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指揮者「ロリン・マゼール」さん逝去によせて

前回に引き続き残念ながら、今回も大物指揮者の訃報です。
先日の7月13日に指揮者ロリン・マゼールさんが亡くなりました。
ちょうどサッカーW杯の決勝戦を見ていたのですが、ハーフ・タイムに流れたニュースで報じていました。
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彼は有名なのでグダグダ書かなくても、その指揮スタイルや輝かしい経歴、そしてベルリン・フィルを巡る不運な経歴も良く知られている所です。

20歳代で既に世界的に有名だった彼はキャリアも長いので聴く機会も多くありました。

特に私がウィーンにいた83年ころは、ここの歌劇場の音楽監督をされていましたので、
オペラは勿論のこと「ニュー・イヤー・コンサート」を始め演奏会もよく聴く機会がありました。

それに彼の音楽監督として最終地となったミュンヘン・フィルも今住んでいる街なので、
レストランで見かけることがあったり個人的には深い縁があった指揮者と云えます。

彼の演奏を初めて聴いたのは当然ながらレコードでしたが、30代でウィーン・フィルを振ったシベリウスや
チャイコフスキーなど録音の良さも相まって気に入って聴いていました。

その後はベルリン・ドイツ・オペラと録音した「椿姫」はローレンガーやフィッシャー・ディスカウなど
ドイツ人の歌手を中心に揃えながらもスマートな表現で独特の素晴らしさを発揮していました。

続けて出た「カルメン」は初めてアルコーア版を使用した録音で、今日ではそれが当たり前の演奏スタイルとなりましたが、
それまでギロー版のレチタチーヴォに慣れ親しんできた身にはそれはそれは新鮮な驚きでした。

何時もながらテンポを大胆に動かしていますが、この演奏では必然的と思えるほどピッタリとはまっていますし、
風などの効果音もふんだんに交えた録音は臨場感もたっぷり伝わってきます。

それにこのレコードではモッフォのカルメンが魅力的でした。
彼女は歌唱力としては難点を指摘する人もいますが、そのチャーミングな声と歌いまわしにはトロッとしてしまう程です。
(もっとも美人なのでそれも手伝ってチャーミングに聴こえるのでしょうか!)

セルの後を受けたクリーブランド時代では何と云ってもプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」が素晴らしい演奏でした。

このレコードは先日書いた例の「大十」で買ったのですが、実は同時期に発売されていたプレヴィン盤を買う積もりでした。
プレヴィンはこの様な情景音楽を描くのが得意で、以前からチャイコフスキーのバレエで感心しながら親しんでいました。

レコードを持って親父さんの所へ行くと、「フーン!!」と云いながら脇から別のアルバムを出してきて
「こっちの方がエエヨ !!」と云うのであります。
この存在を知らなかったのですが、ジャケットも綺麗だったし、信頼している親父さんの云うことに従いそちらに決めたのですが、
これは素晴らしい出来栄えで、すっかり気に入りました。
これは今でもこの曲のベスト録音ではないでしょうか。

初めてライヴ演奏に接したのはもうかれこれ40年ほど前で、ベルリン放送交響楽団と来日された時でした。
この頃はよく上野の文化会館に出入りしていたのですが、ちょっと親しかった会館の人に楽屋から入れてもらいました。

ステージ脇にはハープやコントラバスなど大きな楽器ケースには「RIAS」と刻印され所狭しと立ち並んでいて、
「RIAS」がこのオーケストラの名称だ位しか知らないのに、何の意味かも分からずに海外からの憧れのオーケストラというだけで興奮を覚えました。
(後に分かったことですが、正式にはベルリンRIAS交響楽団“RIAS-Symphonie-Orchester Berlin”と云って、
RIASとはRadio in American Sector“アメリカ軍占領地区放送局“の略とのことだそうです。)
何だかこの戦後間もない頃の表現にも歴史を感じさせます。

この時はコンサート・マスターをされていた豊田耕治さんをソリストにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と7番の交響曲を演奏されました。

その後はフランス国立放送管との「幻想交響曲」はその演出の上手さで印象に残っています。
それとプロコフィエフの「古典交響曲」では二楽章の終わりの所、
手をクルクルと回して宙でパンと放った時などまるで指の先から音が出ているようで、
この時「この人は一番指揮が上手いかも・・・」と大いに感心しました。

ウィーンでは「カルメン」が再演出の形で上演されました。
それは10年ほど前に新演出された公演でしたが、その長い歳月の間に崩れて行った演出を再び指導し直すもので、
ゼッフェレッリ自ら演技指導に来られていました。
歌手もカルメンに当時絶頂期のバルツァ、ホセにドミンゴそしてエスカミーリォにはライモンディと
今思い出してもヨダレが出てきそうなキャスティングでした。

当然チケットを手に入れるのは大変で雪が舞う厳寒のウィーンで一晩並ばなければなりませんでした。
それも劇場をグルッと一周とり囲むほどの人々が列を作りました。
厳しい状況下でしたが、長い時間待っている間に、並んでいる周り近所の人たちとも仲良くなって行き、
何だか目的が一つのコミューンが出来上がりました。

パヴァロティが出演した「アイーダ」も同じような状態で並びました。
この時は全くの新演出でその斬新な演出、装置に戸惑った観客は結構「ブーイング」も放っていました。
二幕目、マゼールが出てきて振り出したのですが、間髪を入れずに大きな「ブーイング」が起こり、
彼は暫くジット身動きせずに耐えていましたが、とうとう押さえきれず「プン」と怒って退場してしまいました。

結局この日は公演中止という残念な結果に終りましたが、今となっては懐かしい思い出として残っています。

思い出を書き出したら長々となってしまいそうですが、
結局彼の演奏はこの2月に聴いたシベリウスの2番の名演奏が最後になってしまいました。

昨夜は聖ミカエル教会で追悼演奏がミュンヘン・フィルとやはり以前に音楽監督をしていたバイエルン放送交響楽団の合同で、
ゲルギエフ指揮のもとブラームスの「ドイツ・レクイエム」が執り行われたようです。

未だ19世紀的ないわゆるヴィルトオーゾ的でカリスマ性も持っていた巨匠でしたが、
心より安らかなご冥福をお祈りいたします。


by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2014-07-23 03:27 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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