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「バイエルン放送交響楽団とデネヴェ、シャハムの演奏会」から

昨夜の演奏会は雪がちらつく寒い夜でしたが、自ら鞭を打ちながら会場のヘラクレス・ザールへと向かいました。
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プログラム前半はプロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」からのシンフォニック組曲とチャイコフスキーのバイオリン協奏曲とロシア物が二曲、
後半はルーセルの交響曲3番とラヴェルの「ラ・ヴァルス」と云うフランス物が二曲でした。

当然メインの曲はソリストにシャハムを迎えたチャイコフスキーですが、私個人的には最後の「ラ・ヴァルス」が入っていたので楽しみにして行く事にしました。

前半のロシア物はやはりこの日のように寒い日に聴くには相応しい音楽です。

特にチャイコフスキーは期待以上の出来だったかも知れません。

シャハムのバイオリンは少し線に細さを感じますが濁りがなく清涼な音色です。
それに弱音も綺麗でエネルギーも失われる事がありませんでした。
チャイコフスキーは随所に甘くてセンチメンタルな旋律が現れとてもベタな趣味になることが多いのですが、
(私はこのベタな感じも好きなのですが・・・)
彼はその感情に流され崩れることがなく、スマートで純音楽的に捉えていて品を保っていました。
唯、時折盛り上がって来る箇所ではコンサート・マスターの方へグッ~とよって行ったり、或いはヴィオラの方向へ詰め寄っていったりと、
ちょっと見た目には動きすぎる傾向があるようで、
この辺をもう少しクールに品良くなって行くと、かつてのシェリングの様な品格のあるスタイルに近づいて行けるのではと感じました。・・・
(私はシェリングの生を聴く機会がなかったので偉そうな事は云えませんが。)・・・

さて、後半最初はルーセルの3番でこれは大昔ミュンシュの演奏で聴いたこともあったし、その後クリュイタンスのレコードでも聴いていたのですが、
どうも一向に理解が出来ないようで、結局この日も楽しむことが出来ませんでした。
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暫しの我慢の後、いよいよお目当ての「ラ・ヴァルス」です。
ラヴェル流のワルツ、「ラ・ヴァルス」はちょっと怪しい雰囲気で静かに鳴り始まった瞬間から、別次元の音楽で超一流の雰囲気、風格が漂っています。

日本の現代作曲家の間ではもっぱら「こんなラ・ヴァルスのような格好良い曲を書きたいなぁ~!!」なんて云われるほどで羨望の一曲です。

ラヴェルはピアノでの作曲段階から既にこの部分はどの楽器と、どの楽器がどう絡まってと、
自然と頭の中にオーケストラでの演奏のニュアンスが浮かんで来たそうです。
ですからオーケストレーションの魔術師とも云われ、それは色彩感が豊かでありとあらゆる楽器が絶妙に絡みあっています。

ラヴェルの音楽は録音でも充分楽しめるのですが、この絶妙なニュアンスや色彩感、
楽器群の絡みや不思議な響きなどはやはり生だとより明確に聴こえてきて、
録音では聴き取れなかった効果までも体験する事ができます。

不思議なリズム感を持つワルツは高揚して行き、曲は唸り複雑に絡み合いながら、
その軋みは陶酔して行きながらクライマックスの爆発で閉じられました。
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結局この夜はこの作曲家の格の違いをとことん思い知らされた演奏会でした。



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by Atelier-Onuki | 2013-11-29 23:20 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

「イタリアのファイン・コスト」

ここ2週間ほど厄介な仕事を抱え忙しくて精神的にも疲れのピークでした。

やっと週末を迎え気晴らしに何処かへ出かけたかったのですが、
生憎外は冷たい雨がしとしと降っています。
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家に居るだけだと体に良くないので、散歩がてら近くにあるイタリアのファイン・コストの店を訪ねてみました。
ここは滅多に通らないのですが、偶に電車の運行が不順だったりするとバスで回避するときに通る道に面していて以前からちょっと気になっていました。
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お店はそこそこの大きさで陳列されている食材はさすが全てイタリア製、
お客さんもイタリア人が多く、店の中はイタリア語が飛び交っていてもう気分はイタリアにいるようです。

ワインも種類が多くどれもこれもスーパーやデパートでは見かけた事がないものばかりです。

どれが美味しいのやら見当もつかないので、どれにしようかと眺めていましたら、
後から来た夫妻が何のためらいもなく赤・白2種類のワインをそれも2本づつワゴンに放り込みました。
オット思わず「これ美味しいの?」と尋ねてみると、嬉しかったのかニコッとしながら
「これは美味しいよ・・・それにこれも良いわね・・・」と暫しのレクチャーが始まりました。

もう何本もお勧めを教えてくれるので返って迷いそう・・・それにお値段も良心価格。
結局、気がつけば5本もカートに押し込んでいました。
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それにお惣菜やハム類も美味しそうです。
ハムはドイツの物もとても美味しいのですが、私の知る限りイタリアのプロシュートが一番好きです。
直径が30cmほどありそうな大きなハムの塊を薄くスライスしてくれます。
それにイタリアのハムと云えばパルマ・・・この生ハムも絶品です。
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今日はこれにパルメザン・チーズも買ってスパゲッティにしました。

麺は生が売っていなかったのですが、乾麺を塩味だけで茹でてパルメザンにパルマ、ルッコラを乗せれば完了です。

さてワインはどれにしようか又迷うところです。

まぁ取り敢えずはここ暫く当たりが続いているルガーノの白で一杯です。

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by Atelier-Onuki | 2013-11-24 03:58 | ミュンヘン | Trackback | Comments(0)

「マゼールと昼食を」・・・

なんてタイトルを書くと一緒に行ったようですが、実は偶々レストランで今日見かけただけです。

お昼は会社の近くにあるこの日本レストランへ行く事が間々あるのですが、
ここはミュンヘンでも高級感漂うレストランで元々はドイツ人経営のレストラン・バーだった所を受け継いでいますので、
インテリアも下手な日本風なんて関係なくちょっとモダンなお洒落で落ち着いた雰囲気です。

それに隣がケンピンスキーと云うドイツでも格式が高いホテルですので、ここの宿泊客も良く訪れているようです。
ミュンヘンに客演に来ている著名な音楽家などもここに泊まる事が多く、ムーティさんやランランなどもこのお店を訪れた事があります。

