「プラハの思い出」

この街を初めて訪れたのは確か1986年だったと記憶しているのですが、
当時は未だバリバリの共産圏で精神的にも遠い国でしたので、まさか行こうとは思ってもいませんでした。
それが突然の所要で赴く事になったのですが、今とは違う風景やシステムで時代錯誤に陥る別世界でした。
その時の事を書いた文章がありましたので、今回ご紹介させて頂きます。

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「初めてのプラハ」

もう随分昔の事ですが、私が始めてプラハを訪れる機会は何の予知も無く突然やって来ました。
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この年テニスのフェデレーションカップが初めてプラハで開催される事になりましたが、チェコからアメリカに亡命していたナブラチロアの扱いについて、
入国を拒否していたチェコ側と米国人選手としての登録を条件に参加すると要求していたアメリカ側との間に軋轢が生じていました。

そんな中、我々のクライアントがメイン・スポンサーをしていて、この大会の度に何かと広告活動とかホスピタリー・ルームとかの設営をお手伝いしていました。
既に担当者がプラハ入りをして打合せをしていたのですが、何しろこの頃のチェコは物の乏しい時代でうまく事が運ばなかった様です。
そこで隣国のドイツから何とか支援してくれないだろうかと依頼が入りました。

電話の向こうは蚊の泣くような微かな声で中々聞き取れません。
細かな内容について打ち合わせるにも電話は全て公の交換を通じなければつないでくれませんし、
未だファックスも無くテレックスでのやり取りです。
とうとう痺れを切らした相手の担当者は「明日できるだけ早く来て相談に乗って!!。」との事。
と云っても当時はヴィザが必要でボンに有る大使館に直ぐ行っても明日朝までに発給されるかどうか
「とにかく来てくれ、迎えの人を送るし飛行場でヤン・コデシュと云う人から招待を受けていると言えば入れてくれるから。」と、
とんでもない荒っぽい指示を信じるしか術がなく、朝一番で飛ぶ事になりました。

ところが当日乗り継ぎのフランクフルトまでの便が遅れ予定の飛行機には乗れず一日2本しか無い次の夕刻の便になりましたが、
電話連絡を取ろうにも何ともうまく繋がりません。なす術も無いまま行ってみる事にしました。

双発の飛行機もイリュージンか何かロシア製の古いもので、昔映画で見た様な丸い窓が付いています。
機内サーヴィスは大瓶のピルゼン・ビールを一人ひとりグラスに注いで回るという、のどかな物です。

あえぎ喘ぎ飛行機はやっとプラハ空港に着陸しました。
こんなに遅れたので迎えの人は本当に来てくれて居るだろうか、不安一杯で降り立ちました。

薄暗い検問所で探せども迎えの人らしき姿が見えません。
言われた通りヤン・コデシュと言う人から招待されて急遽来なければ成らなかった理由を説明しましたが係官は何とも素っ気無くまともに取り扱ってくれません。
「ヴィザが無いのだから次の便でドイツへ帰りなさい。」と言うだけです。
次の便と言っても明日まで有りませんし、押し問答をしながらも半ば空港で一夜を明かそうかと、覚悟もし始めたとき、
近くで聞いていたのか航空会社の女性が「私が何とか連絡を取ってみるから暫らく此処で待っていなさい。」と声を掛けてくれました。

もう、彼女に縋るしか手は有りません。正に地獄に仏とはこの様な事かこの人が優しく綺麗に見えたのは言うまでも有りません。
暫らくして戻ってきた彼女からはもうテニス協会には誰も居なくて連絡がつかないし、頼りのコデシュさんは電話帳に乗せていないので連絡がつかないとの事。
「もう少しあちこち聞いてみるから待っていなさい。」と心配そうに言ってくれました。

誰も居ないがらんとした待合室で既に一時間以上待ったでしょうか、やっと彼女が戻ってきました。でも今度はニコニコ笑っています。
これはきっと連絡が付いたのだろうと直感しました。「やったわ!」、と言わんばかりの顔をして「ホテルに居るコデシュさんと連絡が付いたわ、
直ぐ一緒に来なさい。」と例の係官控え室まで直行し事の経緯を説明してくれました。
「よし分かった。」とばかりに大きな判子を取り出して私のパスポートにドンと入国許可印を押してくれました。
たった二日だけの滞在予定でしたが、そこには三ヶ月有効となっていました。

