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「何で今パリへ」・・・

先々週に開催された講演会も無事に終了しホットしています。

印象派が誕生した背景から始めて短い時間の関係上、結局はモネまでしか話せませんでしたが、
概ね好評だった様で、「また次回も宜しく。」と云う事で予定されていた忘年会へと移りました。

この後、再度オサライの積もりでパリへ行こうと思っていた処に、あの痛ましいテロ事件が起こってしまいました。
どうしようか迷っていたのですが、半ばヤケクソぎみに思い切って行ってみる事にしました。
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到着した北駅では既に物々しい警戒で抜き打ちの荷物検査をしていました。
駅の正面玄関には濃紺の制服に甲冑をまとった機動隊が列をなして警戒にあたっています。
その重装備はまるでスター・ウォーズの兵士を連想させました。

それでも一歩街に入ると何時もと変わらないパリの雰囲気ですが、又逆に何時も通り別の警戒が必要です。

先ずは手始めに第一回印象派展を開催したナダールの写真スタジオからスタートしました。
これはオペラ座前に交差しているキャピシーヌ大通りを右に折れると、ほんの200mほどの所にあります。
ファサードの一部だけが当時の面影を残していますが、上部には新しいモダンな建物が増築されていますし、
当然ながら地上階はブティックが入っていて、それを示す石碑すら立っていません。

暫く開催された当時の面影とモネが描いた風景を偲びながら佇んでいました。
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メトロを乗り継ぎモンマルトルにほど近い“Place Clichy“へと向かいました。
ここには印象派の人たちが若き日に集まったカフェ“Le Café Guerbois”が存在していました。
ここも石碑が建っているだけで新しく建てられたビルにブティックとなっています。
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マネやピサロをリーダーにモネやシスレー、ルノワールなどが毎週木曜日に集まり芸術論を戦わせていたそうですが、
その錚々たる面々が同時期に集っていた事実には驚きと共にに憧れすら感じます。
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この日は余りにも寒く、開店早々のカフェに飛び込み一息を入れて、これからの墓地散策に供えました。

このモンマルトル墓地は以前にも訪れたことがあったのですが、
その当時はまだデジカメなどない時代だったので今回は写真を取り直すのも一つの目的でした。
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それと前回見落としている人の中には是非とも訪れたかった人がいました。
それはデュマの小説「椿姫」のモデルになったマルグリット・ゴーチェです。
この墓地には“Alphosine Plessis”アルフォンシー・プレシと云う本名で埋葬されているようです。
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入り口には案内地図がぶら下げられていて自由に貸し出されています。

地図を頼りに探してみると、入り口から直ぐの地区に埋葬されていました。
ちょっと高台になっている所を三列ほど入ると発見・・・
屋根型の蓋を乗せた墓石はどこかの写真で見たことがありました。
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正面には小さな肖像写真も付けられています。
これも何処かで見たことがある肖像画で噂通り気品の漂う美人です。
念の為に生年と没年を確認しましたが1824年生まれで1847年没と記されていて、
やはり23歳という若さで亡くなっていました。

ここには彼女に思いを馳せる人々がキスをした口紅の跡がたくさん付着していて、
この伝説が今なお人々の記憶に深く残っていることが伺われました。
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感慨深く眺めていると、お墓参りの婦人が声を掛けてきました。
最初は良く分かりませんでしたが、どうももう一人彼女が示したい人がいるようで、
「マダム何とかと言う人で、・・・」と地図を示しながら教えてくれました。
とりあえずは行って見ることに、そこには“Louise Weber”通称“La Goulue”「フレンチ・カンカンの創設者」とありました。
「そうだあのロートレックの絵に踊り子として良く出てくる女性のことだ!」
これは思いもかけない発見に暫く感慨深く佇んでいました。
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この墓地には他にも先ほどの「椿姫」を書いたデュマ・フィスを初めゾラやベルリオーズ、オッフェンバッハ、ドリーブ
そしてニジンスキーも眠っていますが、もう一つ確認したお墓がありました。

それはドガのお墓で以前見たときに気付いたのですが、普通ドガと云う名前で親しまれているにも関わらず
 “Degas”ではなく“de GAS”と書かれていました。
その後、調べたところやはり“de GAS”が正しく彼は“ガ”さんでした。
この“de”はラテン系の名前に使われる貴族の称号でドイツだと“von”にあたり何々家のと言う意味だそうです。
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銀行家で新しくブルジョワに加わった彼の先祖がどうもこの称号を買ったそうですが、
やはり間違いなく“Famille de GAS”と刻まれていました。
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もうこの辺で寒気も限界に近くのカフェにまた飛び込みました。

これからモンマルトルへと歩を進めルノワールが描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」をかすめ、
そしてゴッホやユトリロが住んだアパートの捜索です。
(次回)





by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2015-12-15 03:10 | フランス | Trackback | Comments(0)
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