一年程前ですがこれも偶々近くの席をフト見ると、見覚えのある紳士が美人連れで座っていました。
気付かれないように良く見るとその人は何と、ジェームズ・ボンドでした。(ダニエル・クレイグ)
「いや~ボンドもお忍びで来るのだ!」と、勝手な想像を膨らませていました。

この店の客席は通りに面して床から天井まで大きなガラス窓になっていて、その前を通ってから入るのですが、
いつも私が好きな角の席が空いているかどうか見ながら歩いています。
今日はその席にはお爺さんが一人で座っていて、「まぁ仕方がないなぁ~」とそのお爺さんを見ると目が合ってしまいました。

お昼なのに小付を肴に小さな桶で冷やされた冷酒をチビチビやっていて、
「粋なお爺さんだなぁ~」と見返すとそれはロリン・マゼールさんでした。

ミュンヘン・フィルの音楽監督ですからここにいても何ら不思議ではありません。

古参の従業員の人にそっと「彼、よく来るの?」と尋ねたら、「ああ~あの方はよく来られますよ、この間も
バイオリンで有名な・・・なんて言ったか?・・そうそうギドンさんと来られていましたよ。」
「あの方は確かエ~と マ~ の付く人でしたよね・・・」
と云う具合で、お店の人も気づかない程で、返って居心地が良いのかも知れませんね。

こうして益々日本食の地位が上がって行くのはとても嬉しいことです。

暫くの間食事をしてた彼は悠々とした歩みで帰って行きました。



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by Atelier-Onuki | 2013-11-22 03:56 | Trackback | Comments(0)

たった一人の「30周年」・・・

まぁ他の人にとってはどうでも良い事なのですが、私にとって今日は記念すべき日でした。

それは昨日、来年用のカレンダーを買いに行ってフト思い出したのですが、
かの昔11月17日に成田を発って今日でちょうど30年が経っていました。

まぁ1年位持てば良いかと思い立って出発しましたが、まさかこんなに長く滞在するとはその時は想像もしていませんでした。

航空券もその積りで1年間オープンの物を探した処、シンガポール・エアラインの南周りが唯一存在し、
それでも38万円という当時としては高い料金でした。

成田から 台北 ‐ 香港 ‐ シンガポール ‐ バンコック ‐ ダッカ ‐ フランクフルト と言うルートで39時間のフライト、
そこから列車で更に8時間かけてやっと目的地のウィーンへ到着しました。

まぁ今よりはちょっと元気な年代だったので何とか持ちましたが、それはハードな旅程でした。

それでもシンガポール・エアラインは機内食が美味しく、それぞれの経由地の名物料理もちょっと提供していて、
毎回の食事が楽しみになって行きシンガー・ビールも何杯飲んだことでしょうか。
それにスチュワーデスの人たちに美人が多く、サーヴィスも親切でこの長旅を和ませてくれました。

フラフラしながら辿りついたウィーンでは後輩のAさん夫妻が出迎えてくれ、
早々にその夜からお世話になるTさん宅へ向かいました。

Tさん夫妻は次の日から二ヶ月間、日本へ里帰りをされるそうで、
その間ここを借りながらアパート探しをしたらと、Aさんたちが考えてくれていました。

ここはアパートと云っても古い倉庫の二階を住居として改装したとの事で、
それは天井も高くて広々とした部屋はまるでキャッチ・ボールでも出来そうな程でした。

夕食を頂いたら堪らなく眠くなりウトウトとしだしました。
全開の石油ストーブの脇にある簡易ベッドに潜り込ませてもらい、
次の日に起きた頃にはもうTさんたちは出発した後でガランとした大きな部屋で一人ポツンと取り残されていました。

いよいよ、この日からヨーロッパ生活の第一歩が始まりました。

思い返せば色んな事が走馬灯の様に蘇ってきますが、
今思い返せば辛かった事、楽しかった事の全てが良い思い出となって懐かしく感じられます。

ここまでやってこれたのは確かにラッキーな部分もありましたが、それぞれのターニング・ポイントや、
日頃の生活の中でも色んな方々にお世話になり感謝の気持ちがしみじみと込上がってきます。

この計画性のない長旅はこの先いつまで続くか分かりませんが、
日々、一日一日大切に過ごして行きたいなぁと思っています。

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by Atelier-Onuki | 2013-11-17 23:26 | 所感 | Trackback | Comments(2)

ついでにブラチスラヴァも・・・

この処、プラハの話しが続きましたが、この際ついでにブラチスラヴァでの出来事もご紹介させて頂きます。

これは母と行った時ですが、実は他にも叔父と知り合いの染色家の方も一緒の四人での旅行でした。
デュッセルドルフを出発しウィーン、ブタペスト、そしてブラチスラヴァを経てプラハへ入る日程でした。

この頃は共産圏だったのは既に書きましたが、チェコも未だチェコスロヴァキアと云う一つの国でブラチスラヴァはスロヴァキアの首都でした。
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「憧れのブラチスラヴァは」

この年は水墨画の叔父と、親しくしている染色家の二人展をデュセルドルフで開催しました。

展覧会も終わり母を交え四人で旅行に出かける事になりました。
この頃は三都夢紀行とか言ってウィーン、ブタペスト、プラハとかつてのハプスブルク家時代の三都市が、
旅行のブームで我々も出かけてみようと言う事になりました。

デュッセルドルフから夜行に揺られ楽しい旅が始まりました。
懐かしいウィーンでは当然ながらオペラやコンサートを楽しみ、ブタペストでは一度行ってみたかったゲレルト・ホテルの温泉に浸かったり、
眺めの素晴らしいヒルトン・ホテルで過ごしました。
ブタペストからはローカルな電車に揺られ一路プラチスラヴァへと向かいました。
当時は未だチェコも共産圏で電車も駅も,それに路線も手入れが行き届いてなくて、
所によっては草が茫々生えているヒョロヒョロの線路をお構い無しに進んで行きました。

プラチスラヴァはウィーンからたった六十キロ程ドナウを下った所にありウィーンに居た頃も一度は行ってみたいなあと思っていました。

春になりお天気の良い日にはグリンチィングからウィーンの森を抜けカーレンベルクという小高い丘へと出かけるのはとても気持ち良く楽しみでした。
ここからはドナウ川の向こうに広がるハンガリー平原が素晴らしく見渡せます。
行く度に、あのスメタナのオペラ「売られた花嫁」に出てくる素朴で柔らかい丘陵地帯、それに「モルドウ」における暖かく緩やかな支流の風景、
想像するだけでもう「このドナウを下ってボヘミアへ行ってみたいなあ」と思いを馳せていました。

