カテゴリ:コラム( 23 )

セザンヌを訪ねて ③ : 市街地 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト11月のコラムから)

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エクスの地図を貰うべくツーリスト・インフォのあるロトンデの泉を目指しました。

ロータリーの道を挟んでインフォ側の広場にはセザンヌの立像が建っています。

エクス周辺を写生するため画材を担いで歩いている姿を表現した像で、
「フムフム、こんな感じで歩いていたのだなぁ!」と
尊敬の眼差しでアチコチとグルグル回りながら眺めていました。
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インフォでくれる地図は良く出来ていて、特にセザンヌ縁の場所を分かり易く歩けるように
オレンジの点線で散歩道を示してくれています。

この点線と同じルートの道路には“C“(Cezanne)と書かれた真鍮が埋め込まれていて、
それを辿って行けば迷わず歩けるようになっています。
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地図にはセザンヌ縁の地は30箇所以上あって全ては回りきれませんが、
ここからプラタナス並木の広々としたミラボー通りを生家を目指して歩き出しました。

この道は歩道の幅がタップリと取られているので、心地よい散策が楽しめます。
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緑のテントが大きくテラス席に張り出したレストラン「レ・デュ・ギャルソン」が現れました。
ここはセザンヌが足繁く通ったことで知られています。
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道を挟んだ角、今は銀行になっていますが、ここはセザンヌのお父さんが営んでいた「帽子店」の跡地です。 
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道が狭くなりオペラ通りへと入りました。

この先にクローム・イエローの外壁をもつ生家が残っていますが、扉は堅く閉じられています。
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Uターンをして今度はカルディナーレ通りのセザンヌが通っていた「ミニュ中学校」を目指しました。

この中学校では一つ下の学年にパリからエミール・ゾラが転校してきます。

同じ中学校に歴史に名を刻む2人が同時期にいたなんて、もの凄い学校ですね。
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唯、パリからの転校生は「イジメ」の対象となってしまいます。

元来、気難しく人付き合いの悪かったセザンヌは、むしろゾラをかばい、
そのせいでイジメッ子たちからボコボコに殴られたことがあったそうです。

それ以来、ゾラとは生涯に渡って親しく付き合うことになりますが、
まだ中学生なのに、お互い何処か才能の片鱗を見出していたのかも知れませんね。

この事件のあと恐縮したゾラは籠一杯のリンゴを抱えてセザンヌを見舞ったそうです。

その後、セザンヌの重要なモチーフの一つになった「リンゴ」はこの時の印象が強く残っていたのかもしれません。
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彼らはエクス周辺にも一緒に出掛け、サント・ヴィクトワール山、そして石切り場などを訪れますが、
セザンヌにとっては後に生涯に渡って向き合う重要なモチーフとなります。


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by Atelier-Onuki | 2018-11-17 01:17 | コラム | Trackback | Comments(0)

セザンヌを訪ねて 2 (エクスへの道) [ドイツ・ニュース・ダイジェスト10月のコラムから]

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ズ~と憧れていたセザンヌの生れ故郷、エクス・アン・プロヴァンスへは、ある時突然に思い立ちました。

それはカンヌで仕事があって、その後に自由な時間が出来たからです。

折角なので海沿いの近道を行くのではなく、
噂に聞いていた山間部を走るプロヴァンス鉄道に乗ってみたくなりました。

これはヨーロッパでは珍しい私鉄で、
駅はSNCF(国鉄)のニース駅からちょっと北側に行った所に鄙びた感じで佇んでいます。

列車はまるで遊園地の電車を思わせるような、ちょっと小振りの可愛い感じです。
運が良ければ、時々蒸気機関車も走っているそうで、まさに観光列車よろしくといった処です。

駅近くのスーパーでお惣菜やワインを買い込み、心は既に休暇モードです。

走り出して直ぐに山間部へと入り川に沿ってノロノロと走ります。

景色の良さと開放的な気分が相まって、早々に冷えたロゼを開けましたが、
山間部をジグザグに喘ぎながら上る小さな電車は上下左右に大きく揺れます。

溢さないように飲むのも大変でしたが、その酔いの早いこと・・・
この日の目的地アノー(Anot)に着く頃にはすっかり酔っ払っていました。

このアノーも山間の古くて小さな町で、屋根も壁も石造りの家々が数多く点在し、
独特の雰囲気を醸しだしています。

高台から眺めるプロヴァンス鉄道の石橋は霞んだ山を背景にし、古くとても趣があるもので、
山間には小さなチャペレがへばり付くように建っているのが見えています。

さて、いよいよエクスを目指しますが、先ずは終点のデューニュ・レ・バンまで列車、
そこからバスに乗り換えSNCFの駅があるシャトー・アンヌ・サン・トーバン
(Chàteau-Arnoux-Sant-Auban)へと向かいました。

