルーブル展で、
洪水の絵以外で印象に残ったのがミレーの描いた「春」と題された絵でした。
(この絵も当時はルーブルに展示されていました。)
重々しいテーマの絵が多かった中、子供だった私にはホッと出来る一枚で親しみを感じました。
この一見穏やかで奥行の深そうな絵は、嵐が通り過ぎた直後を描いているようで、中央の木陰には
雨宿りをする人が祈るような姿で立っていますし、遠くの空にはまだ暗い雲が立ち込めています。
かすかに青空がのぞいて、反対側の画面には二重の虹が力強く描かれていますが、春というと、
お雛祭りや宮城道男の「春の海」など静かなイメージで育った日本人の子供には、嵐のような
力強さが春のイメージとは合わず、ずっと気になっていました。

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                               ミレー作 「春」

その後、西洋音楽を聴くにつれ、この時から思っていたのと同じような疑問を、春に因んだ曲から
時々感じるようになりました。もっともいくつかの歌曲を始め、シュトラウスの「春の声」とか、
ベートーヴェン若き日の清々しいヴァイオリンソナタ「春」等、明るく爽やかでウキウキとした春の
イメージにぴったりの曲もありますが、例えばよく知られているヴィヴァルディの「四季」からの
春でさえも、一楽章で確かに嵐のシーンが聴かれます。イタリアの嵐ですからご愛嬌程度ですが。

それからシューマンの第一シンフォニー「春」では、荘厳に始まった曲は一気にクレッシェンドして
最強音となり、はち切れそうな気持ちで曲がぐいぐいと進んで行きます。
室内楽的な二楽章の夢見る様なロマンティックな所もあり、全体として確かに春の喜びに溢れています。
この曲はシューマン自身が当初「春の交響曲」と題しながら、先入観を与えるのを避けるため、
発表時には単に「交響曲第1番」と変更していますが、やはり春を意識した作品で、
ベートーヴェン以降幾多の作曲家が交響曲を発表するのに苦労したのと同様、いや特に意識した
作曲家の初めての交響曲で、春の様な初々しい気持ちで書かれたのでしょうが、やはり我々の
「春の海」からは遠い世界でした。

更に、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に至ってはどうでしょうか。
いくら原始的な内容のバレエ音楽とは云え、この土音を立てて力強くやって来るものの
どこに春を感じたらよいのか、ずっと戸惑っていました。
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                                     初演版「春の祭典」の1シーン  小貫恒夫画


しかし、これらの疑問はウィーンやデュッセルドルフで暮らし、だんだんと理解出来るようになって来ました。
暫くヨーロッパにお住まいの方はもうお気付きと思いますが、ここの春は本当に力強く土音を立てて
やって来る感じがします。あの可憐なクロッカスが一斉に顔を出し始めると、もう一気に駆け足で春がやって来ます。
もちろん嵐もやって来ますし、一雨一雨、日増しに暖かくなるのが肌で感じられます。

ウィーンにいたある日、待ち遠しかった穏やかな陽がやっと窓から差し込んで来ました。
もうじっとしていられず、あのグリンツィングにあるベートヴェンが「田園」のインスピレーションを受けた
小道に出かけたくなりました。
ウィーン市街から僅か30分位の所ですが、まだ往時を偲ばせるのどかな田園風景が残っています。
緩やかな丘陵、ウィーンの森を背景にブドウ畑が広がっています。長くて厳しい冬からやっと解放され、
気持ちはうきうき、気が付けば自然にスキップを踏んでいる有様です。
ウィーンの冬は本当に寒いんですよ。古い建物で暖房もセントラルヒーティングではなく、
ストーブの所が多く、田舎では薪で暖を取っている家もありました。
ましてやベートーヴェンの時代はどうだったでしょうか。きっと今の私達よりもずっと春の訪れを
恋しく待ちわびたことでしょう。
ザワザワと一瞬木立が騒ぐように風が吹き抜けました。ポツリ、ポツリがボタ、ボタと大粒になり、
一気に滝の様な雨が嵐の轟きと共に降りだしました。それは激しく、大地の全てを洗い流す様です。
でも、こんな時は慌ててはいけません。
どこかの軒先でじっとしていれば、一通り降るだけ降った雨はすぐに去って行きますから。
暫くして散歩を再開しますと、木々は先程よりもさらに瑞々しさを増して生き生きと輝いています。
全ての生命が生き返ったように、また力強く動き始めたようです。
遠くに流れて行く雲の間からは、幾筋もの光が漏れ大地を照らし、大きな天との架け橋がかかりました。