さて、我々の車窓からの風景は私が想像していたあの長閑でロマンティックな田園風景は殆ど見つけられないまま、
とうとう列車はブラチスラヴァへと入ってしまいました。
ごちゃごちゃとした町並みが続くばかりで、中央駅に着きましたが殺風景で人ばかり多くチェコスロヴァキア第二の都市にしては驚くほど小さな駅です。
取り急ぎホテルまで古めかしいタクシーにすし詰めになって向かいました。

当時共産圏のホテルはブタペストでもそうでしたが何故かエレヴェーターの前に小さなソファとテーブルがあって
四六時中人が座っていて新聞や雑誌を読んでいます。
それもどの階に行っても同じ様に何気なく座っています。
此れはきっと秘密警察かなんかの人でずっと監視していたのでしょうね。

休息の後、何とか気を取り直し出かける事にしました。
染色家の先生が民族衣装や民芸品を見たいと云うのでホテルで尋ねたところ、丘の上にあるブラチスラヴァ城が民族博物館になっているとの事、
又もや古めかしいタクシーに乗り込んで向かいました。

街は意外と大きく古い建物は手入れがされないまま煤けた感じで往時はきっと立派な建物だったのだろうなと想像しなければなりません。
それに此れも共産圏独特の光景ですが戦後の建物は皆味気がなく殺風景なビルが乱立している感じです。
やっと小高い丘の上に建つお城が見えて来ましたが、此れも四角い箱に鉛筆のような形の鐘楼が四隅から突き出しているだけの厳つく地味な建物、
何でも地元の人はその形状から逆さテーブルと呼んでいるそうですが、此れも見ただけで既に気持ちは暗くなり中身も想像できそうです。

重い雰囲気の中、展示品を見て歩きました。
さすがに楽器など見ごたえのあるものでしたが如何せん展示方法も味気が無く西側の諸国で見る様な楽しさなどは沸いてきません。

やっと出口近くにあるショップまで辿り着き皆は絵葉書など見ている間、ホッと一息タバコを吹かしました。

その途端突如、奥の方から大柄で厳しい顔つきのおばさんが現れ、それはそれは激しい口調で
「此処は喫煙できない、直ぐ出て行きなさい」と云った内容の事を大声で怒鳴りました。
慌てて外へ出て消し終わった後、恐る恐る引き返し様子を伺っていると、
どうもこの人は班長らしく腕に赤い腕章を付けていて、キビキビと他の職員に指図をしています。 
もう閉館時間が迫っているのに、ガランとした館内でのんびりと見学している我々東洋人にちょっと苛立っているようです。
「では、そろそろ・・・」と静かに皆を促して外へ出ました。

さて、ホテルまでタクシーと思ってもここは丘の上でこのお城以外は何もなくガランとした広場があるだけです。
先ほどのショップに戻って頼むにもちょっと怖いので、見渡した処、守衛室らしき小屋を見つけました。

ここならきっとタクシー位呼んでくれるだろうと居合わせた初老の守衛さんにゆっくりとドイツ語で説明した処、何とか分かってくれた様です。
傍らにあるゴツイ電話機のダイヤルをグリグリ回して待っていますが中々相手が出ないようです。
やっと繋がったらしく何やら話していますが、その感じからどうもタクシー会社ではなく誰か別の人と話している様子で、
話し終わった後、彼の口調からは良い返事ではない事が感じられました。

さて如何した物か思案していると、そこへ先ほどの班長さんがやって来て何事か険しく議論が始まる始末。
もうこれではお先真っ暗、足の悪い母親を励ましながらゆっくり丘を下るか、それとも下までタクシーを拾いに行くかと思案をしていた時、
彼女から強い口調で「もう少し待ちなさい!」と云われ「ハハッ!」と指示に従う事にしました。

どうも様子から察すると電話の相手は誰か指示が出せる上官と話して居る様子。
きっと彼らは勝手にタクシーを呼んだりする事が禁じられているのでしょう。

やっとのこと下からエンジンの音が聞こえて来たのは、退出してからもう一時間は経っていたでしょうか、既に空は薄暗くなりかけていました。

きっとあの厳しい班長が呼んでくれたのだ、タクシーを迎えに外へ出た我々を心配そうに付いて来ました。
本当に助かったのでお礼の気持ちにと少し大きめの紙幣を包んで別れ際に握手を求めました。
それに気付いた彼女は又大きな声で「ナイン、ナイン!!」と厳しく諭すので、とうとう諦めて乗り込みました。

もう一度お礼を云おうと窓を開け彼女を見上げた処、何と先ほどの班長さんではなく、
そこに立っていたのはとても気の良さそうな素朴なオバサンでした。
ホッとした表情でニコニコ笑って手を振っています。

タクシーは曲がりくねった坂道を下って行きました。
夕闇に見えなくなるまで手を振っていました。


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by Atelier-Onuki | 2013-11-15 23:57 | チェコ | Trackback | Comments(0)

「プラハの思い出」

この街を初めて訪れたのは確か1986年だったと記憶しているのですが、
当時は未だバリバリの共産圏で精神的にも遠い国でしたので、まさか行こうとは思ってもいませんでした。
それが突然の所要で赴く事になったのですが、今とは違う風景やシステムで時代錯誤に陥る別世界でした。
その時の事を書いた文章がありましたので、今回ご紹介させて頂きます。

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「初めてのプラハ」

もう随分昔の事ですが、私が始めてプラハを訪れる機会は何の予知も無く突然やって来ました。
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この年テニスのフェデレーションカップが初めてプラハで開催される事になりましたが、チェコからアメリカに亡命していたナブラチロアの扱いについて、
入国を拒否していたチェコ側と米国人選手としての登録を条件に参加すると要求していたアメリカ側との間に軋轢が生じていました。

そんな中、我々のクライアントがメイン・スポンサーをしていて、この大会の度に何かと広告活動とかホスピタリー・ルームとかの設営をお手伝いしていました。
既に担当者がプラハ入りをして打合せをしていたのですが、何しろこの頃のチェコは物の乏しい時代でうまく事が運ばなかった様です。
そこで隣国のドイツから何とか支援してくれないだろうかと依頼が入りました。

電話の向こうは蚊の泣くような微かな声で中々聞き取れません。
細かな内容について打ち合わせるにも電話は全て公の交換を通じなければつないでくれませんし、
未だファックスも無くテレックスでのやり取りです。
とうとう痺れを切らした相手の担当者は「明日できるだけ早く来て相談に乗って!!。」との事。
と云っても当時はヴィザが必要でボンに有る大使館に直ぐ行っても明日朝までに発給されるかどうか
「とにかく来てくれ、迎えの人を送るし飛行場でヤン・コデシュと云う人から招待を受けていると言えば入れてくれるから。」と、
とんでもない荒っぽい指示を信じるしか術がなく、朝一番で飛ぶ事になりました。

