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モネと印象派 (10月のコラムから)

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ある時、キリコが「最も印象派らしい画家はだれですか?」とピサロに尋ねたところ

「そりゃシスレーだよ!」と答えたそうです。


シスレー、その穏やかな画風のイギリス人画家は私も尊敬する大好きな画家です。

勿論、印象派らしく移ろい行く光のなかの情景を見事に捉えています。


唯、最も印象派らしい画家といえば、私はモネではないかなと思います。

尤も、この“印象派”という表現を生んだのもモネの絵からです。

それは展覧会に出品した初期の作品「印象・日の出」(Impression,soleillevant

を見た風刺新聞の記者が皮肉たっぷりにこの展覧会の名称としてネガティヴに取り上げたことに由来しています。

「何たるボーッとした表現、これを印象(Impression)と言うのか・・・」

この皮肉タップリな表現を、すっかり気に入った彼ら仲の良かった画家グループが、自分達の流派として受け入れてしまいます。

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この当時のフランス画壇はアングルを中心とするアカデミーが主流で、これにはサロンで入賞しなければ入る事ができませんでした。

そんな伝統的な写実表現ではなく、もっと自然の光に近い明るい絵画を模索していた彼らの描き方は、なるべく絵の具をパレット上で混ぜず、

キャンバス上でもストロークの短い割筆画方というやり方で、今で言うドットのような考え方でした。

これだと中々写実的には描く事が出来ず、サロンでは受け入れられず落選を余儀なくされる状態でした。


アカデミーには入れずモンマルトル墓地の近くにあったグレールの画塾に通っていましたが、偶然にももの凄い画家たちが集っていました。

年齢が上だったマネ(彼自身は印象派とは違う路線へと進みますが)を中心に、

カリブ海のセント・トーマス島からやってきたお父さんがフランス人のピサロ、彼も年齢が上で面倒見の良い人柄で慕われていました。

そこに親が銀行家のドガ、そして両親がパリで商店を営んでいたイギリス人のシスレー、

そして青年時代北フランスのル・アーブルにいたモネがやってきます。

さらにモネの1つ下のルノワールも加わり錚々たる人たちが集まりました。

グレールも伝統的な描法を押し付けず、彼らに自由に描かせていました。

彼らは画塾に近いカフェ・ゲルボアに集まっては、これからの芸術論に花をさかせていました。


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彼らは他に類を見ないほど仲の良いグループでした。

そしてドガ以外はサロンに縁がなかった彼らはいよいよ自分達で主催する印象派の由来となる第一回目の展覧会を

オペラ座前に横切る大通りにあるナダールの写真館で開催されます。

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by Atelier-Onuki | 2023-10-27 00:19 | コラム | Trackback | Comments(0)
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