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新フェスティバルホールのオープニングに寄せて-1

大阪の新フェスティバルホールが4月3日にオープンすることになりました。

我々大阪出身の音楽ファンにとっては、この思い出が一杯詰まったホールのオープニングには
一方ならぬ感慨深い物があります。
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旧フェスティバルホールは1958年の開場ですから未だ戦後それ程経っていない時期に出来た本格的な音楽ホールで、ザ・シンフォニーホールが出来る前は殆どの音楽会はこのホールが使用されていました。

特に毎年催される国際フェスティバルはその内容の素晴らしさに、大阪人の意気込みみたいなものを感じらました。
事実以外かもしれませんが、大阪で昔からの音楽ファンには中々の風流人が一杯いて、その趣味はとてもマニアックで玄人好みでした。

それに立地条件が良い所、大川に挟まれた中之島と云われる三角州に建っています。
周辺には明治時代に建てられた洋館作りの市役所を初め、日銀や公会堂などの立派な建物が
街灯に照らされる夜など、川沿いを歩いていると思いようによっては何だかセーヌ川の袂を歩いているような錯覚に浸ることができます。
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演奏会の後などは、直ぐに現実に戻されたくないので、柳並木の川沿いを肥後橋から淀屋橋までブラブラと余韻を楽しみながら歩くのに最適でした。

それにこの国際フェスティバルの期間は、会場の入り口上部には来日する音楽家達の国旗が
ズラッと建てられ華やかな雰囲気で如何にも特別な気分を盛り立てていました。
開場から60年代の当時は来日するオーケストラも今日のように頻繁ではなく、
初来日するオーケストラが殆ど、それは新鮮で、憧れと期待に胸を躍らせたものでした。
今はすっかりそんな風習はなくなったのですが、この頃は演奏会の初日には必ず両国の国歌を演奏しました。
それも観客は当然ながら起立、奏者もヴァイオリンを初め管楽器なども立つ事ができる楽器の人達は起立して演奏をしていました。

私が初めてこのホールへ行ったのは中学の時、文部省の企画だったのでしょうか、
学校からバスに乗って皆で聴きに行きました。
どんな内容だったかはすっかり忘れてしまいましたが、その後幼なじみで同級生のK君が
このホールでの演奏会に誘ってくれました。
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それはサンソン・フランソワのリサイタルでお父さんと行く予定だったそうですが、
都合が悪くなったそうで、代わりに誘ってくれたのでした。
このK君とは親の代から親しくさせてもらっていて、お母さんも薬局を営む裕福な家で、
お父さんはクラシック音楽にも造詣が深く、K君からは少なからず音楽的な影響を受けました。

当日はショパンやドビュッシーなど彼が得意としていた演目を演奏したと思うのですが、
如何せんこの頃は未だ何も知らなかったので、その良さや凄さが分からないまま終わってしまいました。
終演後、サインをもらいに行こうという事になり、勢いよく楽屋へと向かいました。
初めて会う大物音楽家にドキドキしながらサインを貰い、握手までしてくれました。
差し出された手をみてアッ意外と小さいのだなぁ~と思いながら握った処、
その丸太の様に分厚い手にびっくりし、これは今でもその感触を覚えている程です。

この演奏会から数年後に彼は46歳という若さで他界していまいましたが、
今も録音を通して聴く彼の自由でセンスにあふれた演奏スタイルは独特で、
時折ゾクッとするような怪しげな雰囲気を醸し出す世界にはすっかり魅了されています。
今となって思えば、私達が聴いた時もきっと相当酷いアル中が進んでいたのでしょうね。

その後、別々の高校に進んだ我々でしたが、変わりない付き合いが続いていて、
今度はミュンシュがフランスの放送オーケストラとやって来ると云う事で
これも一緒にワクワクしながら聴きに行きました。

