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「ジョルジュ・プレートルさんの思い出」

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新年早々、こんな訃報を書くのは気が引けるのですが、
一昨日フランスの大指揮者ジョルジュ・プレートルさんが亡くなられました。

昨年のピエール・ブーレーズ、ニコラウス・アーノンクールやネヴィル・マリナーと
長年活躍されて来た大音楽家が相次いでなくなりましたが、
又一つの時代の移り変わりを痛切に感じさせられます。

92歳と云う事なので大往生と言えば大往生なのですが、
キャリアも長いので音楽ファンの私にとっても思い出が沢山ある指揮者でした。

私が本格的に音楽を聴き始めた50年ほど前には、もう既に有名な指揮者で、
マリア・カラスと共演した「カルメン」や「トスカ」など話題になっていてレコードで聴いていました。

それに私にとっては大好きなアンドレ・クリュイタンスに指揮法を習ったと云う事でも印象深い人でした。
そのクリュイタンスも1967年に亡くなってしまい、
てっきりプレートルがその継承者になるだろうと思っていましたが、そう簡単ではありませんでした。

クリュイタンスが常任指揮者をしていたパリ音楽院管弦楽団は、
間もなく当時の文化相で強烈な個性の持ち主アンドレ・マルローによって解体され今日のパリ管へと再編されました。

当時この強引とも言えるマルローの政策を嫌って何人ものフランス人芸術家が
他国へと活動の拠点を移した時期でもありました。

プレートルも暫くはフランスで活躍されていましたが、
結局はウィーン交響楽団の常任時代が長く、晩年はシュトゥットガルトで常任をされていました。

彼の一番の思い出は、もう30年以上も前のことですが、
フィレンツェのテアトロ・コムナーレでマスネーの「ウェルテル」を観る機会がありました。

それも座席は前から四列目のど真ん中というもので、殆ど指揮者の後ろという感じでした。

彼の指揮ぶりは熱のこもったもので、動きも細やかに躍動していました。
音楽が盛り上がってくると自らも歌い出します。

それは歌詞ではなく「ブツブツ」と呟いているようですが、
自然に歌いだされたもので気持ちが乗ってきていたのでしょうね。

この日は歌手も素晴らしく「ウェルテル」はアルフレード・クラウス、
「シャルロッテ」にはヴァレンティーニ=テラーニという当時では理想的なキャスティングでした。

それに装置が綺麗だった。・・・教会前のシーンでは紅葉した並木道が舞台を斜めに横切っています。

それも何と土手になっていてその一部開いた奥に教会が建っている設定でした。
こんなオーソドックスながらも見応えのある装置は、もう滅多に見られなくなりました。

かれのウィーン時代にも聴いたことがありました。

それはウィーン・フィルとの演奏会でしたが、
当時得意としていたリヒャルト・シュトラウスの「バラの騎士組曲」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」、
後半は「ブラームスの2番」という、墺、独、仏、混合で如何にも彼の経歴を表したようなプログラムでした。

処で、「ラ・ヴァルス」なんてウィーンの人たちはどんな感情で演奏しているのでしょうか。・・・
一般的にはウインナ・ワルツの称賛として作曲されたと言われていますが、
他方これはオーストリー帝国の不安と崩壊を表しているとも言われています。

このウィーンでの演奏会ではプレートルさんは、もう85・6歳だったと思いますが、
お元気で相変わらず「ブツブツ」と歌いながら躍動されてました。

もう昔のフランスの響きを出せる人が殆どいなくなりましたが、
数少ない証言者だったプレートルさんのご冥福をお祈りしています。


by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2017-01-07 01:36 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
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