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マーラーの作曲小屋

ブライエス湖を後にしてマーラーの作曲小屋へと向かいました。
この小屋はトブラッハの手前にある人里はなれた小高い山の中腹に建っています。
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彼が滞在していたホテルも今はグスタフ・マーラー・ストゥーベという名のレストランとしてちゃっかり彼の名を冠していますが、
当時はどんな名のホテルだったのでしょうか。
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それにしても当時はオーストリア領だったとはいえ、インターネットはもとより電話すらなかった時代に良くもこんな辺鄙な所に見つけたものです。

シーズン中はコンサートやオペラの指揮者として忙しかった彼は夏休みに静かな所で小屋を借り集中して作曲に専念していました。
これまでもアッター湖畔やヴェルター湖の近くで小屋を借りていましたが、ここは最晩年の3年間ほど訪れていた最後の作曲小屋となり、
交響曲の「大地の歌」と「第9番」、そして未完に終わった「第10番」の二楽章までが作曲されました。
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若いころから病弱で異常なほど神経質だった彼は絶えず不安を抱えながらの人生で、
精神的にも落ち着いているかと思ったら突然かき消すかの様に不安が襲ったりと不安定だったそうです。

この精神状態は彼の作品の中でも特長的に現れ、静かで穏やかなメロディーも長続きはせずに荒々しい金管群によって唐突に中断される瞬間が間々訪れます。

それは社会的な不安や家庭の問題、健康状態、そして死への恐怖との葛藤でした。
もうこのトブラッハにやって来た頃はウィーンの音楽監督も辞し、活路を求めてニューヨークへ行ったり来たりの日々で、
アルマとの関係も修復のつかない程にまで達していたようです。

彼の先人達も含め交響曲作曲家と云われる人達にとってベートーヴェンの存在は余りにも偉大すぎて、意識をしない人は居ませんでした。
なかでも人一倍の意識をした彼は「第9番目」の交響曲を作曲する事に対して大きな恐れを抱きためらっていました。
それはベートーヴェンが「第9番」の交響曲が初演された僅か数年後には亡くなってしまい、これが最後の交響曲となったからでした。

このトブラッハでは新しい交響曲の構想は練られていたのですが、「第9番目」にあたる交響曲を「大地の歌」と云う題名にして番号を回避したほどです。

それでも新しい交響曲への思いは募り、とうとう「第9番」の作曲を決意します。

前作の「大地の歌」の最後では「永遠に・・・永遠に・・・」と何度も引きずるように未練がましく終りそうで中々終わらない終結ですが、
ここではイヨイヨ迫りつつある「死」という現実に対してきっぱりと正面から向き合おうとしています。

まるで手探りをするかのように静かにゆったりと始まり出した曲は間もなく「大地の歌」の最終章、
「告別」のフィナーレで奏でられる「Ewig - - - ewig - - -(永遠に・・・永遠に・・・)」の旋律へと又もや受け継がれて行きます。
このテーマは手を変え品を変え色んな変奏となって綿々と綴られます。
それでもこの長閑な環境が反映されているのか全般に牧歌的でゆったりとしたメロディーが進行していきます。
音楽はだんだんと高揚して行き金管群による最初の盛り上がりがやってきます。
これは背後に佇むドロミテ独特のギザギザとした荒々しい形ながらも荘厳な山々を連想させ彼らが何かを語りかけて来ているようです。
綿々と続いた曲は金管による三度目の盛り上がりを見せた後、グット落ち着きを見せ
バイオリン・ソロの甘い旋律を経て静かに終結して行き弦によるピチカートのあと木管の宙に舞うような不協和音で静かに閉じられます。
ここで少しは覚悟をする勇気が見え出したようです。

一転してニ楽章はファゴットのおどけた旋律に木管が絡み合い、ちょっと「鳥獣戯画」の世界を連想させます。
その騒がしい音楽はグロテスクとまで思えるほどで、何だかヤケクソぎみで人生の辛い部分を吐き出しているかのようですが、
一転して落ち着きを取り戻し良かった頃の昔を回想しているようでもあり混沌としています。
曲は高揚して行き亡霊の饗宴の様を呈してから徐々に静かになって行き最初に出てきたファゴットの旋律に戻ってきますが、
ここではテンポもゆったりとして落ち着いた表現で静かに終わります。

