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ベートーヴェン・イヤー [3] (ウィーンでの引越し)[6月のコラムから]

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ベートーヴェンは22歳の時ハイドンに師事するため2度目のウィーンへやって来ます。

それ以来、1度も故郷ボンへ帰ることなく35年間に渡りウィーンに留まりました。

その間、引越し魔として有名な彼は、ウィーン市内だけでも短期間を合わせて67回とも78回とも言われています。


音楽家としては致命傷ともいえる難聴で癇癪もちだったので、大きな音を立て周りの住民とは頻繁に揉め事を起こしていました。

そんな住居は全てが残っている訳ではありませんが、幾つか重要な建物が残っています。

今でも住んで居る人がいたり、何か別の施設になっている所では、見学はできませんが、

外から「オオ~ここでこの曲を書いたのだ!」と当時を偲んで思いを馳せることも興味深いものです。


「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたことで有名な、

それこそハイリゲンシュタットのProbusgasseにあるアパートはミュージアムになっています。

以前のミュージアムは実際彼が住んでいた部屋だけだったのですが、通りに面した部屋にも展示が拡張されました。


ここでは交響曲、ピアノ協奏曲の共に2番が作曲され初期ながら重要な作品です。

こんな遺書を書くほど苦しんでいた時期にも関わらず2楽章などは穏やかで天国的とさえ言える音楽です。


ここからちょっと北へ行くとベートーヴェン・ガングという小道が丘の方へ向かって続いています。

そう、ここは有名な「田園交響曲」のインスピレーションを受けた散歩道です。

今は家が建ち並んでいますが、ゆったりとした邸宅なので雰囲気を損なうようなことはありません。

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それに小川は自然のままで当時を偲ぶことができます。

「田園交響曲」なんて中学のころ音楽の時間で聴かされ、若いころから慣れ親しんで来た曲でした。


ウィーンに来て初めての待ちわびた春、ここを散歩したときの心地よかったこと。・・・

ちょうど嵐がザーッとやって来て、すぐに去っていきました。

木々は瑞々しさを取り戻し、丘の向こうには青空が広がりました。

「あぁこれだ~」と初めてベートーヴェンが言いたかった事が分かったような気がしました。



by Atelier-Onuki | 2020-06-23 22:50 | コラム | Trackback | Comments(0)
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