ところが当日乗り継ぎのフランクフルトまでの便が遅れ予定の飛行機には乗れず一日2本しか無い次の夕刻の便になりましたが、
電話連絡を取ろうにも何ともうまく繋がりません。なす術も無いまま行ってみる事にしました。

双発の飛行機もイリュージンか何かロシア製の古いもので、昔映画で見た様な丸い窓が付いています。
機内サーヴィスは大瓶のピルゼン・ビールを一人ひとりグラスに注いで回るという、のどかな物です。

あえぎ喘ぎ飛行機はやっとプラハ空港に着陸しました。
こんなに遅れたので迎えの人は本当に来てくれて居るだろうか、不安一杯で降り立ちました。

薄暗い検問所で探せども迎えの人らしき姿が見えません。
言われた通りヤン・コデシュと言う人から招待されて急遽来なければ成らなかった理由を説明しましたが係官は何とも素っ気無くまともに取り扱ってくれません。
「ヴィザが無いのだから次の便でドイツへ帰りなさい。」と言うだけです。
次の便と言っても明日まで有りませんし、押し問答をしながらも半ば空港で一夜を明かそうかと、覚悟もし始めたとき、
近くで聞いていたのか航空会社の女性が「私が何とか連絡を取ってみるから暫らく此処で待っていなさい。」と声を掛けてくれました。

もう、彼女に縋るしか手は有りません。正に地獄に仏とはこの様な事かこの人が優しく綺麗に見えたのは言うまでも有りません。
暫らくして戻ってきた彼女からはもうテニス協会には誰も居なくて連絡がつかないし、頼りのコデシュさんは電話帳に乗せていないので連絡がつかないとの事。
「もう少しあちこち聞いてみるから待っていなさい。」と心配そうに言ってくれました。

誰も居ないがらんとした待合室で既に一時間以上待ったでしょうか、やっと彼女が戻ってきました。でも今度はニコニコ笑っています。
これはきっと連絡が付いたのだろうと直感しました。「やったわ!」、と言わんばかりの顔をして「ホテルに居るコデシュさんと連絡が付いたわ、
直ぐ一緒に来なさい。」と例の係官控え室まで直行し事の経緯を説明してくれました。
「よし分かった。」とばかりに大きな判子を取り出して私のパスポートにドンと入国許可印を押してくれました。
たった二日だけの滞在予定でしたが、そこには三ヶ月有効となっていました。

お礼もそこそこにホテルへと向かいました。
やっと辿り着いたホテルではコデシュさんも含めまだ打合せの最中で「いや~良く来てくれた。」と手荒い歓迎を受けました。
早速打合せをしましたが、彼方此方から興味しんしんの視線を感じていました。
やっと遅い夕食に行く事になり、先にチェックインをすませようとカウンターに行きましたら、「貴方達はテニスの仕事で来ているのか?」と尋ねられました。
「どうして分かったの?」、「だって、ヤン・コデシュと打合せしていたでしょ。」、「あの人そんなに有名なの?」、
「何、言ってるの、彼は我々の英雄だよ。」よくよく聞いてみると何でもチェコ選手でウィンブルドン唯一の優勝者らしく大変な人気があるそうです。
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この当時私はテニスの事はまったく無知でなれなれしく話していた相手がそんなに有名な人だとは知りませんでした。
そう言われて見直してみると誠に身なりも良く格好のいい紳士である事に改めて気付きました。

さて食事へと向う事になり、日本からの3人はタクシーに乗り込みましたが、何故か私だけが彼の車に同乗する羽目になり、
この辺から話すにも何だか緊張していました。

カレル橋の袂にある小さなホテル・レストランを予約してくれていました。
チェコ語読みは忘れましたがスリー・オストリッチというレストランで彼曰く此処がプラハで一番良いと言っていました。
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話題は当然テニスに関する事に集中し、彼のウィンブルドンでの出来事を伺いました。
当時彼は控えの選手だったそうで、出場予定の選手が怪我をして急遽出番が回ってきたそうです。
まさか決勝まで行けるとは思っていなかったそうですが決勝戦当日は緊張の余りお腹を壊してしまい、
やっとの思いで食べたジャガイモ1個だけで戦ったそうです。

食事は雰囲気も料理も素晴らしいものでした、それにワインが美味しい、
ドイツでもチェコワインは見たことがありませんでしたがこんなに美味しいとは知りませんでした。
さて、お勘定となり東京から来ている担当者から「これで払っておいて!」と、1000コルナ札を受け取りました。

さて、殆どフルコースに近い料理を五人で食べて、しかもワインを何本開けたのだろう、果たしてこれで足りるかどうか不安でした。
足りないと恥ずかしいので厨房近くまで行って尋ねたところ 九百何十 コルナと言っています。最初は「えっーと。」耳を疑いました。
これは当時の公式レートで1万8千円位、間違いではと思われる安さ。
でも驚いたのは、実際にはもっと信じられないほど安く感じたからです。
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実はホテルへ向うタクシーの中で運転手から両替をしてほしいと言われ、百マルクを闇で交換しました。
当時の公式レートは400コルナでしたが、彼は何と 4倍の1600コルナもくれました。
この感覚ですと、お勘定は実にたったの4500円程になります。
びっくりするやら疑うやら、これだけ美味しい料理に素晴らしいサーヴィスをしてくれて、
しかもこんな値段、もう恐縮しきり申し訳なくてあっけに取られていました。
何だかとても悪い事をしてしまったような罪悪感さえ覚えました。

この闇の両替はいたる所で聞かれました。
当時は強制両替と言う制度があって一日 ドイツ・マルクですと 40マルクを公の両替所で換え証明書を出国する時に見せなければなりません。
ある時ホテル内の両替所で換金しようと窓口に行くと係官が「此処では駄目だ5分後にトイレで会えるか。」と言います。
此れは闇で換えたいのに違いないと思いつつ行ってみると、案の定 幾らでどうだと切り出す有様です。

本当にこの頃のチェコには物が無くどの店頭にも殆ど品物が並んでいませんでした。
唯一、輸入品を扱ういわゆる外貨ショップには大勢の人が並んで買い求めているのを見かけました。
先ほどの打合せでもテラスに人工芝を敷きたいと言うクライアントの意向に対し「グリーンの薄いカーペットならあるけど。」
という有様でこれもドイツから送る事になりました。

