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ロダン美術館 (9月のコラムから)

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パリにはルーブルを筆頭にオルセーなど世界に冠たる美術館が数多存在しますが、ロダン美術館もその一つです。

中心からちょっと離れているので落ち着きのある地区で、すぐ傍にはナポレオンのお墓がある黄金のドーム屋根のアンヴァリッドが建っています。


元々はビロンと云う貴族が住んでいましたが、革命後は女子修道会が引き継ぎ、教育活動をしていましたが、

政府によって宗教による教育が禁じられました。


その後、ここは若い芸術家たちに安く貸し出され、コクトーやマチスらも住んでいました。

その内の一人で詩人のリルケがロダンを招きましたが、すっかりここが気に入ったロダンも一部屋を借り毎日のように通って制作に励みました。


その後、国が買い取る際、全員が立ち退く事となったのですが、ロダンは是非とも自分の作品を紹介する美術館として、

全作品を寄贈することを条件に住み続けることが出来ました。

展示作品は彫刻が6600点、絵画とデッサンが約7000点とほぼ彼の全作品を所有しています。

それにここは館だけでなく庭が広いし、素晴らしく手入れされています。

彼の彫刻作品は屋外に展示されるのを想定して作られていますから、この庭に展開する作品郡は自然と庭に溶け込んでいます。


元来、粘土で元の像を制作し、そこから型をとってブロンズに鋳造するのですが、原則として12点目まではオリジナル作品として認められています。

鋳造の数が進むにつれ、オリジナルの原型が徐々に崩れて行きますが、さすがここの作品は殆どが1点目の物です。


ここではロダン主要作品が堪能できますし、彫刻だけでなく素描などササッと走り描きながらも、彫刻家ならではの描き方で、

もの凄く上手いなぁと感心します。


ロダン以外の作品では、彼の弟子で悲しい悲恋のすえ世を去ったカミーユ・クローデルの作品も館内に展示されています。

特に「分別盛り」(TheMuMature Age)はロダンとの悲しい関係を表現した作品で、胸が打たれます。

それにしても、もの凄い才能の持ち主だった事が伺われます。


もう一つは、何とゴッホの作品で「タンギー爺さん」です。

この人はモンマルトルで画材屋を営んでいましたが、売れない画家たちを援助し、作品を置く代わりに画材を無償で提供していました。

ゴッホもその一人で彼の肖像を3枚も描いています。

これはその内の一枚で最も有名な作品、この絵をすっかり気に入っていたロダンは

タンギーが亡くなったあと、娘さんから購入しています。



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# by Atelier-Onuki | 2023-09-20 00:42 | コラム | Trackback | Comments(0)

アルハンブラ (8月のコラムから)

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私の高校時代の親友でその頃からギターを始め、今も熱心に練習を欠かさない人がいます。 

アンサンブルにも属していてアマチュアながらコンクールで優勝するほどの腕前です。

そんな彼が好んで演奏する曲にフランシスコ・タレガの名曲「アルハンブラの思い出」があります。

彼曰く終始全曲のベースを支えているトレモロは噴水のこぼれ落ちる水滴を表しているそうです。

多分これは「ヘレラリフェ」といわれる離宮にある噴水のことでしょう。

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大きなパティオの中央にある水槽に向かって左右から幾重にも噴水が噴出してアーチを作っています。

この離宮は特に水が豊富に演出されていて潤いに満たされています。

階段の手摺までも水路があって水が流れているほどです。

これらは近くの3000m級の山々が連なるシェラネバダから雪解け水を引いてきているそうです。

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さて、この「アルハンブラ宮殿」(赤い城という意味だそうです。)は

当時イスラム教圏の民族によって支配されていたアンダルシア地方のグラナダの丘に建てられました。

9世紀ころに砦が建てられてから何世紀にも渡って増築されて行き、要塞都市として発展して行きます。

城内には宮殿を初め官庁や軍隊、モスクや学校もあって2000人以上の貴族が住んでいたそうです。

唯、カトリック教圏の国土回復運動(レコンキスタ)によって15世紀に陥落してしまいます。

普通は陥落すると城などは破壊されてしまうのですが、この時の女王イザベラが、この宮殿の余りもの美しさに、そのまま保存することに決めます。

そのお陰で今日もその美しさを観賞することが出来るのですが、そのアラビア風の独特の装飾は繊細で圧倒的な美しさを放っています。

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この宮殿からダロ川が流れる谷を挟んで対岸の丘に広がるアルバイシンの白い町並みも見ものです。

