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指揮者カルロス・クライバーさんのこと-1 (4月のコラムから)

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                      バイエルン国立歌劇場近くのプラツェル広場


カルロス・クライバーさんはベルリンの生れですが、当時ベルリン国立歌劇場の音楽監督で

大指揮者の父エーリッヒがナチスの台頭に反発し、彼が5歳だった時にアルゼンチンへ亡命してしまいます。

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名前もカールからスペイン風のカルロスに改名されましたが、彼もこの名が気に入っていたようで生涯カルロスで通しています。


戦後はスイスに戻り、カルロスもチューリッヒやデュッセルドルフの歌劇場で活動を始めます。


その才能が開花し出したのはバイエルン国立歌劇場に所属しだしてからでした。

初来日もこの歌劇場の引っ越し公演で「バラの騎士」を指揮していますが、

まだこの当時、私は彼の存在を認識しておらず、他の公演を観てしまっていました。


彼の名が世界的に知られる様になったのは、レコード録音で最初のベートーヴェンの5番の交響曲でした。

その後発売された7番やJ.シュトラウスのオペレッタ「こうもり」が話題となりました。

颯爽としたテンポに変幻自在に操られた音楽は緊張感が漂い、スリリングで今まで聴いたことがないワクワクする演奏で、

「こりゃ凄い指揮者が現れたものだ!」と世界中の音楽ファンの間で噂されました。

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2度目の来日は81年、ミラノ・スカラ座初の引っ越し公演で、それだけでも大きな話題になったのですが、

2演目をクライバーが振るという事で、大騒ぎ・・・


私も”清水の舞台”から飛び降りる覚悟で、全公演のチケットを押さえました。

処が来日が迫った頃、大きな仕事を抱えてしまい、とうとう全ての公演も観ることが出来ませんでした。


ある日,偶々時間が開き「そうだ今日はクライバーでオテロがあるなぁ!」と、会場のNHKホールへと急ぎました。


開演間近だったので人影もまばら・・・チケットを売っている人などもいません。

ちょっとだけでも聴きたかったので、傍にいた係の人に「あのぅ、頭だけでも聴かせて貰いたいのですが~」と尋ねた処、

憐れんでくれたのか「まぁ、ちょっとだけなら~」と優しい返事が・・・

係官に付き添われて外側の扉に耳を押しつけました。

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ウォ~と異様なドヨメキと共に割れんばかりの拍手が起りました。

冒頭は嵐の中オテロが帰還してくるシーンです。

シンバルのジャーンを合図に物凄い迫力で鳴りだしました。

オゥ~こりゃホールの中ではドエライことが起こっているなと・・・

嵐のシーンも収まったころ、「あのぉ、そろそろ~」と促され渋々会場を後にしました。





by Atelier-Onuki | 2021-04-26 22:19 | コラム | Trackback | Comments(0)
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