地図を見るとこの駅の傍にはデュランスと云う川が流れていますし、
そのシャトーという地名からも、大いに期待が膨らんで行きました。

バスはクネクネと山間部を下り、遠くにはちょっと湿地帯のような草原も見えてきて、
「おお!シャトー!」と益々期待が膨らんできました。

閑静な住宅街を通り、ポツンと建つ小さな石造りの駅へと到着しました。

「さて、シャトーはどの辺にあるのだろうかなぁ?」・・・
ガランとした駅のホームに佇みアチコチを眺めて見たのですが、
目の前に広がっていたのはとてつもなく大きな化学薬品工場でした。

あぁ憧れのエクスは遠いなぁ~



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by Atelier-Onuki | 2018-10-22 23:37 | コラム | Trackback | Comments(0)

セザンヌを訪ねて 1 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムから)

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印象派の画家にはモネやシスレーを初め好きな画家がたくさんいるのですが、
水彩画家の私にとって最も崇拝している画家はセザンヌです。

他の画家たちは水彩画をあまり描いていないのに対し、
セザンヌは多くの水彩画を描いているので観賞できるチャンスもよくあります。

ササッと描かれたその達者な筆致に、「ウ~ン、上手いなぁ」といつも惚れ惚れしながら眺めています。

絵は概ね軽やかなタッチで、絵によっては一部分しか着色していなくて
殆どのスペースが鉛筆描きだけで残っているものもあります。

唯、これを未完成とはとてもいえず、絶妙なバランスで着色されていて、
そのセンスのよさに「ウ~!」と感嘆しヨダレを垂らすばかりです。

色の選び方も絶妙でササッと大胆にブルーで縁取りを描いたり、
パッとビビッドなグリーンが置かれていたり、影など大胆に濃いプルシャンで覆われています。

線の表現も輪郭線などは何本か続けて描いているのですが、
これが又絶妙なズレ具合で、対象物に動きや立体感を与えています。

そんなに好きだったら似たような描き方をすれば良いのに・・・と言い聞かして、
模写も試みた事もあったのですが、イヤイヤ中々このようには上手く行きません。

ササッと描いて一発で決められるなんて何という神業か・・・

不器用な私にはコチコチと何度も何度も描き直しながら仕上げて行くしかありません。

唯、見た目は器用に描いているようですが、あの神経質で有名なセザンヌですから、
きっとあれこれ迷った後に一気に描いているのではないでしょうか。

実際よくよく観てみると神経質に何度も見直しながら描いている様子を垣間見ることができます。
パリで印象派の人たちが通う“グレールの画塾”には、
年下のモネたちよりも、かなり遅れて入門しています。

元来、気難しくて人付き合いも苦手だった彼は、
温厚で面倒見がよかった年上のピサロ以外とは余り付き合いませんでした。

ピサロが住んで居たポントワーズへ移り住み、ここを始め
オーヴェル・シュル・オワーズなど一緒に写生に出掛け数々の名画を描いています。

しかしここでの生活もプロヴァンス出身の頑固者には中々馴染めず、
とうとう故郷のエクス・アン・プロヴァンスへ引きこもってしまいます。

そんなセザンヌの足取りを辿りにエクスへと向かいました。




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by Atelier-Onuki | 2018-09-25 23:51 | コラム | Trackback | Comments(0)

私の好きな湖 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト 8月のコラムより)

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海から遠い内陸部に住んでいる者にとっては、その代わりとして湖は気持ちが潤いホットする貴重な存在です。

