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ベートーヴェン・イヤー - 2 (ウィーンへ)

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この稀に見る大作曲家のことは有名なので、多くの人が知っているところです。

177012月にボンで生れていますが、そのファミリー・ネームからフラマン地方の出身であることが伺えます。


まずLudwigvan Beethovenに付いているvanは典型的なフラマン地方に付く名前で他には画家のvanDyck van Goghがいます。

これはドイツにおける貴族の称号であるvonとは違って単なる何処そこの誰的な意味合いしかありません。

それにBeethoven語尾のhoven(畑の意)もこの地方出身の人の語尾に付いているケースが多い様です。


事実、彼のお祖父さんの時代にこの地方からボンの宮廷歌手として移り住んでいます。

お父さんも宮廷歌手を引き継ぎ、ルートヴィッヒ少年には厳しい音楽教育をしたそうですが、

元来のアルコール依存症、しかも母親までもアルコールに頼っていたので家計は困窮していたそうです。


それでも16歳の時、弟子入りする為モーツァルトを頼ってウィーンに向かいますが、

この性格の全く違う2人は合う術もなく1度会ったきりでした。


そんな折、母親が急逝したためボンへと引き返し、数年間は演奏家として家計を支えなければなりませんでした。


チャンスが訪れたのは22歳の時、ロンドンへ行っていたハイドンが

ヴァルトシュタイン伯爵からベートーヴェンの噂を聞きつけボンまでやってきます。

早々に彼の才能を見抜いたハイドンは再びウィーンへ来て弟子入りする事を勧めます。

ピアノ演奏ではウィーンでも一目を置かれていましたが、ハイドンの下で学び作曲家としても順調に成長して行きました。


そんな折20代後半の頃から耳に異変を感じ出しました。


医者の勧めもあり温泉治療のためウィーン郊外のハイリゲンシュタットへ移りますが、

この辺からカーレンベルの丘にかけて広がるブドウ畑の風景が、

故郷ボン郊外のアールタールに似ていたこともありすっかり気に入ります。

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しかし音楽家にとっては致命傷と言うべき難聴は益々酷くなり、

とうとう自殺を考えるまで思い詰められ、弟ヨハンと甥カールに宛てて遺書を認めています。


これは彼の死後、発見され今日「ハイリゲンシュタットの遺書」として知られています。



by Atelier-Onuki | 2020-05-25 21:48 | コラム | Trackback | Comments(0)
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