この光景は脳裏に残像として残っていた、いつか見た風景そっくりではありませんか。
その瞬間、大きな喜びと共に少年時代から抱いていた謎がパーッと解けました。

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by Atelier-Onuki | 2013-03-30 20:37 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

新フェスティバルホールのオープニングに寄せて-3

もう夏休みも終わろうとしていた8月末にはバーンスタインとニューヨーク・フィルが二度目の来日をしました。
演目は三種類あったのですが、私が行ったのはハイドン101番の交響曲「時計」、
お国物であるコープランドのクラリネット協奏曲、最後がベルリオーズの「幻想交響曲」と云うものでした。

まぁこの当時は私にとってこれが一番親しみ易かった演目だったので、これを選んだのですが、
後年少し音楽が分かるようになって来た頃、この前日に行われたマーラーの9番が滅法素晴らしい演奏だったそうで
今では伝説の様に語り継がれているのを知りました。
今となっては返す返す残念に思いますが致し方ありません。
当時は未だマーラーは今日のように一般的には親しまれてなく、ごく一部のマニアックなファンの間でしか
聴かれていませんでした。

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それでも登場してきたバーンスタインは格好が良くて、まるで映画俳優のような面持ちでした。
それに指揮をする姿が又格好良い。
肩を怒らせ、ひじを両脇に付けながらリズミカルに興じる指揮ぶりはまるでジャズバンドを前にタクトを振っているバンド・マスターのようで、如何にもアメリカンそのものでした。
ピアニッシモでは体をこれ以上小さくなれないほど屈んだと思えば、音楽が高揚するシーンでは飛んだり跳ねたりとダイナミックそのものです。

ハイドンは作曲家と同じようなウィットに富んだ性格からか、それはそれは自由で遊び心満載の演奏です。
二楽章、例の時計の名称となったリズムが刻まれる所など、リタルダントはしまくるわテンポは好き気ままに動かすわで思わず笑い出しそうになりました。
それでも音楽は生き生きとしていて最後まで楽しく聴く事ができました。
バーンスタインは本当にハイドンが好きなのだなぁと思います。
それは晩年ウィーン・フィルとの演奏でも実証済みで、喜びに満ち溢れた楽しいハイドンでした。
コープランドを挟んで、最後は「幻想交響曲」、ステージには溢れんばかりのオーケストラが並びました。
それでも足りなくてステージから外れた両サイドにある通路、日本独特のいわゆる花道にまで座っています。
特に左側にはエッこれってあり?と思うほど、トロンボーンやチューバなどの金管群が陣取っていました。
曲はスタイリッシュに始まりドンドンと盛り上がっていきます。
3楽章フィナーレの遠雷が静かに遠ざかって行き、いよいよ4楽章そして最終楽章の金管が華々しく活躍する楽章へと移って行きました。

もう4楽章辺りからやたら左の金管が気になるほど飛び出してきます。
終楽章のフィナーレに向かってボンボン出てくる金管の饗宴は、もうハチャメチャ、
各々の楽器のリズムやハーモニーはグジャグジャと乱れまくりです。
まぁアヘン自殺を図った人が見た夢の中で、亡霊の饗宴が最高潮に達するシーンですから、
返ってこれくらい乱れた方が面白いのかも知れませんが、
これは何十年も後に聴いたラトルとウィーン・フィルでも乱れまくり(これは楽器が機能的ではない古いタイプなので仕方が無いかもしれませんが)、
今まで私の幻想交響曲の体験史上、一番見事に乱れた二大事件でした。

演奏会も終わり、やはりその格好の良さにサインを貰いに行く事にしました。
フェスティバルホールには便利な事にグランド・ホテルが併設されていて、
大抵の出演者はここに泊まっているはずです。
唯、何処へ如何行ったら良いものやらさっぱり分からないまま、ホテルへ通じる地下駐車場を、
その後家内となる女性を引き連れて歩いていました。