唐突に噴出されたトランペットで始まる三楽章も半ばヤケクソぎみの気持ちは継続されているようです。
音楽はまるでもう如何でも良いやと開き直って墓場へ向かう行進曲のようです。
それでも突如またもや過去への追憶シーンとなり穏やかなシーンも現れますが、
この行進曲風のリズムはドンドンとスピードを上げて駆け足で向かっていくようです。
曲の幕切れも踏ん切りが付いたのか「早く行こうよ!」と云わんばかりに慌しくてあっけなく終ってしまいます。

静かにゆったりとした弦楽器群で弾き始められた最終楽章のアダージョは綿々と奏でられ果てしなく延々と広がって行きます。
まるで「まな板の鯉」のごとく心穏やかに綴られその甘いメロディーは恍惚すら感じます。
もう死への恐怖よりもむしろ憧れへと昇華してきました。
これはマーラー自ら自分の為のレクイエムとして書いているかのようです。
先ほどはクラリネットが道化た旋律もここではホルンがテンポを落とし荘厳に響いています。
これに導かれた金管群が再び盛り上がって行き大伽藍を描くと、
テンポはグット落ち静かに静かに何度も名残を惜しみながら消え入るようにこの曲全体の幕が閉じられます。

いや~、この長い曲を聴いたせいか文章も長々となってしまいました。
そう作曲小屋へ急がなければなりません。
と云うのも今は人寄せを目論んで、ここはちょっとした動物公園になっています。
その閉館時間が心配だったので本当は夕暮れが似合うのですが、日が長い夏場なので未だカンカン照りのなか足を急がせました。

鉄道のガードを潜り抜けると、もう周りは牧草地の坂道をダラダラと登って行きました。
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林を抜けるともう直ぐ左手に2・3軒のホテルが見えてきます。
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この一番左のホテルにマーラーは滞在していました。
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ホテルの直ぐ向かいにある動物公園と云っても家畜程度で大した動物はいないのですが、案の定18時に閉門していました。
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それでも名残を惜しむ何家族かの子供達が入り口近くの遊具で遊んでいました。
フェンス越しにドア・ノブを見ると中からは開けられそうです。
暫くしてこちらを振り向いたお母さんに手を振って手招きをしました。
「そこに窓口があるけど・・・」、「いやもう締まっているし写真を撮るだけだから・・・」と
無理やり開けてもらいました。
足早に公園の奥にある作曲小屋へと急ぎました。
それは林の中に忽然と佇んでいました。
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おそらくマーラーが来たときはこの小屋しか建っていなかったのでしょうね。
小さな室内には日に焼けて薄くなってしまった写真や手紙のコピーなどが展示されています。
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彼はどの方向に向かって座っていたのだろうかとか想像を巡らしていました。
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帰り際、マーラーも見ただろうと思われるトブラッハ方面の景色を眺めていたら、
里の方から教会の鐘がカンコンと聞こえて来ました。
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そうですあの一楽章の後半にも鐘の音が聴こえてきます。
きっとマーラーもこの里からの鐘を聞いたことでしょう。

帰り道はiphoneでこの一楽章を聴きながらシミジミと下って行きました。

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追記 : この文章を書いた後、昨夜フト気付いたのですが、このカンコンと鳴る鐘の音を同じ音形でゆっくりと伸ばすと何とあの「Ewig・・・」の旋律と同じではないですか。
ドイツ語の発音的にも自然なアクセントに感じますが、この辺の真意はもうマーラーさんのみ知るところでしょうか。

それとカンコンと鳴っている途中からゴォンゴォンと低くて小さな音の鐘も被るように鳴りだしました。
この日は聖母マリアさんの命日なので何時もより派手目に鳴らしたのでしょうか。・・・

by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2013-08-21 23:51 | イタリア | Trackback | Comments(0)
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