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ヴィシネフスカヤさん逝去によせて

先ほどラジオを聞いていたら、ヴィシネフスカヤさんが亡くなられたと報じていました。
音楽番組だったので急遽彼女が歌った録音から何曲か放送されていました。

かつてボリショイ・オペラのプリマとして一世を風靡されましたが、
その頃私は未だロシア・オペラには全く親しんでなく、
かろうじてカラヤン盤の「ボリス・ゴドノフ」でマリーナの役を歌っておられたのと
美人さんだったなぁと云う印象くらいしか知りませんでした。

その後あの偉大なチェリストのロストロポーヴィチさんと結婚され、
波乱万丈の末アメリカへ亡命されました。

彼女には一度だけアムステルダムでお目に掛かった事があります。

それはコンセルトヘボウが主催した「Slava」というタイトルで
二週間ほどのロシア音楽祭を開催しましたが、その最終日の演奏会が
小澤先生の指揮でロストロポーヴィチとドヴォルザークのチェロ協奏曲と
後半はバシュメットが加わりシュトラウスの「ドンキホーテ」という
チェリストにとっては驚異的ハードな演奏会でした。

実はこの数年前に、やはり小澤先生と60歳記念コンサートがウィーンであって
ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲にチャイコフスキーの「ロココ風」を挟み、
最後はドヴォルザークという全曲チェロばかりの出てくるもう信じがたいハードなプログラムで、
それをものの見事にあの楽そうに見えるそっくり返った格好で楽々と完璧に弾ききりました。
その印象があまりにも強かったので、今度はアムステルダムまで追っかけて来た訳です。

演奏そのものは当然素晴らしいもので、終演後このホールの隣にある
行きつけのレストランへ何も考えずに入りました。
窓際の席に案内をされ、ふと隣を見ると大きなテーブルがセッティングされています。
ひょっとしてこれはと思いつつ注文を済ませた時、
頭の後ろから「 コ ン バ ン ワ !」とカタコトの日本語に振り返ると
ななんと ロ ロストロ が・・・ 思わず後ろずさりしそうになりました。
彼を先頭に奥様のヴィシネフスカヤさん、バシュメットご夫妻、
コンセルトヘボウの主催者の人達が賑やかに入ってきました。

さすがロシア人早速にウォッカのボトルを開けニシンの塩漬けを肴に
ノストラヴィアを連発しています。
そうする内、なせか厨房から「ソーリー・ソーリー」と遅れてきた小澤先生が
お嬢さんを伴って登場され、それも私の真隣に座られました。
もういきなり私の食べている魚貝のクリーム煮を見つけては、
「それ何?美味しそうだね・・僕もこれにしよう!」とお構いなしに話しかけてこられます。
宴は益々盛り上がりをみせ、ウォッカの消費は留まるところがありません。
それにしてもロストロさんはお元気、話も興が乗った処で
急に「征爾・・・」と、かしこまった調子でショスタコーヴィチの話をしはじめました。
小澤先生もこちらを振り返って「この話は聞いておいた方が良いよ」と云っています。
圧政下のソビエト連邦時代、作曲家も自由な表現が制限されていましたが、
ショスタコーヴィチは暗号のように彼のメッセージを曲の中に埋め込んでいたようです。
この作曲家と親交の深かったロストロポーヴィチは、そんな真実にせまる話も聞いていたようです。

お酒もすっかり回ってきたようで、興が乗ったのか何とヴィシネフスカヤさんが歌いだしました。
こんなプリマドンナの歌を間近で聴けるとは思いもよりませんでした。
宴はいつ終わるのか分からないほど盛り上がっています。
お疲れの我らが先生はお先にと退席されました。

デザートも済ませた我々もそろそろ帰ることに・・・
「皆さんのご健康を!」と挨拶をすませ、出口まで進んだ処、イヤァ~黒山の人だかり、・・・
皆さん遠慮がちにこちらを伺っていたようです。

皆、口々に「ユー・アー・ラッキー」と云って中には小さく拍手をする人まで。
まるで最終回にさよならホームランを打った選手のような気分になりました。

又、一つ大きな時代が終わったような気がします。
この波乱万丈の人生を歩んだ偉大な音楽家ご夫妻のご冥福を祈りつつ・・・


by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2012-12-12 04:58 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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