マーラーの作曲小屋-2 (ヴェルター湖畔) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムから]

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8年間とマーラーが最も長く滞在した二つ目の作曲小屋はオーストリアの最南部、
スロベニアにほど近いヴェルター湖畔(Wörthersee)のマイヤーニッヒ(Maiernigg)に建てられました。

湖は横に長く、濃いエメラルド・グリーンの水を湛えて透明度も高く綺麗な湖です。

湖北岸の中央辺りに位置するペルチャッハ(Pörtschach)と言う小さな町は
ちょっとしたリゾート地となっていて湖沿いにはお洒落な店やホテルが立ち並ぶプロムナードになっています。
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ここには2年に渡る夏のシーズンにブラームスが滞在し、
「交響曲2番」を初め「ヴァイオリン協奏曲」や「子守唄」などの名曲を作曲しています。

マイヤーニッヒは対岸の南東部に位置しますが、ブラームスがこの湖を訪れていたことも、
マーラーがこの地を選んだ理由の一つかもしれません。

この当時のマーラーは指揮者としてはウィーン宮廷歌劇場の芸術監督,
そしてウィーン・フィルの常任指揮者としても活躍し、押しも押されぬ地位を獲得していました。

作曲家としても既に揺るぎない名声を博し、絶頂期を迎えていました。

このマイヤーニッヒは1899年に湖畔に建つ館と裏山の土地を購入したほどで、
この地でジックリと腰をすえて作曲に取り込む覚悟だったようです。
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1902年には41歳で23歳のアルマと結婚、そして長女マリア・アンナの誕生と私生活でも幸せの頂点でした。

ここで作曲された曲では何と言っても「交響曲6番」が最も名作として知られる処ですが、
この4楽章で叩かれる大きな木槌を巡って色んな解釈がなされています。
(現在は2回叩くのが大方の解釈ですが、バーンスタインなどは3回叩かせました)

こんな絶頂期にも関わらず神経質な彼は3ツの不安を感していました。

一つ目は「家庭の崩壊」、二つ目は「社会的ダメージ」、そして三つ目は「自分の死」を恐れていました。
(マーラー自身の指揮では初演以外、3つ目は叩けなかったそうです)

これらの予感は後々全て当たってしまいますが、
それよりも何を思ったのかリュッケルトの詩に啓発されて作曲した
「亡き子をしのぶ歌」を発表したすぐ後に長女が忽然と亡くなってしまいます。

その後、この土地を全て売り払い二度とこの地へ来る事はありませんでした。
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by Atelier Onuki
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by Atelier-Onuki | 2017-09-18 00:56 | コラム | Trackback | Comments(0)
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