暫くすると向こうの方から何処かで見た事のある男性二人が歩いて来ました。
よく見ると何とそれは小澤さんと音楽評論家の福原信夫さんでした。
恐る恐る「あのぉ~、サインを貰いに行きたいのですけど・・・どう行ったら良いのでしょうか?」と尋ねると
「ああ、僕らも行くところだから一緒に行きましょう。」とえらく気さくに答えてくれました。
もうドキドキしながら何とか一緒にエレベータに乗って何階かは忘れましたが、
かなり上の方まで昇っていきました。
小澤さんがドアをノックし、中から忘れもしない濃紺のバスローヴに身を包んだバーンスタインが現れました。
すかさず小澤さんが我々の希望を早口で伝えてくれた処、にこやかに「カモン・カモン」と
部屋の中へ招き入れてくれました。
右手にタバコ、左手にはオンザ・ロックでソファーの所まで移動して、サインをしてくれました。
それに握手までしてくれて、緊張の余り「サ・・サンキュー」としか云えなかったのですが、
なんと彼女には「ユーアー ウェルカム」と頭を撫でてくれました。
もう緊張と興奮でどのようにお暇したかは忘れてしまいましたが、
これ以来すっかりバーンスタインと小澤さんのファンになりました。

音楽ファンにとって其々がこのホールでの貴重な思い出がある事と思います。
母も新しいフェスティバルホールの完成を楽しみにしていて、
「死ぬまで、もう一回聴きに行きたいわぁ~。」と云っていましたが、その思いは果たされぬまま昨年亡くなってしまいました。
これから新しい一ページづつが綴られて行く事でしょうが、本当に音楽ファンから愛される素敵な音楽の殿堂であり続ける事を願って止みません。

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by Atelier-Onuki | 2013-03-16 03:59 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

新フェスティバルホールのオープニングに寄せて-2

1970年には高度成長期の象徴とも云える大阪万博が開催されました。
この万博の文化交流の一環として、その質、量とも最大規模で多くの音楽家が来日し
このホールで演奏会を行いました。

私が覚えているだけでも、
カラヤンとベルリン・フィルを初めバーンスタインとニューヨーク・フィル、
セルとブーレーズに率いられたクリーヴランド管弦楽団が初来日、
バルビローリとニュー・フィルハーモニア管弦楽団、
ミュンシュと新生パリ管弦楽団(当時出来立てのオーケストラで初来日)、
それに長らく西側では幻の指揮者と云われていたムラヴィンスキーとレニングラード管弦楽団(結局、
表向きは急病と云う事で、確かヤンソンスのお父さんが代役で来られました。)、
それと、もう一人幻のピアニストと云われていたリヒテルも初来日でそのベールを初めて脱ぐと云う事でした。

この発表を知った音楽ファン達にはもう一大事件、巷のファンの間では、
そのそうそうたる顔触れに話題は尽きませんでした。
一方、もう半年位前からチラシ片手にどの演奏会へ行くべきか予算との兼ね合いも難しく
大いに悩まされました。

唯、残念な事に、来日する前にバルビローリとミュンシュが亡くなってしまいました。
それにセルも帰国後、間もなくして亡くなりましたので同時期に三人もの偉大な指揮者を失ったことになります。

おりしも1970年はベートーヴェンの生誕200年と重なり、ベートーヴェン展も確か森之宮にある博物館で大々的に開催されていました。

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そしてカラヤンとベルリン・フィルの演目は五日間に渡ってベートーヴェン・チクルスを行うとの事で、
話題は更に盛り上がりました。

唯、この交響曲全曲の演奏会は単品のチケットよりも、
綴りになった全公演のチケットが先行発売と云う事、
主催者も上手い事を考えたもので、一気に纏めて売りたかったのでしょうね。
一度でも良いからカラヤンでベートーヴェンを聴いてみたいと切望した我々は、
主催者の術中にまんまと嵌まってしまい真っ先に買おうと決心しました。
とは云っても一公演でも一番高額なカラヤン、ましてや綴りでなんてとてもとても
一人では買える代物ではありあません。