敵からの襲撃に備え迷路のように入り組んだ小道に複雑な町並みを形勢しています。

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ここから更に稜線に沿って進むとサクロモンテと言う地域、ここはロマの人たちの洞窟住居が点在して妖しげな雰囲気をかもし出しています。

今はちょっと観光化されましたが、40年ほど前に行ったときは踏み入ってはいけない感じがしました。

歩いていると洞窟の前にいた恰幅のいい婦人に、急に腕をグイと掴まれ「手相をみてやる!」と中へ引き込まれそうになりました。



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# by Atelier-Onuki | 2023-08-24 00:12 | コラム | Trackback | Comments(0)

プロヴァンス鉄道 Chemin de fer de Provence (7月のコラムから)

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かつてイヴェントの仕事が毎年カンヌであって、よく行っていました。

ある年、仕事が予定より早く終わったので、噂に聞いていたプロヴァンス鉄道に乗ってみることにしました。

ニースへと戻り、街中のちょっと山手にある駅に向かいました。


一般的にニースの幹線鉄道はSNCF(フランス国有鉄道)で、こちらは風光明媚な海沿いを走りますが、

こちらは山岳地帯の渓谷に沿って走るフランスでは珍しい私鉄です。

ニースから終点のディーニュ・レ・バンまで約150kmほどの路線です。

仕事から解放され、ウキウキした気分で乗り込みました。

列車は一般の線路より狭いそうで、その分ちょっと小振り、何だか遊園地にある電車の姉さんと言ったところです。


暫く市街地を走った列車は、程なく川を渡るとすっかり長閑な田園風景となりました。

右手には山々が連なり出し、左手には渓流が流れ、その間を蛇行して走ります。

時折鳴らされる警笛もちょっと鄙びていて、益々遊園地気分です。

そうだ、ここで乗車前に買っておいた少々のお惣菜とロゼの小瓶を取り出し、チビチビと一人宴会を始めました。

しかしこの列車のよく揺れること・・・左右だけでなく上下にも揺れ、ワインを注ぐのもオットット、オットットと大変です。

それでもこの辺のお惣菜やロゼの美味いこと、上機嫌で楽しんでいました。


1時間半ほど揺られ、取り合えずの目的地アノー(Anott)に到着したころには、すっかり出来上がっていました。

鄙びた無人駅をおり、農家が点在する田園地帯を街中へとダラダラ歩いて行きました。

小さな石橋を渡り町中へ入りましたが、古い家並みで続き趣があります。

街といっても小さな集落で直ぐに山手の旧市街地へと入りました。

ここの家並みは壁はもとより、屋根も道も全てがベージュとグレーの石で作られて相当の古さを感じさせます。

洗濯場の大きな水槽も石を掘ったものでした。

更に上の方へと歩を進めると山々には霧が立ち込め、鉄道の石橋や山上の祠が霞んでみえました。


さて、帰りはエクス・アン・プロヴァンスへ回ろうと終点のディーニュからバスでSNCFが走っているシャトー・サン・トーバンの駅を目指しました。

名前にシャトーが付いているので期待しながら到着した駅はポツンと建つ石造りの寂しい駅で、

ガランとしたホームの向こうには白と赤でペイントされた大きな煙突にコンビナートの様相でした。



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# by Atelier-Onuki | 2023-07-26 00:30 | コラム | Trackback | Comments(0)

ラヴェッロ(Ravello)のこと (6月のコラムより)

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アマルフィーを出発したバスは真っ青な海を背景にグネグネと山道を登り20分ほどで終点へ到着しました。

ここはナポリの南、ソレント半島の中央南に位置するラヴェッロという山間の小さな町です。 

何故こんな町へ来たかというと、ワグナーが暫く滞在し「パルジファル」2幕目の花園のシーンを

着想したという庭園が見事なヴィラ・ルーフォロを訪れるためでした。

ヴィラは広場からトンネルを抜けると直ぐ左手に入り口がありました。

これは個人のヴィラでしたが、まるでお城のような佇まいです。

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それに何といっても高低差を上手く使った広大な庭園が素晴らしい。