特にミュンヘンに居た頃は南ドイツからオーストリア周辺に数多く点在するあちこちの湖を頻繁に訪れることができました。

どこも素敵だったのですが、そんな中から印象に残る好きになった湖が4箇所あります。

1つ目はガルミッシュからバスで西に30分ほど行った所にある「アイプゼー」です。

ここはツークシュピッツが間近に迫り、水はエメラルドグリーンに透き通り神秘的な光に輝いています。
一周6kmちょっと。右回り左回りどちらも若干の高低を楽しみながら移り変わる景色を満喫できます。
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2つ目はまるで半島の様にオーストリアへ食い込んでいるベルヒテスガーデンの南にある
縦長のケーニヒス湖の一番奥から更に300mほど下った所にあるオーバーゼーです。
勿論ケーニヒス湖も充分素敵で山々に囲まれ、緑色の水は透明度も高く豊かです。
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遊覧船に揺られよくコダマするポイントではトランペット演奏でその響きを聞かせてくれますし、
途中で立ち寄るバルトロメー教会も趣のある建物です。

さらに船を乗り継ぎ、終点からこのオーバーゼーまでは徒歩で登りますが、
この途中の山道が原生林のようでその不思議な景色を楽しむことができます。
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3つ目は湖水地方で有名なザツルカンマーグートの一番奥にあるゴーザウ湖から
更に奥に入ったヒンター・ゴーザウ湖でしょうか。

ゴーザウ湖自体すでに山々が間近に迫りエメラルドグリーンの透き通った水とのコントラストが見事で、
透明度が高くダイバーが多く訪れています。
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ここから2kmちょっとの所にある小さな湖ですが、ここまで来ると人影も少なく、
山々に囲まれた素敵な景色を楽しめます。
運が良ければ不定期で運行している馬車で向かうこともできます。
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最後は南チロル、今はイタリア領になっているトブラッハ(ドビヤッコ伊)から
バスで西に5kmほど行った所にあるブライエス湖です。
ここも透明度の高いやや緑がかったエメラルドグリーンで山々の迫り具合は相当なもので
まるで湖から山がせり出しているかのようです。
アップダウンの激しい遊歩道もありますが、半周分までで終ってしまいます。

貸しボートも浮かんでいますが木製のクラシックな物なので、ちょっとしたノスタルジーにも浸れます。
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唯、これらの湖は夏場、大勢の人たちが訪れ賑わっていますので、狙い目は秋です。

紅葉と神秘的な湖のコントラストは静寂の中に別世界を味わうことができます。



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by Atelier-Onuki | 2018-08-20 22:40 | コラム | Trackback | Comments(0)

晩年のブラームス (ウィーン) (ドイツ・ニュース・ダイジェスト7月のコラムから)



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地下鉄を降りムジークフェライン(楽友協会)へ向かう途中、道路を挟んだカールス・プラッツの木陰には、
椅子に座って物思いに耽っているかのようなブラームス像が見え隠れしています。

演奏会がある日はいつも、この像を眺めながら、
向こうのカールス教会の方から歩いて来たであろうブラームスの姿に思いを馳せています。

指揮者としても活躍していた彼は、ムジークフェラインまで、
近くにあった自分のアパートからきっと歩いて来たに違いありません。

今日、演奏会のプログラムは色んな作曲家を取り上げますが、
この形を最初に取り入れたのがブラームスだと言われています。

その頃はコンサート専門の指揮者は未だ少なく、一般的には作曲家が自らの作品だけを発表するのが恒例でした。

ブラームスを擁護していたハンスリュックと言う音楽評論家が、同時期に活躍していた作風の異なるブルックナーを攻撃していたので、
二人は不仲だったと言うのが定説でしたが、同じウィーンに居る作曲家同士がそれではいけないと、
一度連れ立ってブラームス行きつけのレストラン「赤いハリネズミ」へ行ったそうです。

ここでは二人とも「クヌーデル」が好物であることが判明し大いに意気投合したそうで、
その後はある時は一緒に、またある時は偶然この店で出会ったそうです。

こんな大作曲家のお爺さん二人が寄り添って歩いていたなんて、
想像するだけで微笑ましく楽しくなってきます。

残念ながらこの「赤いハリネズミ」は現存しませんし、
彼のアパートも工科大学の拡張に伴って取り壊されてしまいました。

大作曲家となった晩年のブラームスには多額の印税が入って来ましたが、
彼は質素な暮らしを変えることはありませんでした。
このムジークフェラインが新しく建てられる際も多額の寄付をし、
その小ホールはブラームス・ザールと冠されました。