そこで自衛策として考えたのは、ここは割り切って音楽ファンを後4人募り、
じゃんけんで行きたい公演を決めるのは如何だろうか?と・・・

先ず母親に尋ねるとホイホイと二つ返事、おりしも長かった私の浪人生活に終止符が打たれ、
ご機嫌よく財布の紐も緩みがちです。
それにK君には絶対声を掛けなくては・・・もう一人高校の同級生で仲良くしていたM君、
彼もギターをやっていて最近めっきりクラシックに興味を持ち始めた・・・
最後はお世話になったデザインの先生が行きたいなぁ~と漏らしていたので、
「これは差し上げたら?」と、未だ余裕の母親。

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遂に綴りチケットを手に入れた我々はまるで何かの儀式でもするかのように、
仲良くジャンケンをしました。
一番先にM君が勝ち、迷わず「9番」のチケットをゲットしました。
次が母親、これは最もポピュラーな「5番と6番」を迷わず選択、
そしてK君が何とちょっと渋めの「1番と3番」の組み合わせ、
残り物に福が・・・私の好きな「4番と7番」が自動的に決まりました。
「2番と8番」の最も渋い組み合わせは失礼ながら先生と云う結果となりました。

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5月初旬、先陣を切って母が初日の演奏会へいそいそと出かけて行きました。
「どやった?」、「良かったわ~もうそりゃ良かったでぇ~」と半ば興奮気味に繰り返していました。
次の日はいよいよ私の番です。

もう行く前からちょっと上気している感じでした。
初めて見るあの憧れのベルリン・フィルの団員が登場してきました。
最初は4番でしたが、へぇ~意外と小編成なんだと思える程、せいぜい4・50人位の編成だったでしょうか。
この当時は未だ19世紀の伝統に則ってベートーヴェン初期の交響曲でも今日と比べ大編成で
演奏するのが一般的だったので、そんな印象を受けたのです。
颯爽とカラヤンが登場しました。
もう割れんばかりの拍手、いやその格好の良いこと。・・・
靭やかで、軽妙に始められた演奏はそれはそれは綺麗で艶やか、響きもこの小さな編成からは
信じられない程豊かでタップリと余裕すら感じます。
もうその凄さに驚きの連続で、最後まで気持ちよくその響きのなかに身を委ねる事が出来ました。
休憩後はお目当ての7番です。
ジャンと軽妙に始められた長い長い序奏部分も、余りの流麗さにあっと云う間に主題へと引き継がれ、
もう終わってしまうのかと惜しまれるほど早く、一楽章は颯爽とコーダを迎えました。
ゆったりとした二楽章も何処までも流麗で味わい深く、颯爽と滞ることなく三楽章から終楽章へと
一気に進められました。
コーダに入る直前、左から第一ヴァイオリン、第二、ヴィオラ、チェロと一気に受け継がれる所では
弓が大きく波を打ち、それは一糸乱れぬ早業でまるでサッと一風に揺れる麦畑を連想させました。
後で知ったことですが、この時期のカラヤンとベルリン・フィルは技術的には頂点にあったようで、
あの全員が揃った弓の角度までちゃんと気を配って練習していたそうです。
この後行ったK君やM君も凄い演奏に接した事でしょう。
M君などは最初の出だしなどまるで地の底から音が湧いてくる様で、それは神秘的だったと云っていました。

いや~、カラヤンさん本当に凄い演奏を聴かせてもらいました。

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by Atelier-Onuki | 2013-03-15 22:07 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

新フェスティバルホールのオープニングに寄せて-1

大阪の新フェスティバルホールが4月3日にオープンすることになりました。

我々大阪出身の音楽ファンにとっては、この思い出が一杯詰まったホールのオープニングには
一方ならぬ感慨深い物があります。
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旧フェスティバルホールは1958年の開場ですから未だ戦後それ程経っていない時期に出来た本格的な音楽ホールで、ザ・シンフォニーホールが出来る前は殆どの音楽会はこのホールが使用されていました。

特に毎年催される国際フェスティバルはその内容の素晴らしさに、大阪人の意気込みみたいなものを感じらました。
事実以外かもしれませんが、大阪で昔からの音楽ファンには中々の風流人が一杯いて、その趣味はとてもマニアックで玄人好みでした。