一番下のテラスはテニス・コートほどある大きな花壇です。

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ここからの眺めも絶景で、ここに仮設ステージを設け、春から秋にかけて音楽祭が催されます。(最盛期は7月から8月上旬)

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当初はワグナーに因んで、彼の作品を演目に取り上げて来たそうですが、現在は色んな作曲家の作品を取り上げています。

毎年、音楽祭のテーマを設け「夢」とか「旅」とかに決められ、それに関連した楽曲が演奏されています。

このテーマの言い方もワグナーに因んで「ライト・モチーフ」と言われています。

出演者も中々豪華で、オーケストラでは近場からナポリのサンカルロ歌劇場のオーケストラやローマからはサンタ・チェチェーリア管弦楽団、

ミラノのスカラ座のオーケストラなど、外国からはロンドン交響楽団やドレスデン・シュターツ・カペレ、

ミュンヘン・フィルにフランス国立管弦楽団などが出演しています。


指揮者もムーティを初めメータやハーディングなど大御所も登場します。


さて、このヴィラを後にして更に奥へと細い道を登って行くと20分ほどでヴィラ・チンブローネの入り口が現れます。

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ここはホテルになっていますが、ここもお城の様な風格がありヴィラ・ルーフォロ同様

広大な庭園が広がっていて、

一番奥にある手摺に胸像が並んだテラスからの眺めが絶景です。

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このホテルにはかつて指揮者のストコフスキーと女優のグレタ・ガルボがお忍びで滞在していたそうです。


中心の広場へと戻り、町外れの地元感溢れる小さなレストランで昼食をとりました。

店には上下フリルの付いた赤いエプロン姿で大きな髪飾りを着けたオバアサンが切り盛りをしていました。

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帰り際、飾ってあった写真をフト見るとそこにはムーティと親しげに寄り添うオバアサンの姿がありました。

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# by Atelier-Onuki | 2023-06-21 00:28 | コラム | Trackback | Comments(0)

ヘルベルト・フォン・カラヤンさんの思い出 (5月のコラムから) 

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長年、音楽界の帝王として君臨されたカラヤンさんの事は音楽に興味のない人でも知っているほどで、今更何の説明も必要ありません。

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彼の生演奏に接したのは、やはり1970年の大阪万博の時に来日され、

ベートーヴェンの交響曲全曲の演奏会をされた時のこと、その内の4番と7番の演奏会を聴くことが出来ました。

当時はベルリン・フィルとの頂点とも言って良い状態で、その一糸乱れぬアンサンブルに舌を巻きました。

何と弦楽群の弓の角度まで揃っていました。


その後、私はウィーンに住むようになったのですが、彼は毎年「フィングステン」の時にウィーン・フィルとの演奏会をされていました。

彼の演奏会が迫っていた時、会場のムジークフェラインから道路を挟んで建っているインペリアル・ホテルのカフェへ出向きました。


一番奥の席に着き、前に置いてあるグランド・ピアノの向こうが何だか明るいのにフト気付きました。

な何とそこにはカラヤンさんがご機嫌麗しく、後光を放ちながら歓談されていました。

お邪魔をしてはいけないのでなるべく見ないように心がけていました。

そして帰り際、前を通るときになって軽く会釈をしましたら、なんとこちらを凝視して大きく3度うなずいてくれました。


その演奏会はブラームスの「ドイチェス・レクイエム」でした。

ゆっくりとした歩みで登場されましたが、何だか顔も晴れやかで、相変わらず後光は射しておられました。

静かに慈しむようなオーケストラの前奏に導かれるように、

Selig sind,die da Leid tragen「幸いなるかな、悲しみを抱くものは」と合唱によって歌い始められましたが、

まるで天上からの響きのような神々しさです。

曲は重々しい足取りで2曲目に入りました。“Denn alles Fleisch,es ist wie Gras「肉(人)はみな、くさのごとく」と歌われ、

後半に入ったころ、アチコチから鼻をかむ音が聞こえてきます。

6月で暖かいのにも関わらず風邪をひいている人が多いのかなぁ、まぁお年寄りが多いので仕方がないかなぁ!」と思いつつも、

余りにも多いので回りを見回した処、何と大勢の人たちが泣いているのでした。


まぁオペラでは時々、泣いている人もいますが、演奏会でこれだけの人たちが泣いている状況はこの時だけの体験でした。

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# by Atelier-Onuki | 2023-05-22 23:42 | コラム | Trackback | Comments(0)