又、没後に分かったそうですが、匿名で孤児院へ寄付を続けていたそうです。

そんな彼の晩年の作品で「間奏曲」がありますが、
これは思い立った時にスケッチをするように書き溜めたピアノの小品集です。

ここでは過ぎ去った古への思いや心情の細やかな動きを
穏やかな中にもシミジミと味わい深く醸しだされています。

さて、今夜はグレン・グールドの演奏でも聴こうかな・・・



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by Atelier-Onuki | 2018-07-23 19:06 | コラム | Trackback | Comments(0)

「バーデン・バーデン、クララの家」 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト6月のコラムより)

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ブラームス・ハウスに貼ってあった手描きで大雑把な地図の記憶を頼りにクララの家へ向かいました。

趣きのある立派な修道院を過ぎると、小川を挟んで道が分かれています。

地図だと確か大通りに面していたので暫く探しましたがなかなか見付りません。
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景色に誘われ今度は橋を渡り川に沿って歩き出しました。
この川沿いには色とりどりの瀟洒な家が立ち並び中々素敵な雰囲気です。
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並木道も広々としていて、その先は広大な森へと連なっています。
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ちょうど前の方から地元の人らしきオジイサンが歩いてきたので尋ねてみました。
「エ~ッと・・・確か表通りだったような???」と彼もちょっと不確かな感じです。

そこへ彼の知り合いらしきご婦人が歩いて来られました。

「アア~、この人なら知っているよ・・・」・・・「クララの家・・・云々・・・」・・・
「知っている・知っている・・・一緒に付いて来なさい。」と心強い返事・・・

彼女は歩いてきた道を150mほども逆戻りしてくれ、

「ホラ・・・あそこの白い家・・・あれがクララの住んでいた家よ・・・、

唯、彼女が住んで居た頃は一階建てだったの・・・
今の大家さんが改築をして三階建てにしたのだけれど、彼女も音楽好きで、
二階部分はホールになっていて時々演奏会をやっているのよっ・・・」とニコヤカに話してくれました。
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「では、良い一日を・・・」と挨拶を交わし、彼女は又逆方向へ歩いて行かれました。
(因みにこの家の正面は大通りHauptstrasseにも面していて、そちら側には1863-1873年の間、
作曲家シューマンの妻で天才ピアニスト、クララ・シューマンが住んで居たとのプレートが付いていました。)
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暫く感慨深く眺めた後、川に沿って歩いてみました。

すぐ左手にはブルー系の花々で爽やかに植え込まれた素敵な公園が現れました。
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木組みで味わいのある東屋が建っていたので歩を進めると
直ぐ前の木陰にブラームスのブロンズ像が立っていました。
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遠く向こうの方にはクララらしき像も立っているようです。
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あっちへ行ったり来たりして眺めていましたが、この30mほどの距離をおいて立っている二人の像は、
お互いの微妙な関係を実に上手く表した間隔だなぁと感心をしていました。

何だか切なくも微笑ましい気持ちになりながらボチボチと帰路に付きました。・・・






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by Atelier-Onuki | 2018-06-18 23:54 | コラム | Trackback | Comments(0)

「バーデン・バーデンのブラームス」 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト5月のコラムより)

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バーデン・バーデンはドイツ随一の温泉保養地として知られていますが、
私の興味はブラームスの家を訪れることでした。

このころの彼は30代、既に高名な作曲家としてウィーンに住んでいたのですが、
クララ・シューマンが滞在していた10年間に渡り毎年5月から10月ころまで彼女に会うためにやって来たようです。

クララのピアニストとして腕前はシューマンと結婚をする前から有名で、
彼の没後は演奏家として7人の子供たちを育てていましたが、
ブラームスは精神的にも経済的にもシューマン家を援助していまいた。

さて、ブラームス・ハウスがある郊外のリヒテンタールを目指しました。

バス停は”ブラームス・プラッツ”と明確です。
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この家はちょっと小高い所に建っていますが、
かつて写真で見たことがある白い家が表れた時にはちょっとした興奮を覚えました。
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かの高名なドイツのピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプさんがここを訪れた際には
「ここでひざまずいてから、上にあがるべきだろう!!」と仰ったそうです。
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この家は一時、解体の危機にありましたが、
世界中のブラームス・ファンが募金を募り保存することができました。