それに立地条件が良い所、大川に挟まれた中之島と云われる三角州に建っています。
周辺には明治時代に建てられた洋館作りの市役所を初め、日銀や公会堂などの立派な建物が
街灯に照らされる夜など、川沿いを歩いていると思いようによっては何だかセーヌ川の袂を歩いているような錯覚に浸ることができます。
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演奏会の後などは、直ぐに現実に戻されたくないので、柳並木の川沿いを肥後橋から淀屋橋までブラブラと余韻を楽しみながら歩くのに最適でした。

それにこの国際フェスティバルの期間は、会場の入り口上部には来日する音楽家達の国旗が
ズラッと建てられ華やかな雰囲気で如何にも特別な気分を盛り立てていました。
開場から60年代の当時は来日するオーケストラも今日のように頻繁ではなく、
初来日するオーケストラが殆ど、それは新鮮で、憧れと期待に胸を躍らせたものでした。
今はすっかりそんな風習はなくなったのですが、この頃は演奏会の初日には必ず両国の国歌を演奏しました。
それも観客は当然ながら起立、奏者もヴァイオリンを初め管楽器なども立つ事ができる楽器の人達は起立して演奏をしていました。

私が初めてこのホールへ行ったのは中学の時、文部省の企画だったのでしょうか、
学校からバスに乗って皆で聴きに行きました。
どんな内容だったかはすっかり忘れてしまいましたが、その後幼なじみで同級生のK君が
このホールでの演奏会に誘ってくれました。
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それはサンソン・フランソワのリサイタルでお父さんと行く予定だったそうですが、
都合が悪くなったそうで、代わりに誘ってくれたのでした。
このK君とは親の代から親しくさせてもらっていて、お母さんも薬局を営む裕福な家で、
お父さんはクラシック音楽にも造詣が深く、K君からは少なからず音楽的な影響を受けました。

当日はショパンやドビュッシーなど彼が得意としていた演目を演奏したと思うのですが、
如何せんこの頃は未だ何も知らなかったので、その良さや凄さが分からないまま終わってしまいました。
終演後、サインをもらいに行こうという事になり、勢いよく楽屋へと向かいました。
初めて会う大物音楽家にドキドキしながらサインを貰い、握手までしてくれました。
差し出された手をみてアッ意外と小さいのだなぁ~と思いながら握った処、
その丸太の様に分厚い手にびっくりし、これは今でもその感触を覚えている程です。

この演奏会から数年後に彼は46歳という若さで他界していまいましたが、
今も録音を通して聴く彼の自由でセンスにあふれた演奏スタイルは独特で、
時折ゾクッとするような怪しげな雰囲気を醸し出す世界にはすっかり魅了されています。
今となって思えば、私達が聴いた時もきっと相当酷いアル中が進んでいたのでしょうね。

その後、別々の高校に進んだ我々でしたが、変わりない付き合いが続いていて、
今度はミュンシュがフランスの放送オーケストラとやって来ると云う事で
これも一緒にワクワクしながら聴きに行きました。

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未だ、パリ管が出来ていない時代ですが、彼はもう70歳を超えていて片足を少し引きずっておられましたが、大柄な人で銀髪を靡かせながらゆったりと登場されました。
最初はフォーレの「ペリアスとメリザンド」、この頃は未だこの長ったらしいタイトルなど云う事すら出来ませんでしたが、彼が録音したレコードだけは聴いた事がありました。
それは珍しい事に唯一フィラデルフィアのオーケストラとの録音でちょっとした話題になったので聴いていただけです。
次はルーセル3番のシンフォニーで、勢い良く始まるその頭では唸り声を上げながら
長い指揮棒を振り下ろし、足元も指揮台をリズムに合わせて音を立てて踏み込んで始められました。
ボストン時代のあの熱っぽい演奏はレコードで聴いた事がありましたが、
今、目の当たりに生のミュンシュが正に噂通りの熱い演奏に出くわして興奮さえ覚えました。
休憩後はブラームスの交響曲一番で、冒頭から熱っぽく始まり終楽章ではフィナーレに向かって
更に熱く盛り上がっていく情熱はもう書く必要がない程で、彼のファンならずとも容易に想像ができる素晴らしい演奏でした。

