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新フェスティバルホールのオープニングに寄せて-2

1970年には高度成長期の象徴とも云える大阪万博が開催されました。
この万博の文化交流の一環として、その質、量とも最大規模で多くの音楽家が来日し
このホールで演奏会を行いました。

私が覚えているだけでも、
カラヤンとベルリン・フィルを初めバーンスタインとニューヨーク・フィル、
セルとブーレーズに率いられたクリーヴランド管弦楽団が初来日、
バルビローリとニュー・フィルハーモニア管弦楽団、
ミュンシュと新生パリ管弦楽団(当時出来立てのオーケストラで初来日)、
それに長らく西側では幻の指揮者と云われていたムラヴィンスキーとレニングラード管弦楽団(結局、
表向きは急病と云う事で、確かヤンソンスのお父さんが代役で来られました。)、
それと、もう一人幻のピアニストと云われていたリヒテルも初来日でそのベールを初めて脱ぐと云う事でした。

この発表を知った音楽ファン達にはもう一大事件、巷のファンの間では、
そのそうそうたる顔触れに話題は尽きませんでした。
一方、もう半年位前からチラシ片手にどの演奏会へ行くべきか予算との兼ね合いも難しく
大いに悩まされました。

唯、残念な事に、来日する前にバルビローリとミュンシュが亡くなってしまいました。
それにセルも帰国後、間もなくして亡くなりましたので同時期に三人もの偉大な指揮者を失ったことになります。

おりしも1970年はベートーヴェンの生誕200年と重なり、ベートーヴェン展も確か森之宮にある博物館で大々的に開催されていました。

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そしてカラヤンとベルリン・フィルの演目は五日間に渡ってベートーヴェン・チクルスを行うとの事で、
話題は更に盛り上がりました。

唯、この交響曲全曲の演奏会は単品のチケットよりも、
綴りになった全公演のチケットが先行発売と云う事、
主催者も上手い事を考えたもので、一気に纏めて売りたかったのでしょうね。
一度でも良いからカラヤンでベートーヴェンを聴いてみたいと切望した我々は、
主催者の術中にまんまと嵌まってしまい真っ先に買おうと決心しました。
とは云っても一公演でも一番高額なカラヤン、ましてや綴りでなんてとてもとても
一人では買える代物ではありあません。

そこで自衛策として考えたのは、ここは割り切って音楽ファンを後4人募り、
じゃんけんで行きたい公演を決めるのは如何だろうか?と・・・

先ず母親に尋ねるとホイホイと二つ返事、おりしも長かった私の浪人生活に終止符が打たれ、
ご機嫌よく財布の紐も緩みがちです。
それにK君には絶対声を掛けなくては・・・もう一人高校の同級生で仲良くしていたM君、
彼もギターをやっていて最近めっきりクラシックに興味を持ち始めた・・・
最後はお世話になったデザインの先生が行きたいなぁ~と漏らしていたので、
「これは差し上げたら?」と、未だ余裕の母親。

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遂に綴りチケットを手に入れた我々はまるで何かの儀式でもするかのように、
仲良くジャンケンをしました。
一番先にM君が勝ち、迷わず「9番」のチケットをゲットしました。
次が母親、これは最もポピュラーな「5番と6番」を迷わず選択、
そしてK君が何とちょっと渋めの「1番と3番」の組み合わせ、
残り物に福が・・・私の好きな「4番と7番」が自動的に決まりました。
「2番と8番」の最も渋い組み合わせは失礼ながら先生と云う結果となりました。

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5月初旬、先陣を切って母が初日の演奏会へいそいそと出かけて行きました。
「どやった?」、「良かったわ~もうそりゃ良かったでぇ~」と半ば興奮気味に繰り返していました。
次の日はいよいよ私の番です。

もう行く前からちょっと上気している感じでした。
初めて見るあの憧れのベルリン・フィルの団員が登場してきました。
最初は4番でしたが、へぇ~意外と小編成なんだと思える程、せいぜい4・50人位の編成だったでしょうか。
この当時は未だ19世紀の伝統に則ってベートーヴェン初期の交響曲でも今日と比べ大編成で
演奏するのが一般的だったので、そんな印象を受けたのです。
颯爽とカラヤンが登場しました。
もう割れんばかりの拍手、いやその格好の良いこと。・・・
靭やかで、軽妙に始められた演奏はそれはそれは綺麗で艶やか、響きもこの小さな編成からは
信じられない程豊かでタップリと余裕すら感じます。
もうその凄さに驚きの連続で、最後まで気持ちよくその響きのなかに身を委ねる事が出来ました。
休憩後はお目当ての7番です。
ジャンと軽妙に始められた長い長い序奏部分も、余りの流麗さにあっと云う間に主題へと引き継がれ、
もう終わってしまうのかと惜しまれるほど早く、一楽章は颯爽とコーダを迎えました。
ゆったりとした二楽章も何処までも流麗で味わい深く、颯爽と滞ることなく三楽章から終楽章へと
一気に進められました。
コーダに入る直前、左から第一ヴァイオリン、第二、ヴィオラ、チェロと一気に受け継がれる所では
弓が大きく波を打ち、それは一糸乱れぬ早業でまるでサッと一風に揺れる麦畑を連想させました。
後で知ったことですが、この時期のカラヤンとベルリン・フィルは技術的には頂点にあったようで、
あの全員が揃った弓の角度までちゃんと気を配って練習していたそうです。
この後行ったK君やM君も凄い演奏に接した事でしょう。
M君などは最初の出だしなどまるで地の底から音が湧いてくる様で、それは神秘的だったと云っていました。

いや~、カラヤンさん本当に凄い演奏を聴かせてもらいました。

by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2013-03-15 22:07 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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