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未だ、パリ管が出来ていない時代ですが、彼はもう70歳を超えていて片足を少し引きずっておられましたが、大柄な人で銀髪を靡かせながらゆったりと登場されました。
最初はフォーレの「ペリアスとメリザンド」、この頃は未だこの長ったらしいタイトルなど云う事すら出来ませんでしたが、彼が録音したレコードだけは聴いた事がありました。
それは珍しい事に唯一フィラデルフィアのオーケストラとの録音でちょっとした話題になったので聴いていただけです。
次はルーセル3番のシンフォニーで、勢い良く始まるその頭では唸り声を上げながら
長い指揮棒を振り下ろし、足元も指揮台をリズムに合わせて音を立てて踏み込んで始められました。
ボストン時代のあの熱っぽい演奏はレコードで聴いた事がありましたが、
今、目の当たりに生のミュンシュが正に噂通りの熱い演奏に出くわして興奮さえ覚えました。
休憩後はブラームスの交響曲一番で、冒頭から熱っぽく始まり終楽章ではフィナーレに向かって
更に熱く盛り上がっていく情熱はもう書く必要がない程で、彼のファンならずとも容易に想像ができる素晴らしい演奏でした。

相も変わらずK君からの情報によると、今度はクリップスがサン・フランシスコのオーケストラと
やって来ると云うので、いそいそとフェスティバルホールまで前売りを買いに行きました。
(この頃はチケットぴあなど未だなくて、電話予約も一般的ではありませんでした。)
処が窓口のお姉さんが申し訳なさそうに、「すみません、売り切れてしまいました。」
と云うので仕方なく諦めて帰ろうとした処、「これなんか如何ですか?これも良いですよ。」
と勧めてくれたのが、カイルベルトとバンベルク交響楽団でした。
全然知らない指揮者にオーケストラ、「どうする?」とK君と相談し、
「まぁ行ってみようか!」という事になりました。

演目はハイドン101番のシンフォニー所謂「時計」とR.シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」そしてメインはブラームス4番の交響曲。
静かに始められたハイドンは端正な演奏ながら暖かい温もりを感じさせる響きで自然と曲の中へと引き込まれて行きます。
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次の「ティル」もその曲の面白さも手伝ってグイグイと引き込まれ、もう虜になってしまいそうです。
最後のブラームスはもう最初から熱くて渋い演奏、終楽章ではその高揚が更に高まりもうコーダでは
コレでもかと熱っぽく演奏され最後のジャーーンと終わる一音は名残を惜しむ様にタップリと延ばして曲を閉じました。
もう最後の方は背筋に電流が走ったような衝撃を受け、目には熱いものを感じました。
今まで、何度もこの曲を聴く機会がありましたが、これ程の衝撃を受けた演奏には未だ接していませんし、
多分もう無理だろうと思っています。
時代の移り変わりと共に、もうドイツやオーストリーでもフランスと同じように、
この様な渋い伝統的な響きを出せるオーケストラは、残念ながら現在のこのバンベルク交響楽団も含め皆無と言えるでしょう。

多分何時か酔っ払った時にでも話したのでしょうか、東京に帰った知人の音楽ファンが、
東京公演ですがこの時のライヴ録音されたCDを送って来てくれました。
今、こうして40年以上前の演奏に接して新たな感動が蘇って来ます。
もうこんな演奏は聴けなくなってしまいました。

窓口のお姉さん良いものを教えてくれてありがとう。
この体験は一生物の宝です。

by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2013-03-14 21:38 | 音楽 | Trackback | Comments(2)
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Commented by K君 at 2013-04-20 02:37 x
そういえばそうだったなあ・・と思いだしてはいるのですが、いくら考えても、ミュンシュのフランス国立放送管弦楽団とカイルベルトのバンベルクしか記憶になく、なんともいい加減な音楽ファンだと思うのですね。
ただその後もカイルベルトはCDを買い続けています。新フェスはまだ行っていませんが、必ず近々行きたいと思います。
Commented by Atelier-Onuki at 2013-04-20 15:42
K君さん コメントありがとうございました。それにしても、ミュンシュやカイルベルトのような重厚な響きで音楽の真髄に迫る指揮者は少なくなりましたね。フェスティバルホールで聴かれたら、またご感想をお聞かせください。
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