相も変わらずK君からの情報によると、今度はクリップスがサン・フランシスコのオーケストラと
やって来ると云うので、いそいそとフェスティバルホールまで前売りを買いに行きました。
(この頃はチケットぴあなど未だなくて、電話予約も一般的ではありませんでした。)
処が窓口のお姉さんが申し訳なさそうに、「すみません、売り切れてしまいました。」
と云うので仕方なく諦めて帰ろうとした処、「これなんか如何ですか?これも良いですよ。」
と勧めてくれたのが、カイルベルトとバンベルク交響楽団でした。
全然知らない指揮者にオーケストラ、「どうする?」とK君と相談し、
「まぁ行ってみようか!」という事になりました。

演目はハイドン101番のシンフォニー所謂「時計」とR.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」そしてメインはブラームス4番の交響曲。
静かに始められたハイドンは端正な演奏ながら暖かい温もりを感じさせる響きで自然と曲の中へと引き込まれて行きます。
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次の「ティル」もその曲の面白さも手伝ってグイグイと引き込まれ、もう虜になってしまいそうです。
最後のブラームスはもう最初から熱くて渋い演奏、終楽章ではその高揚が更に高まりもうコーダでは
コレでもかと熱っぽく演奏され最後のジャーーンと終わる一音は名残を惜しむ様にタップリと延ばして曲を閉じました。
もう最後の方は背筋に電流が走ったような衝撃を受け、目には熱いものを感じました。
今まで、何度もこの曲を聴く機会がありましたが、これ程の衝撃を受けた演奏には未だ接していませんし、
多分もう無理だろうと思っています。
時代の移り変わりと共に、もうドイツやオーストリーでもフランスと同じように、
この様な渋い伝統的な響きを出せるオーケストラは、残念ながら現在のこのバンベルク交響楽団も含め皆無と言えるでしょう。

多分何時か酔っ払った時にでも話したのでしょうか、東京に帰った知人の音楽ファンが、
東京公演ですがこの時のライヴ録音されたCDを送って来てくれました。
今、こうして40年以上前の演奏に接して新たな感動が蘇って来ます。
もうこんな演奏は聴けなくなってしまいました。

窓口のお姉さん良いものを教えてくれてありがとう。
この体験は一生物の宝です。

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by Atelier-Onuki | 2013-03-14 21:38 | 音楽 | Trackback | Comments(2)

春はもうすぐ

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ここ2・3日やっと快晴で気温も上がり、積もっていた雪が一気に溶けました。
気が付くともうクロッカスやシュニー・グロッケン(雪の鈴)の白い花が一斉に咲いています。
長い間雪の下に埋もれていても彼らはちゃんと季節をわきまえていてじっと耐えながらこの日を待っていたようです。
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何でも今年の冬は1951年以来の長くて暗い冬だったそうで、雪も良く降った寒い冬でした。
人々も待ちわびていたようで、何処となしに顔も少し緩んで来たような気がします。
鳥の鳴き声にも力強さが出てきて、朝夕には特に元気で囀っているようです。

長くて厄介だった仕事も一段落して、毎年この頃にホットして風邪を引いてしまいますが、来週はまた雪の予報で、未々安心することが出来ません。

明日から週末、何処かノンビリとしに行きたい処ですが、お天気は崩れそうです。
まぁ起きてから如何するか考えることにしました。

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by Atelier-Onuki | 2013-03-11 05:26 | ミュンヘン | Trackback | Comments(0)

ホフマン物語

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バルセロナのリセウ劇場での公演は、サン・フランシスコとリヨンの歌劇場との共同制作によるプロジェクトで
演出や演技、歌唱において周到な準備を重ねてきた成果が伺われとても楽しめる内容でした。

このオッフェンバッハ唯一の正オペラは、あれだけ多くの人気オペレッタを書いて来た彼が晩年になって
音楽史に残るような名作を書きたいと願って進められますが、遂に未完成のまま他界してしまいます。