ここでは彼の重要な作品の数々が生み出されています。

主な作品では「ドイチェス・レクイエム」、
それに20年以上も悩みに悩みながら作曲をし続けた大作「交響曲1番」の仕上げ、
そしてペルチャッハで作曲をしていた「交響曲2番」の仕上げもここだそうです。
(いやぁ~余りの名曲の数々に感慨深いものが込み上げてきます。)
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それに「ブラームスの子守唄」として有名な曲「Lullaby」もクララの誕生日に演奏をしたそうです。
(作曲家はこんな技が使えて羨ましい・・・)
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キッチンがあった部屋には古い写真や楽譜などが展示されています。

ショーケースには小物と共にブラームスのデスマスクとクララの石膏手形などが展示されていました。
クララの手形は大きくて逞しく、さすがピアニストだけあって堂々とした立派な手でした。

賑やかに説明をしてくれていた管理人さんによると途中あった修道院の先には
クララが住んでいた家もあるそうで、ここも訪れてみることにしました。




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by Atelier-Onuki | 2018-05-29 22:54 | コラム | Trackback | Comments(0)

ぺルチャッハのブラームス (ドイツ・ニュース・ダイジェスト 4月のコラムから)

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構想から20年余りの歳月を経て、苦しみの内にやっと完成にこぎつけたブラームスの第一交響曲も初演を終え、
その重荷から開放された彼はヴァルター湖畔のペルチャッハへ作曲を兼ねた避暑に訪れます。
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ここでは構築的で重厚な1番の交響曲とは、打って変わって明るく伸びやかな2番の交響曲を生み出します。

それも彼としては珍しく3ヶ月ちょっとと云う短い期間で一気に完成させています。

その穏やかな曲想からブラームスの「田園交響曲」と呼ぶ人もいるほどです。

ブラームスが最初に宿泊したのは「シュロス・レオンシュタイン」と言う600年前のお城を改装した旅籠でしたが、
2年目の夏から筋向いにある、古びた「ラバッツ」と言うペンションに引っ越しています。
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それは最初に訪れた時に、長逗留をしていた芸術愛好家で世話好きの、
とある男爵夫妻が食事や船旅など頻繁に誘ったそうです。

人付き合いが余り得意でない彼は作曲に専念したかったので、
翌年からはこの寂しいペンションを7部屋も借りて静かに作曲をしたそうです。

その甲斐あって、ここでは「ヴァイオリン協奏曲」や「ヴァイオリン・ソナタの1番」
それに「ハンガリー舞曲」という名作の数々を生み出しました。

唯、このペンションは本当に朽ちかけていて、
壁に落書きのように「この家にブラームスは滞在しました。」と書かれていなかったら
唯の廃墟にしか見えず、ここで生れた名作の数々を思うと悲しい気持ちになります。
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「裏山には城跡があって、そこからの眺めが良いよ。」とホテルの人が言うので登ってみることにしました。

頂上には東屋が建っていてここからの眺めは遠くアルプスが見渡せ絶景です。
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東屋には大きな木製の安楽椅子が設置されていて、ここでゴロンと寝転べるようになっています。
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枕元を見るとボタンが3ツ付いていて、上から「ハンガリー舞曲6番」、
「子守唄」、そして「ヴァイオリン協奏曲」から2楽章と書かれています。

上から押してみると元気良くハンガリー舞曲が鳴り出しました。
続いて「眠れ~眠れ・・・」で始まる例の「ブラームスの子守唄」、
ヴァイオリン協奏曲のアダージョではその心地よさに本当に眠ってしまいそうでした。



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by Atelier-Onuki | 2018-04-23 19:56 | コラム | Trackback | Comments(0)

「トゥッツィングのブラームス」 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト3月のコラムより)

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ブラームスは大好きな作曲家なので、特に4曲ある交響曲は高校生のころから親しんで聴いていました。

その内3番は比較的短い曲なので、
レコードの余白にはオマケ的な扱いで「ハイドンの主題による変奏曲」がよくカップリングされていました。
ところがすっかり気に入って、途中から入っているにも関わらずこの曲の所を選んでよく聴いたものでした。
(勿論3番も大好きな曲ですよ。)

その後、何十年も経ってミュンヘンに住んでいたときに演奏会で貰ったプログラムを
パラパラ眺めていると、素敵な風景画が目に留まりました。

それはComptonと言う画家が描いた水彩画でしたが、
Tutzing(トゥッツィング)と云うシュタルンベルガー湖畔の町で、何とここでこの曲を作曲していたのです。
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Sバーンで行ける距離ですし行かない手はありません。