全ての打合せを終え、外国へ持ち出す事が禁止の使い切れなかった
コルナはボヘミアン・グラスに化けて鞄をいっぱい膨らませていました。

プラハを後にし機は次の予定地ウィーンへと向かいました。
タクシーは同行者の宿泊先インター・コンチネンタルへ直行しました。
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ゴージャスでゆったりとしたロビーに大きなシャンデリア、どこからと無く静かにワルツが聞こえて来ます。
チロル風の衣装に身を包んだ愛くるしいお姉さんが注文を取りに来ました。
「何か冷たくて美味しい物下さい。」、
「ではキール・ロワイヤルでも如何ですか。」、ああ、やはり自由な国は良いなと痛感しました。


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by Atelier-Onuki | 2013-11-11 20:20 | チェコ | Trackback | Comments(0)

あの時のプラハは・・・

前回の項で母親とプラハに行った時のことにちょっと触れましたが、その結末について今回は母の文章を載せさせて頂きます。
彼女は文学少女(婆さん)で死ぬ間際まで「カラマーゾフの兄弟」なんて大作を読んでいましたし、
同人誌にも加盟していて、ちょっと旧姓をもじった“松田 伊津子”と云うペン・ネームで毎月投稿していました。
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「 白 い 手 袋 」

松 田 伊津子

ゆうべはフォルクス・オーパーでウィンナーワルツを聴き、今朝は南駅10時20分発の「ウィンナーワルツ号」に乗って私は共産圏の国に旅立つ。
見送りに来てくれたのはギターリストのTさん夫妻である。

私は何回ウィーンの駅で見送られた事だろう。以前もこの駅から夜行列車でヴェネチアへ向う私を彫刻家のAさんが見送ってくれた。
広くてひっそりした長い長いホーム。列車の窓はホームからかなり高くて見送る人と見送られる人はお互いの顔を見下し見上げてなごりを惜しむ。
まさに映画「終着駅」の世界である。

Tさんはお弁当をくれた。おにぎりと麦茶に紙コップまでそえて。
おにぎりの中には明太子、うめぼし、かつおが入っていた.これらの物はウィーンでは得難い貴重品である。
のりはしめらぬように別にラップに包んであった.細かい心配りである。
長い旅を続けている私にとって、これは高級レストランの食事にも勝る有難いなつかしい食べ物であった。

列車はひたすらボヘミアの草原を走る。地平線まで続くかと思われる果てしない草原である。
時たま羊や牛が放牧されているけど人影はない。

広々としたプラハ駅は屋根も柱も真赤に塗られている。異様な気がした。パンでも買っておこうと売店を探したが見当たらない。

やっと一つ見つけたけどパン等売っている雰囲気ではない。
「私は日本とえらい違いや。日本やったらどこの売店でも一杯食べ物があるのに。」と文句を云う。
息子が「あんたは共産圏の国にきているのだよ。それを忘れんように。言葉や行動に気を付けて。」と注意する。

プラハは空襲がなかったのでゴシック調の建物が並び中世そのままの町であった。
 
豊かに流れるモルダウ。これぞスメタナやドヴォルザークの国モルダウの流れである。
秋10月木々の葉は黄色に色づき最早や散り始めている。カサコソと落ち葉を踏み分けて私は岸辺に立った。

有為転変のこの国の歴史を写して変る事なく流れるモルダウ。
いとしのモルダウよわが祖国よ。スメタナの心が私にはわかる。
豊かな水の底からスメタナの「わが祖国」の曲が聞えたと思ったのは秋の日ざしの中で見た一ときの夢だったのだろうか。

それを醒ますかのように一じんの風が吹いた。
木々の黄色い胡蝶のように乱舞して私の足元にそして流れの上に落ちた。
私はその一枚を拾い本の間にはさんで「モルダウの岸辺にて」と書きそえた。

そしてモルダウをはさんでプラハ城が望まれた。
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私達は車でプラハ城へ向った。道巾も中世のままなので狭くて迷路のような石畳の道をバリバリ音を立ててあえぎながら城の表門に着いた。

門の両側にはいかめしい兵隊が警備している。城門の中にはちょっとした小さい町のような広さで大きな教会もあった。

特に面白かったのが黄金横町で昔ここに黄金職人が住んでいたことである。
細い路地裏のような所にボール紙をブルーや赤や黄色にぬって折りたたんだような小さい家が長屋みたいに建っていた。
今にも戸が開いて七人の小人が出てきそうな気がした。
その横丁を通りぬけると間もなく裏門である。
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しかし町まで降りて行くには果てしなく続く長い階段を降りてゆくか、さもなければ500m程の迷路のような石畳の道を降りるかである。

足の悪い私にはほんとうに辛い事である。ここまで車を呼んでほしい。
城門を警備している兵隊にたのんで電話をかけてもらわねばならぬ。
しかしここは共産圏の国、そして城は国営である。余程の理由がない限り私用で電話を使うことが出来ない。
公の電話を使うには上の人の許可がいるのである。

息子が一生懸命ドイツ語で私のお母さんは足が悪くて下まで行けないからタクシーをここまで呼んでくれるかと云っているが
兵隊はドイツ語も英語もわからないらしい。

やいやいいっていると5・6人の兵隊が出てきた。
彼等は私が足の怪我をしたのだと勘違いして救急車を呼ぶのか医者が必要なのかと聞いているらしい。
息子が救急車ではなくタクシーだと云ってやっと納得したらしくて電話をかけてくれた。15分程したらタクシーが来ると云うのである。

なんとも大そうな国である。やれやれと思って石に腰掛けて待っていたが15分たっても車は来ない。
息子がこの国はタクシーが少ないから仕方がないと云った。

30分たっても45分たっても車が来ないのである。私は耳をすまして石畳を登って来る車を待った。
私はあせり出した。あたりはとっぷり日が暮れて夜空に橙色の大きい半月がかかった。もうあたりに人影はない。
石の城門は重苦しく冷たくそそり立つ。
オーバーを着ていても北国の秋の夜寒はじわじわ足元から冷えてくる。

私はそれでも電話をかけてくれた兵隊を信じて待たねばならぬ。ましてや共産圏の他国の人である。裏切るわけにはいかないのである。

「どうぞ私の車が来ますように」と思わず祈った。とうとう1時間たった時、突然衛兵の一人が靴音高く石畳の坂道をかけ下りた。
私は「ああ下まで車を拾いにいってくれたのだな」と直感した。
夜のしじまの中にひびくあの堅い「たったったっ」と云う靴音が凍てついていた私の胸を打った。