その為、あの「カルメン」でもグランド・オペラ版へと加筆したギローを初め、多くの異なったバージョンがあり、
しかも初演を行ったパリ・コミック座が焼けた時に当時の楽譜も焼失してしまった為、
現在10種類くらいの異なった版が存在しています。
唯、大きく違うのはアントニアとジュリエットの幕を入れ替えたバージョンや、
それにミューズ登場の有無が挙げられるでしょうか。
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今回の公演では何も明記はされていなかったのですが、実は初演時の版もその後何処かで発見された様で、多分その版が使われたように思われます。
何年か前のザルツブルクでの公演でもケント・ナガノがこの版を使っていたようです。
指揮者のDenéve(デネーヴ?)はフランス出身の未だ若い指揮者ですが、ショルティやプレートルの元でアシスタントの経験を積んだり、サイトウキネン・フェスティバルでも小澤さんのアシスタントをしていたようです。演奏会は何度か聴いた事がありましたが、フランス物はさすがにお手の物で、しっかりとツボを押さえ、雰囲気も十分で安心して聴く事ができました。
フランスも若い世代で中々この人と云えるような指揮者が育って居なかったので、
この人は久々の期待ができる指揮者かも知れません。
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演出はLaurent Pellyと云う人で、初めてみる演出でしたが、中々良く考え抜かれた物で、
説得力がありました。
若干モダンなスタイルながら衣装(デザインもPelly)や小道具や装置の装飾部分などは
ちゃんと物語の時代に沿ったスタイルで納得ができます。
当然オランピア(人形)のシーンなど仕掛けも面白く喝采を浴びていました。
暗幕をバックに歌に合わせて自在に宙を飛び回り、観客をオッと驚かせていました。
アリアのフィナーレが近づいた頃にカーテンの後ろからクレーンが三人の黒子に操られながら登場し、
それがグルグルと舞台中を回りハラハラする程でした。

2幕目はアントニアのシーンで一番地味な所ですが、このアントニア役をナタリー・ディセーが歌い、
そのしっとりとした歌唱力にじっくりと聴き入る事が出来ました。
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それに演出も退屈させないよう、ミラクル博士をあちこちから登場させたり、
挙句の果には奈落からランタンに乗ったミラクルが宙に吊り上がって来るという大胆なものでした。
舞台の三方向にセットされた階段はホフマンがアントニアと出会ったシーンでは、
会ってはいけない関係を暗示させる意図か中央のブリッジが壁ごと離れて行き邪魔をしますが、
とうとう抗しきれずに又繋がってしてしまうと云う手の込み様でした。

ジュリエッタのシーンも室内ですが、ソファーに寝そべったジュリエッタがカーペットごと静かに
ニコラウスの座っている所へと滑るように動き、ゴンドラをイメージさせていました。
ここで歌われる全曲中最も有名な「舟歌」は甘いメロディに乗ってロマンティックな雰囲気を醸し出しています。
ソプラノとメゾ女声二人によるこの二重唱はとてもハモるのが難しいそうですが、
途中から合唱も加わって心地よい響きの中に浸る事が出来ました。

それに全幕を通して照明が実に上手いし、プロジェクターの扱いも面白く、あちこちに色んな映像が
投影されますが、何処にプロジェクターが設置されているのか結局分からない程上手く処理をしていました。

ラテン系の劇場では良くある事ですが、結構長い出し物にも拘らず開演が20時と遅く、二回の休憩時間も
たっぷりと取ってあるので、終演はとっくに0時を回っていましたが、とても楽しむ事が出来ました。

このオペラは、昔クリュイタンス盤のレコードがパリ・オペラ座の夜景がドンと写っている綺麗なジャケットで
印象的だったのですが、如何せん内容も良く知らなかったし、3枚組なので当然手が届かない値段だったので、
あの頃は全く親しむ事もなく別世界の物として過ごしてきたのですが、こうして観るにつけ段々と親しんで、
今やとても好きなオペラの一つになり感慨深い物があります。
何年か前だったかパリのとあるアーケードをブラブラうろついていたら、レストランやお店と同じ並びで、
まるで埋もれるようにあったブフ・パリジャンに遭遇しました。
これはオッフェンバッハが自分の作品のために建てた劇場で、今も軽演劇や小さなコンサート会場として
連日のように使われています。
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中には入っていませんが写真をみると、可愛いながらちゃんと歌劇場の雰囲気をもった会場です。
オッフェンバッハが活躍した時代にはさぞ賑わった事でしょうが、今も現役として生活の中に溶け込むように存在している姿には、嬉しさと共に感動を覚えました。

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by Atelier-Onuki | 2013-03-09 23:39 | オペラ | Trackback | Comments(0)