少ない情報を頼りにブラームスが滞在したペンションが建つHauptstrasseを目指しました。

湖畔にでると「ブラームス・プロムナード」と書かれた小さなプレートも掛かっていて、
何だかウキウキとした気分になってきます。
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グリーンベルトの中央辺りにある大きな柳の下にはブラームスの碑が建っています。
これは彼の生誕100周年を記念して建てられたそうですが、
碑には「ヨハネス・ブラームス、作曲家、Tutzing、三作品」と書かれているだけでサッパリとしたものでした。
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どういう経緯でここに来たのか分かりませんが、偶々Heyseさんと云う人が最初に連れて来たそうで、
すっかり気に入った彼は再びここを訪れ、5月から8月まで何と4ヶ月もの間滞在したそうです。
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湖に突き出た桟橋にヨッコラショと座り込み、
遠く連なるアルプスを眺めながらおもむろにI-phoneを取り出しました。
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低弦のピッチカートに乗ってオーボエが穏やかな主題を奏でだしました。

そりゃこんな風景に囲まれていたら、穏やかな気分で作曲が進められるでしょうね。

曲は進みホルンが軽快な旋律を高らかに鳴らし私の大好きな箇所に差し掛かりました。
きっとこれは目の前の堂々と連なるアルプスを表現したのかなぁ~

クライマックスに入り待ってましたとばかりにトライアングルを伴って盛り上がりを見せたあと、
名残を惜しむようにフィナーレを閉じました。

イヤァ~この上ない至福の20分間でした。




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by Atelier-Onuki | 2018-03-19 19:09 | コラム | Trackback | Comments(0)

「シューマンとブラームス」(ドイツ・ニュース・ダイジェスト2月のコラムより)

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シューマンとブラームスの最初の出会いは私の住んでいるデュッセルドルフでした。

それはシューマンが刊行していた「新音楽時報」の中で
[バッハに始まりベートーヴェンを頂点とした正統ドイツ音楽の重要性と回帰]を読み
感銘を受けたブラームスが共通の知人だった名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム
の紹介状を持って、ハンブルクからこのビルカー通り15番のアパートを訪れたのでした。
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早々に持参してきたピアノ・ソナタの1番を披露した処、シューマンは一旦演奏を止めさせ
別室にいたクララを連れてきて「もう一度最初から弾いてくれないか」と頼むほどでした。
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この青年に輝かしい才能を見出したシューマンはその後「新しい道」と題した論評で
ブラームスを紹介し20歳にして音楽界に知られる存在となりました。

すっかり気に入られたブラームスは1ヶ月に渡り滞在していますが、
その後クララとは生涯に渡り付き合うことになるとは、この時は想像できなかった事でしょう。

滞在中、ローレンスという画家に横顔の肖像画を描かせていますが、
一般的に知られている髭モジャのブラームスからは想像できないほどスリムなハンサム・ボーイです。
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この訪問はシューマンにとっては久しぶりの明るい出来事でした。

というのも彼はデュッセルドルフに来る前から、相当酷い精神病に掛かっていました。

クララとの結婚を巡り、クララの父親で彼のピアノの師匠でもあったフリードリッヒ・ヴェークから
執拗で屈辱的なまでの反対を受け、裁判にまでなったことが病の原因の一つだと指摘する人もいます。
この時の精神的ダメージが大きな影となってシューマンに圧し掛かっていたのでしょうか。

このデュッセルドルフではオーケストラと合唱団の音楽監督という立場でしたが、
作曲された代表作は何と言っても「ライン」と副題が付いた交響曲3番でしょうか。

初めて見るラインに感銘を受け、そこに尊厳すら感じ取り、
とうとうと流れるラインの力強さや憧れ、そしてウキウキをした気分までも表現しています。

この曲からは到底、彼の精神状態は想像できませんが、
翌1854年2月カーニバルの日にラインに掛かる橋から身を投げてしまいます。
(この橋は現在ありませんがブルク広場の大階段辺りに船を連ねた上に橋桁を架けただけの低い橋があったのが当時の挿絵から伺われます。)
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この時は偶々通りかかった漁船に助けられますが、
入院したボン近郊の療養所では充分な治療を受ける事もできず2年後に亡くなってしまいます。


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by Atelier-Onuki | 2018-02-28 00:25 | コラム | Trackback | Comments(0)