間もなくエンジンの音を響かせて車が上がってきた。ヘッドライトのほのかな光は救いの光のように思われた。
このような事で兵隊が持ち場をはなれる事は大変な事なのに敢えてそうしてくれた。
しかも見知らぬ行きずりの旅行者のためにと思うと涙が頬を伝った。


「足が痛かったらこんな所まで来んでもええがな。」と云ってしまえばそれまでである。
私は車から降りた若い兵隊さんの手を思わず堅く握りしめ、おしいただくようにして「ダンケシェーン、ダンケシェーン」とくり返した。

彼の手のぬくもりが白い手袋を通して私に伝わった。
白という色がこれ程美しく清々しく思った事はない。

それは感動さえする美しさだった。私は走り去る車から振り返って手をふった。
夜のとばりの中で手をふっているあの若い兵隊の顔はさだかには見えなかったけれど闇の中に白い手袋が鮮明だった。
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夜更けにあの兵隊に思いをはせながら再びモルダウ川の岸辺に立って仰ぐプラハ城は
まるで夢の国のようにほんのりとブルーに染まり夜空に浮かんでいた。


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by Atelier-Onuki | 2013-11-09 00:15 | チェコ | Trackback | Comments(0)

明けてプラハは雨・・・

今朝はショボショボと雨が降っていますが、遅い朝食を取ってから旧市街の広場へと向かいました。

それにしても街は見違えるほど綺麗になって、かつての煤で汚れたグレーと褐色の街の面影はありません。
外壁は綺麗に塗装が塗り替えられて、建設当時の美しさを蘇らせていました。
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それにかつては人影もまばらだった広場や至る所に観光客が溢れています。
それは異常なほどの多さです。
ミュンヘンも立派な観光地ですし、ウィーンなどもっと一級品の観光地ですが、ここまでの賑わいはありません。
一体どうしたのでしょうか、世界的に今プラハが流行っているのでしょうか。・・・

街を後にして、今日のお目当てはお墓参りです。
トラムに乗り込みモルダウに沿って南へ3駅ほどで到着、小高い丘を目指しました。
ここはヴィシェフラトと云うそうで、プラハで一番古いお城があった跡地です。
あのスメタナ「我が祖国」の一曲目「高い城」はこのヴィシェフラトのことだそうです。
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ダラダラと丘を登りだしましたが、パラパラと訪れている人達がいます。
丘を登りきると城壁の中央には教会が建っていて、その左側にへばり付く様に趣のある墓地が広がっています。
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観光客もそこそこ来ていて墓地にしては賑わいがあります。
お目当てはスメタナとドヴォルザークですが、ここでは案内板がなくても観光グループが集っている辺りを目指せば直ぐに見付かります。
墓地自体もそれ程、大きくなくほとんど全体を見渡せるので安心です。
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最初のグループに付いていくと案の状、あっけなくドヴォルザークにぶつかりました。
それは回廊の一角に胸像が座していて、バックの壁面には竪琴に木が絡まった様な装飾が施され、
そこから台座が浮き上がっている立派なお墓です。
前のスペースには幾つも鉢植えのお花が供えられていて今なおその功績を称えているようです。
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若い頃は「新世界から」辺りから聴きだして、「スラヴ舞曲」や8番の交響曲いわゆるドボ8に親しみ、チェロ協奏曲なんて大好きな曲ですし、
最近もルサルカのアリア「月に寄せる歌」を聴く機会があって、その甘くも不思議な雰囲気にウットリと聴き入っていました。

さて、回廊に沿って中ほどまで歩き出しました。
途中にはカレル・チャペックのお墓もありますが、私は彼の作品を読んだ事がなくて残念です。
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小高くなっている方を見ると、別のグループが説明を受けています。
遠巻きに聞いているとガイドさんが「タラーラ、ラァーラ、ラァー、ラァー、ラーララァ」と「モルドウ」の一節を歌いながら説明しています。
そうここは間違いなくスメタナさんのお墓です。
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白い大小三本のオベリスクで構成されたお墓は、中央が何処となくベートーヴェンのお墓に似ていますが、
正面にはレリーフ状の大人しい横顔が埋め込まれています。
ここでは先程のガイドさん同様に自然とモルダウの一節が頭の中を巡っていました。

ミシャもここにいるそうですが、余り目立たないお墓だそうで、結局見つける事ができず、これは宿題ということにしました。

お墓を出て城壁に沿って歩いてみましたが、なるほど結構高い位置に城壁が建っています。
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途中小さなブドウ畑もあったりして、ここからの眺めも中々素晴らしいものでした。
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街へと引き返し、カレル橋を渡ってお城へと向かいました。
橋の上には露天商や大道芸までいて、その混み具合はまるでここは「竹下通り?」と
思ってしまうほどの人出です。
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人ごみを掻き分けながら、橋の袂にあるレストランで昼食を取る事にしました。
ここはその30年ほど前に来た時、チェコ人で唯一ウィンブルドンの大会で優勝した
元テニス選手のヤン・コデシュさんに連れていって頂いた思い出深い所でした。
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[ U Tri Pstrosu ] 三羽のダチョウと云う名のホテル・レストランです。
当時は見るからに格別なレストランと云う趣で、それは美味しく頂いたものでした。
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今はお昼のメニューもあるほどで、気さくな感じになり結構若い人達も入っていました。
前菜と主食にデザートが付いて240コルナ、1200円位ですからとてもカジュアルに変容していましたが、
お味はとても美味しく質は保っているようです。

腹ごなしは散歩、丘の上のお城を目指してダラダラと登って行きました。
お城も大勢の観光客で溢れています。
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小さく可愛い家が並ぶ、お決まりの「黄金小路」を抜けお城の裏側まで歩きました。
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今は人で溢れていますが、母親と来た当時は人影もなく寂しいものでした。
ここまで来て、下りの坂道は階段混じりで延々と続いています。
足が悪い母親にはここまでが限界かと、微動だにしない門兵に「これこれシカジカで歩けないのでタクシーを呼んでもらえないか」と頼んだのですが、
これは共産主義時代の当時としては規則違反の難しい問題でした。
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結局はもうすっかり暮れてしまい空には満月が輝く中、延々と待ち続けました。
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この結末は前にも書いた様に母親が良い文章を書いていますので、次回にでも載せさせて頂く事にします。

