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ついでにブラチスラヴァも・・・

この処、プラハの話しが続きましたが、この際ついでにブラチスラヴァでの出来事もご紹介させて頂きます。

これは母と行った時ですが、実は他にも叔父と知り合いの染色家の方も一緒の四人での旅行でした。
デュッセルドルフを出発しウィーン、ブタペスト、そしてブラチスラヴァを経てプラハへ入る日程でした。

この頃は共産圏だったのは既に書きましたが、チェコも未だチェコスロヴァキアと云う一つの国でブラチスラヴァはスロヴァキアの首都でした。
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「憧れのブラチスラヴァは」

この年は水墨画の叔父と、親しくしている染色家の二人展をデュセルドルフで開催しました。

展覧会も終わり母を交え四人で旅行に出かける事になりました。
この頃は三都夢紀行とか言ってウィーン、ブタペスト、プラハとかつてのハプスブルク家時代の三都市が、
旅行のブームで我々も出かけてみようと言う事になりました。

デュッセルドルフから夜行に揺られ楽しい旅が始まりました。
懐かしいウィーンでは当然ながらオペラやコンサートを楽しみ、ブタペストでは一度行ってみたかったゲレルト・ホテルの温泉に浸かったり、
眺めの素晴らしいヒルトン・ホテルで過ごしました。
ブタペストからはローカルな電車に揺られ一路プラチスラヴァへと向かいました。
当時は未だチェコも共産圏で電車も駅も,それに路線も手入れが行き届いてなくて、
所によっては草が茫々生えているヒョロヒョロの線路をお構い無しに進んで行きました。

プラチスラヴァはウィーンからたった六十キロ程ドナウを下った所にありウィーンに居た頃も一度は行ってみたいなあと思っていました。

春になりお天気の良い日にはグリンチィングからウィーンの森を抜けカーレンベルクという小高い丘へと出かけるのはとても気持ち良く楽しみでした。
ここからはドナウ川の向こうに広がるハンガリー平原が素晴らしく見渡せます。
行く度に、あのスメタナのオペラ「売られた花嫁」に出てくる素朴で柔らかい丘陵地帯、それに「モルドウ」における暖かく緩やかな支流の風景、
想像するだけでもう「このドナウを下ってボヘミアへ行ってみたいなあ」と思いを馳せていました。

さて、我々の車窓からの風景は私が想像していたあの長閑でロマンティックな田園風景は殆ど見つけられないまま、
とうとう列車はブラチスラヴァへと入ってしまいました。
ごちゃごちゃとした町並みが続くばかりで、中央駅に着きましたが殺風景で人ばかり多くチェコスロヴァキア第二の都市にしては驚くほど小さな駅です。
取り急ぎホテルまで古めかしいタクシーにすし詰めになって向かいました。

当時共産圏のホテルはブタペストでもそうでしたが何故かエレヴェーターの前に小さなソファとテーブルがあって
四六時中人が座っていて新聞や雑誌を読んでいます。
それもどの階に行っても同じ様に何気なく座っています。
此れはきっと秘密警察かなんかの人でずっと監視していたのでしょうね。

休息の後、何とか気を取り直し出かける事にしました。
染色家の先生が民族衣装や民芸品を見たいと云うのでホテルで尋ねたところ、丘の上にあるブラチスラヴァ城が民族博物館になっているとの事、
又もや古めかしいタクシーに乗り込んで向かいました。

街は意外と大きく古い建物は手入れがされないまま煤けた感じで往時はきっと立派な建物だったのだろうなと想像しなければなりません。
それに此れも共産圏独特の光景ですが戦後の建物は皆味気がなく殺風景なビルが乱立している感じです。
やっと小高い丘の上に建つお城が見えて来ましたが、此れも四角い箱に鉛筆のような形の鐘楼が四隅から突き出しているだけの厳つく地味な建物、
何でも地元の人はその形状から逆さテーブルと呼んでいるそうですが、此れも見ただけで既に気持ちは暗くなり中身も想像できそうです。

重い雰囲気の中、展示品を見て歩きました。
さすがに楽器など見ごたえのあるものでしたが如何せん展示方法も味気が無く西側の諸国で見る様な楽しさなどは沸いてきません。

やっと出口近くにあるショップまで辿り着き皆は絵葉書など見ている間、ホッと一息タバコを吹かしました。

その途端突如、奥の方から大柄で厳しい顔つきのおばさんが現れ、それはそれは激しい口調で
「此処は喫煙できない、直ぐ出て行きなさい」と云った内容の事を大声で怒鳴りました。
慌てて外へ出て消し終わった後、恐る恐る引き返し様子を伺っていると、
どうもこの人は班長らしく腕に赤い腕章を付けていて、キビキビと他の職員に指図をしています。 
もう閉館時間が迫っているのに、ガランとした館内でのんびりと見学している我々東洋人にちょっと苛立っているようです。
「では、そろそろ・・・」と静かに皆を促して外へ出ました。

さて、ホテルまでタクシーと思ってもここは丘の上でこのお城以外は何もなくガランとした広場があるだけです。
先ほどのショップに戻って頼むにもちょっと怖いので、見渡した処、守衛室らしき小屋を見つけました。

ここならきっとタクシー位呼んでくれるだろうと居合わせた初老の守衛さんにゆっくりとドイツ語で説明した処、何とか分かってくれた様です。
傍らにあるゴツイ電話機のダイヤルをグリグリ回して待っていますが中々相手が出ないようです。
やっと繋がったらしく何やら話していますが、その感じからどうもタクシー会社ではなく誰か別の人と話している様子で、
話し終わった後、彼の口調からは良い返事ではない事が感じられました。

さて如何した物か思案していると、そこへ先ほどの班長さんがやって来て何事か険しく議論が始まる始末。
もうこれではお先真っ暗、足の悪い母親を励ましながらゆっくり丘を下るか、それとも下までタクシーを拾いに行くかと思案をしていた時、
彼女から強い口調で「もう少し待ちなさい!」と云われ「ハハッ!」と指示に従う事にしました。

どうも様子から察すると電話の相手は誰か指示が出せる上官と話して居る様子。
きっと彼らは勝手にタクシーを呼んだりする事が禁じられているのでしょう。

やっとのこと下からエンジンの音が聞こえて来たのは、退出してからもう一時間は経っていたでしょうか、既に空は薄暗くなりかけていました。

きっとあの厳しい班長が呼んでくれたのだ、タクシーを迎えに外へ出た我々を心配そうに付いて来ました。
本当に助かったのでお礼の気持ちにと少し大きめの紙幣を包んで別れ際に握手を求めました。
それに気付いた彼女は又大きな声で「ナイン、ナイン!!」と厳しく諭すので、とうとう諦めて乗り込みました。

もう一度お礼を云おうと窓を開け彼女を見上げた処、何と先ほどの班長さんではなく、
そこに立っていたのはとても気の良さそうな素朴なオバサンでした。
ホッとした表情でニコニコ笑って手を振っています。

タクシーは曲がりくねった坂道を下って行きました。
夕闇に見えなくなるまで手を振っていました。


by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2013-11-15 23:57 | チェコ | Trackback | Comments(0)
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