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秋はやっぱりブラームス

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秋晴れに誘われて、近くの森へ散歩に出かけたくなりました。
カサカサと落ち葉を踏みながらフト空を見上げると、その鮮やかな青とコントラストをなして
木々は美しく輝き、もうすぐやって来る冬までの残り少ない生命を精一杯表現しているようです。
こんな時は自然と頭の中にブラームスの一節が流れています。

生涯自分の作品と人に対して自信が持てなかった、この愛すべき作曲家のしみじみとした
独り言を聴くような曲は、この晩秋に聴くのに最も相応しい作曲家ではないでしょうか。
暗くて寒いハンブルクに生れた彼は、「息苦しいほど小さな部屋」で鉛の兵隊を
唯一の遊び相手に少年時代を孤独に育ちました。
この頃の環境がすでに彼の性格に影響を与え、後になっても自分の過去に付いては
多くを語りたがらなかったそうです。

唯、教育に関しては恵まれた機会が与えられたようで、通っていた私立学校では
多くの文学作品に触れ、彼の文学的とも云える作品にも影響を与えています。
最初に習ったピアノ教師コッセルの献身的な指導や、更に彼に紹介されたマルクスゼンの元では
民族風の曲や複雑な変奏曲を習得し、10歳から18歳までの多感な時期に吸収した体験は
晩年の作品まで大きく影響を与えました。

多くの作曲家と同様、まずはピアニストとして名声を博した彼はハンブルクを離れ各地を回ります。
そしてデュッセルドルフのシューマン夫妻を訪ね暖かく迎え入れられました。
ここで受けた影響は既に有名な話ですが、作曲家としての生涯に決定的な影響を受ける事になります。

ブラームスはその良く見かける髭を生やした晩年の写真や作曲スタイルから、古い時代の
作曲家と感じがちですが、意外と新しい人でJ.シュトラウスよりも8歳年下だし、
もう20数年後にはマーラーやR.シュトラウスなどの全く新しいタイプの作曲家が迫って来ています。
彼が作曲家としてスタートした時代にはすでにワグナーを中心とする新イデオロギーの元、
実験的な試みの作曲が主流でしたが、シューマンもブラームスも時流とは正反対に
バッハ、ベートーヴェンを頂点とする古典的、純音楽的な思考へと益々傾いていきました。

望んでいた家庭を持つ事もできず、長年に渡り念願していたハンブルク・フィルの指揮者には
ついぞ任命されることのなかった彼に転機が訪れたのはウィーンのジングアカデミーからの招聘でした。
初めて訪れたこのウィーンが結局は生涯離れない彼の終の棲家となりました。
この街に育まれながら彼は作曲家として開花し数々の名曲を生み出して行きました。
管弦楽の作曲においてはホルンなどこのオーケストラ独自のウィーンナー・ホルンの響きを
頭の中でイメージして作曲していたそうです。

指揮者としても活躍しましたが、今日のように色んな作曲家の曲で構成されたプログラミングを
したのはブラームスが最初だと云われています。
それまでの演奏会は大抵の場合、作曲家自らの作品だけを披露と云う形式でした。

晩年には多くの印税が入って来ましたが、その質素な生活を変えようとはしませんでした。
そして没後に分かった事は匿名でずっと孤児院へ寄付をしていたそうです。
恥ずかしがり屋の性格がこんな所にも現れていて、その人柄が偲ばれます。

おっと、あっと云う間に日が沈んでしまいました。
今宵はグールドで間奏曲でも聴きながらチビチビやろうかな・・・

by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2012-11-13 23:38 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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