そんな思い出に耽りながらも、喉は虎屋、虎屋と云いだしました。
今夜はあの気難しいオジサンたちどうしているだろうか。・・・


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by Atelier-Onuki | 2013-11-06 04:15 | チェコ | Trackback | Comments(0)

秋のプラハは・・・

先日プラハから来た人が「今は紅葉が綺麗ですわぁ・・・」と言っていました。
秋のプラハか・・・そりゃ綺麗だろうなぁ・・・ちょうど11月1日が「全聖人の日」という祭日だったので思い立って出かけることにしました。
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中央駅からDB(日本で云うJR)仕立ての直通バスに乗って4時間半ほどで到着します。

プラハはもう随分前、未だ東側だった時に行ったきりで暫く振りでした。
最初に行ったのは30年近く前ですが、突然プラハからヘルプの依頼が入ってヴィザも取得する時間がないまま出向きました。

それはテニスのフェデレーション・カップが初めてチェコで開催された時で、現地での打合せが難航し、
誰か専門家を寄こして欲しいとの事で、白羽の矢が私に当たってしまったのです。

その時は今とは違って閉鎖的な国家でしたからハプニング続きで、貴重な体験をしたのですが、
それを書き出したらえらく長い話になるので、これは別の機会に書かせて頂くことにします。

その後、母親と行った事もあって、この時もハプニング続き・・・
これは母親自身が中々良い文章を残しているのですが、これも別の機会と云う事で。・・・

バスは長閑な丘陵地帯をひた走り、途中の延々と続くホップ畑を抜けレーゲンスブルクを経由すると、間もなく国境へ着きます。
かつてはズラーと戦車が睨みを利かせていた国境も、今は何のコントールもなくあっけなくチェコへと入りました。

バスはプラハ駅に到着、かつての古い駅舎は大工事の真っ最中ですが、未だ以前の東側らしい面影を保っています。
地下鉄に乗るべくエスカレーターを下るとそこはもう新しくなったショッピング・モールで何ら西側と変らなく変貌していました。

ホテルに落ち着き、夜のオペラに備えました。
今回の目的の一つはここで縁のあるモーツァルトのオペラを観る事でした。
唯、ややっこしい事にこの街には三つもオペラ・ハウスがあって、そのどれもがコレッと云った特徴がないので、
どういう関係なのか分かるのに時間が掛かりました。
(未だ、はっきり分かったとは云えないのですが・・・)

この「フィガロの結婚」と云うオペラは当初ウィーンで試演をしますが、そのちょっと貴族をからかった内容はその後の上演が難しくなってしまいます。
そこで手を上げたのがプラハの歌劇場で、その初演は大成功を収め、しかも次の作品の依頼まで受けてしまいます。
そして出来たのがあの名作「ドン・ジョバンニ」でした。

この事もあってモーツァルト自身もプラハが大のお気に入りに、あの38番のシンフォニーには「プラハ」と命名しています。
まぁ我々音楽ファンにとっても、もしプラハが受け入れてくれなかったら、
「フィガロ」や「ドン・ジョバンニ」も今日のように頻繁に上演されなかったかも知れずプラハに恩を感じてしまいます。

当日はエステート劇場での公演でしたが、オーケストラも歌手陣も国立オペラの陣営というややこしさ。・・・
しかも「フィガロ」は国立オペラでの初演ですが、「ドン・ジョバンニ」はこのエステート劇場が初演という、もう頭の中がコンガラガッテしまっています。
それにあの映画「アマデウス」ではウィーンでのシーンにも拘らず、この劇場で撮影をしたそうです。

ちょっと小ぶりですが、白と淡い緑を基調にゴールドでアクセントを付けられた外観はとても可愛らしい印象の劇場です。
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ロビーやクローク、カフェテリアも小さく、あちこちに今なお東の匂いをプンプン発散させています。
馬蹄形の客席には彫刻で装飾が施されシャンデリアと共に長い歴史を感じさせます。
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それにオーケストラ・ピットも小さい事、・・・ せいぜい35・6人?小編成のオーケストラが所狭しと陣取っています。
指揮者用の譜面台を置くスペースすらなく、こりゃ暗譜で長いオペラを指揮するのは大変だなぁ~と心配をしてしまう程です。
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ザバザバザン、ザバザバ、ザバザバ・・・・ザンと軽妙に始まった序曲は中々締りがある演奏で、木管のソロ・パートなども充分楽しめます。
装置はそれ程コストを掛けてはいませんが、まぁまぁ納得ができるシンプルなものですし、衣装はちゃんと役柄に相応しいものを着ています。
歌手陣は小粒ながらも中々良く歌うし、演技も充分こなれていて楽しいものです。
それに劇場が狭いので声の通りが良く、ツイツイ引き込まれて行きました。
それなりに長いオペラですが、集中ができたせいか一回の休憩を挟んでアット云う間に終ってしまいました。

劇場内は特に乾燥をしているので、もう喉はカラッカラ。・・・
ビィール、ビィールと観劇後に迎える最大の喜びの瞬間です。!!

それでもこの夜は直ぐに飲むのを我慢して、お目当ての店へと向かいました。

それは「この店のビールは美味しい。!!」と例の食ベログで読んでいたからです。
唯、小さな店で、お客は殆どが地元の人、それに常連客専用の席まであって、
そこには絶対に他の客は座れないし、店員の態度も凄く悪く閉鎖的である。と・・・

中には入った事は入ったけどビールを飲めないまま帰ってしまった日本人までいて、
そりゃどれほど閉鎖的なのか気になるし、闘争心もメラメラ燃えてきます。

なる程、知らなければ通り過ぎてしまう何の変哲もない店構え、しかも入り口はちょっと廊下を中に入らないと扉がありません。
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いざドアを開けると地元民で、もうワンサカ賑わっています。
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店員も客が入ってきても知らん顔をしていますし、先に入っていた3人が、かろうじて空いていた席に座ったのですが、
すかさず「立て!!」と云われていました。
確かに閉店間近でしたが、余りにも態度が横柄。・・・

暫く見ていると、立派な刺青をしたディスペンサー係りに直接ビールを頼んでいる人もいます。
何だ未だ飲めるじゃないか・・・と一杯注文したらイヤイヤ注いでくれました。

まぁグビッと一口流し込みましたが、・・・ ムム、ウ、ウマイ・・・ 何たる美味さ・・・
これは我がビール史上、体験のしたことがない美味さ・・・イヤ~参った参った・・・