お礼もそこそこにホテルへと向かいました。
やっと辿り着いたホテルではコデシュさんも含めまだ打合せの最中で「いや~良く来てくれた。」と手荒い歓迎を受けました。
早速打合せをしましたが、彼方此方から興味しんしんの視線を感じていました。
やっと遅い夕食に行く事になり、先にチェックインをすませようとカウンターに行きましたら、「貴方達はテニスの仕事で来ているのか?」と尋ねられました。
「どうして分かったの?」、「だって、ヤン・コデシュと打合せしていたでしょ。」、「あの人そんなに有名なの?」、
「何、言ってるの、彼は我々の英雄だよ。」よくよく聞いてみると何でもチェコ選手でウィンブルドン唯一の優勝者らしく大変な人気があるそうです。
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この当時私はテニスの事はまったく無知でなれなれしく話していた相手がそんなに有名な人だとは知りませんでした。
そう言われて見直してみると誠に身なりも良く格好のいい紳士である事に改めて気付きました。

さて食事へと向う事になり、日本からの3人はタクシーに乗り込みましたが、何故か私だけが彼の車に同乗する羽目になり、
この辺から話すにも何だか緊張していました。

カレル橋の袂にある小さなホテル・レストランを予約してくれていました。
チェコ語読みは忘れましたがスリー・オストリッチというレストランで彼曰く此処がプラハで一番良いと言っていました。
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話題は当然テニスに関する事に集中し、彼のウィンブルドンでの出来事を伺いました。
当時彼は控えの選手だったそうで、出場予定の選手が怪我をして急遽出番が回ってきたそうです。
まさか決勝まで行けるとは思っていなかったそうですが決勝戦当日は緊張の余りお腹を壊してしまい、
やっとの思いで食べたジャガイモ1個だけで戦ったそうです。

食事は雰囲気も料理も素晴らしいものでした、それにワインが美味しい、
ドイツでもチェコワインは見たことがありませんでしたがこんなに美味しいとは知りませんでした。
さて、お勘定となり東京から来ている担当者から「これで払っておいて!」と、1000コルナ札を受け取りました。

さて、殆どフルコースに近い料理を五人で食べて、しかもワインを何本開けたのだろう、果たしてこれで足りるかどうか不安でした。
足りないと恥ずかしいので厨房近くまで行って尋ねたところ 九百何十 コルナと言っています。最初は「えっーと。」耳を疑いました。
これは当時の公式レートで1万8千円位、間違いではと思われる安さ。
でも驚いたのは、実際にはもっと信じられないほど安く感じたからです。
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実はホテルへ向うタクシーの中で運転手から両替をしてほしいと言われ、百マルクを闇で交換しました。
当時の公式レートは400コルナでしたが、彼は何と 4倍の1600コルナもくれました。
この感覚ですと、お勘定は実にたったの4500円程になります。
びっくりするやら疑うやら、これだけ美味しい料理に素晴らしいサーヴィスをしてくれて、
しかもこんな値段、もう恐縮しきり申し訳なくてあっけに取られていました。
何だかとても悪い事をしてしまったような罪悪感さえ覚えました。

この闇の両替はいたる所で聞かれました。
当時は強制両替と言う制度があって一日 ドイツ・マルクですと 40マルクを公の両替所で換え証明書を出国する時に見せなければなりません。
ある時ホテル内の両替所で換金しようと窓口に行くと係官が「此処では駄目だ5分後にトイレで会えるか。」と言います。
此れは闇で換えたいのに違いないと思いつつ行ってみると、案の定 幾らでどうだと切り出す有様です。

本当にこの頃のチェコには物が無くどの店頭にも殆ど品物が並んでいませんでした。
唯一、輸入品を扱ういわゆる外貨ショップには大勢の人が並んで買い求めているのを見かけました。
先ほどの打合せでもテラスに人工芝を敷きたいと言うクライアントの意向に対し「グリーンの薄いカーペットならあるけど。」
という有様でこれもドイツから送る事になりました。

全ての打合せを終え、外国へ持ち出す事が禁止の使い切れなかった
コルナはボヘミアン・グラスに化けて鞄をいっぱい膨らませていました。

プラハを後にし機は次の予定地ウィーンへと向かいました。
タクシーは同行者の宿泊先インター・コンチネンタルへ直行しました。
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ゴージャスでゆったりとしたロビーに大きなシャンデリア、どこからと無く静かにワルツが聞こえて来ます。
チロル風の衣装に身を包んだ愛くるしいお姉さんが注文を取りに来ました。
「何か冷たくて美味しい物下さい。」、
「ではキール・ロワイヤルでも如何ですか。」、ああ、やはり自由な国は良いなと痛感しました。


by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2013-11-11 20:20 | チェコ | Trackback | Comments(0)
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