その切れと云いコクと云い格段に美味い、泡もきめ細かく、丁度良い冷え具合で・・・
もうオジサンはメロメロ・・・この態度の横柄なオジサン達にも敬意の眼差しに・・・
気が付けばもう二杯目を頼んでいました。・・・

ドイツは当然ビールが美味しいし、チェコは更にピルゼンやヴドヴァイザーなど美味しい事は知っていましたが、
これほど美味しいビールが未だあったとは初めて知りました。

因みにこの店は [ U ZLATEHO TYGRA ] という名で「黄金の虎」と云う意味だそうです。

ああ又、虎屋でビールが飲みたいなぁ~

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追記

結局、また後から分かったことですが、ここのビールはPilsner Urquellというポピュラーな銘柄で、
それはドイツでも飲めるし好きな銘柄なので何度も飲んだ事がありましたが、
この店の味はやはり別格できっと新鮮なのと注ぎ方に違いがあるのでしょうか全く別物の美味しさでした。
いやはやビールも奥が深そうです。

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by Atelier-Onuki | 2013-11-05 00:56 | チェコ | Trackback | Comments(0)

コッツウォルズ地方を訪れて

先日、ロンドンでの用件がちょうど金曜日まで掛かったので,週末はちょっとコッツウォルズ方面まで足を延ばしました。

それはフランクフルトなどの大きな空港で「何とか先生と行くコッツウォルズ・スケッチの旅」なんてプラカードを掲げたグループを良く見かけます。
それに随分前ですが安野光雅さんがNHKの番組でこの辺もスケッチ旅行に来られている本を読んだ事もありました。

写真で見ていると古い家並みの長閑で雰囲気のある中々良さそうな所ですし、これだけ多くの人達がスケッチに訪れているからには、
さぞかし良い絵の題材になる風景なのだろうなと思っていました。

何でも「コッツウォルズ」は古い英語で「羊の丘」とか云う意味だと何処かに書いてありました。

どうりで途中の丘陵地帯には多くの羊の群れを見かけました。
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さてロンドンのヴィクトリア駅から長距離バスで南西に向けて2時間半サイレンセスターと云う町まで行ってローカル・バスに乗り換えました。
ここからはもう30分ほどでお目当てのバイブリーと云う村に到着です。

バイブリーは我々デザイナーの祖でもあるウィリアム・モリスが「イギリスで一番美しい村」と称えたとか何処かで読みました。

もう途中の車窓からは丘陵地に点在している蜂蜜色と云われている石で出来た古い家々が見えています。
この様式は良く統一されていて壁はもとより屋根も薄く割った石で覆われています。

いよいよ村の入り口にある駐車場でバスを降りると、そこには趣のある古い石橋が掛かっていて綺麗な小川が流れています。
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それに水が澄んでいて綺麗なこと、緑が鮮やかな水草がクッキリとした色でゆらゆらしていて、その間を何匹もの鱒が泳いでいます。
良く見るとここの種類はどうもレインボーが殆どでドイツやオーストリーにいるブラウンではありません。
カモ達に混じって白鳥も2・3羽泳いでいます。

橋の袂には,見事に真っ赤に染まった蔦に覆われた大きなホテルが建っていて、
その名も「スワン」、先程の白鳥を見ていたので納得の命名です。
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お腹も空いていたのでここで昼食を取ることにしました。
ちょうど結婚式をやっているようで、ホテルやバーは込み合っていましたが、レストランは大きくて気持ちの良い雰囲気、
それ程お客もいなくて落ち着いていました。
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コース料理からスープとチキンのグリルを選び、
先ず、ポアロ(太い葱)で味をとったポタージュ・スープが出てきました。

イギリスは概ね美味しくないのでそれ程期待をせずに頂いたのですが、一口食べて
ウッ・・・上手い!!・・・如何したのだろう、これはほんのり甘みがあって相当美味しい味付けです。
続いて出てきたチキンもちゃんと網目の焼き目が付いていて、チキン自体もしっかりとした味があって美味しい、
・・・添え物の温野菜やポテト・サラダもちゃんとした味付けで、こりゃバイブリー侮れない・・・と初認識です。
ロンドンでもなるべく美味しい店を食ベログで選んで行ったのですが、これは今回一番の味でした。

ゆったりとした時間を過ごし満足のまま川に沿ってブラブラ歩き出しましたが、見えている家々は統一された石作りで、
どれもこれも素敵で中々前に進みません。

川の向こうにはもっと古そうな家並みがまるで長屋のように建っています。
ここはアーリントン・ロウと呼ばれる一角だそうで、(後から調べました)何でも14世紀に建てられたそうですからもう700年位前の建物です。
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元々は羊小屋だったそうで納屋を経て今は住居になっているそうです。
ここはこの村でもハイライトなのかパラパラと観光客が歩いています。
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小川に沿って更に一番奥まで行き坂道を上り降りすると、教会の向こうにお城が建っています。
現在はホテルになっていて、ここも見事な蔦が絡まっています。
何でも安野さんが来られた時はこのホテルに滞在されていたそうです。
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この村も隈なく散策をしたので、さらにバスを乗り継いで南下しました。
今度はカッスル・クームと云う村を訪れました。
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ここは谷間にある村でここも良く古い家並みが見事に保たれています。
村の外れにはやはり立派なお城があって、ここも現在はホテルで例によって見事な蔦が絡まっています。
それにしてもこれらの家々やお城には絡まった蔦が良く似合っています。
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村の中心にある、いかにも中世風の教会へ入って見ました。
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ちょっと朽ちかけた墓石が教会を囲む様に点在しています。
それは未だ単純な形で板状の物や箱型の物が殆どですが、それも斜めに傾いていたりして長い年月を感じさせます。
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暫く歩いていて、「これは何処かで見た光景だなぁ。」と思い返していましたが、そうだ
ドニゼッティの「ランメルモーアのルチア」最終幕で出てくる墓場のシーンそっくりです。
実はもう三十数年前にこのオペラの舞台監督をさせて頂いたのですが、全くこれに似たシーンを作ったことを思い出しました。
そう云えばこの話は17世紀ころのスコットランドですから辻褄が合う訳です。

今回は時間がなかったので現地ではスケッチをする事ができませんでしたが、もう描きたくなる風景の連続で写真を一杯撮り溜めしました。

これから寒くなる冬場は家でこれらの題材をボツボツ取り組んで行こうと思っています。




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by Atelier-Onuki | 2013-11-01 01:06 | イギリス | Trackback | Comments(2)