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セザンヌを訪ねて 5  ジャス・ド・ブッファン (ドイツ・ニュース・ダイジェスト1月のコラムより)

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セザンヌお父さん(ルイ・オーギュスト)はエクス・アン・プロヴァンスの中心地
ミラボー通りに帽子の製造販売店を構えていました。

頑固で勤勉な性格でしたが、商才もあったようで、とうとう地元の銀行を買収できるまでの財力をつけます。

銀行業でも順調に発展していったようで、この頃エクスの中心部から800mほど西へ行った所に建つ
ジャス・ド・ブッファンという館を別荘として購入します。

銀行を継がせたい父の思いとは裏腹にセザンヌはゾラの影響もあり、
画家になるとの憧れを強く持ち出した頃でもありました。

彼の最初の作品はこの館のホール壁面に描かれた「春夏秋冬」と題された4枚の壁画でした。
(これは現在、パリのプティ・パレに展示されています。)
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そんな中、この厳格な父親の肖像画も2枚描いていますが、その2枚目では、
大きな背もたれの肘掛け椅子に座り、気難しい顔をして新聞を読んでいる姿が描かれています。

これには画家になることに猛反対をしている父親に対する皮肉や希望が込められています。

背景の壁には自分が描いた静物画が掛けられ、
彼が読んでいるのはゾラが論文を投稿していた「レヴェンヌマン」という新聞で、
当時はとても革新的な論調で、保守的な父親は絶対に読まない内容のものでした。
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ツーリスト・インフォで予約を取り、待ち合わせの時間にジャス・ド・ブッファンへ向かいました。

セザンヌはこの館を何枚も描いていて、一度は行ってみたいなと思っていたので気持ちは高ぶってきます。
門は開放されていて館までの庭を予定の時間まで散策していました。
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それにしても広い・・・入り口から館まで並木道になっていますが、100mほどあるでしょうか・・・

やっとガイドさんが到着し、館の中を案内してくれました。

さすがに古い建物なので2階へは行く事が出来ず、近々改装をするそうですが、往時を偲びながら眺めていました。

裏庭へも通されましたが、これが又広く何処まで続くのやら・・・
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ここでもレンガ作りの池をはじめ何枚も描いています。
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このジャス・ド・ブッファンという名前は昔隣にあった羊小屋に由来した
“ブッファンの羊小屋”という意味の古いフランス語だそうです。


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by Atelier-Onuki | 2019-01-23 00:10 | コラム | Trackback | Comments(0)

セザンヌを訪ねて 4 サント・ヴィクトワール山への道 (12月のコラムより)

今月は21日から日本へ出発しますので、発刊日よりも早くフライングをして掲載いたします。

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セザンヌといえば真っ先に「サント・ヴィクトワール山」を思い浮かべます。

油絵を44枚、水彩画で43枚描いたと言われていますが、
一つのモチーフをこれだけ愛着を持って何枚も描き続けたのは驚異としかいえません。
(他にはモネの睡蓮がある位でしょうか?)

山は画家にとっては中々難しい題材で、技術的な問題というよりも、
絵葉書のように描くのではなく如何に芸術性の高みまで描けるかにかかっています。

同じ様に有名な山として富士山を思い浮かべますが、この山にも愛着を注ぎ挑んだ画家達がいます。

一人目の「富岳三十六景」で有名な葛飾北斎を初め、
日本画の大御所、横山大観は神秘性を通じ崇高な域にまで達しています。
それに日本画に絶妙なモダニズムを持ち込んだ片岡珠子さんなどは、芸術としての風格と格調を与えています。

セザンヌの頭の中には恐らく北斎の影響もあったかと思われますが、
それは富士山もサント・ヴィクトワール山も、山の稜線が長く広々とした裾野が広がっていて似ているといえば似ています。

そんなセザンヌ・ファン憧れのサント・ヴィクトワール山と出会うため、
彼の絵の中にも登場するシャトー・ノワールを目指しました。

交通手段がないので徒歩で向かいましたが、
地図で確かめると街から3kmほどの所にシャトー・ノワールが見付かりました。 

道も“Route Cézanne ”(セザンヌ道路)とあり、
「この道をセザンヌも歩いて通ったのだ!」と益々気持ちが高まっていきました。

街を出てセザンヌ道路へと入ると、松林や糸杉が点在するプロヴァンスらしい乾燥した田舎の景色が広がりました。

唯、このセザンヌ道路は幹線道路なのか頻繁に車が走っています。

道幅は4m程と狭く両端から50cm位の所に申し訳程度の線が敷かれて歩道と認識はできるのですが、
中央線も敷かれていないので車が交差する時には歩道まではみ出してきます。

トラックなど走ってくると脇の雑草が生えている所まで逃げながらの危険歩行です。 

もうシャトー・ノワールまでは諦めて小高い所に見えた館への脇道へ逃れました。

やっと庭先まで登り目を上げると、オット・・目の前にあのサント・ヴィクトワール山が堂々と横たわっています。・・・ 
これだ!正に絵で見たことのある風景で、まるでセザンヌの絵の中に紛れ込んだような錯覚にとらわれます。
やっと出会えた憧れの風景に暫し時を忘れて見入っていました。

帰り道、街に入る手前の石塀からサクランボの枝が飛び出しています。

ヒョイとジャンプして一粒手折りホオバリましたが、その瑞々しい果汁は乾いた喉を甘く潤してくれました。





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by Atelier-Onuki | 2018-12-19 00:17 | コラム | Trackback | Comments(0)

セザンヌを訪ねて ③ : 市街地 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト11月のコラムから)

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エクスの地図を貰うべくツーリスト・インフォのあるロトンデの泉を目指しました。

ロータリーの道を挟んでインフォ側の広場にはセザンヌの立像が建っています。

エクス周辺を写生するため画材を担いで歩いている姿を表現した像で、
「フムフム、こんな感じで歩いていたのだなぁ!」と
尊敬の眼差しでアチコチとグルグル回りながら眺めていました。
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インフォでくれる地図は良く出来ていて、特にセザンヌ縁の場所を分かり易く歩けるように
オレンジの点線で散歩道を示してくれています。

この点線と同じルートの道路には“C“(Cezanne)と書かれた真鍮が埋め込まれていて、
それを辿って行けば迷わず歩けるようになっています。
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地図にはセザンヌ縁の地は30箇所以上あって全ては回りきれませんが、
ここからプラタナス並木の広々としたミラボー通りを生家を目指して歩き出しました。

この道は歩道の幅がタップリと取られているので、心地よい散策が楽しめます。
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緑のテントが大きくテラス席に張り出したレストラン「レ・デュ・ギャルソン」が現れました。
ここはセザンヌが足繁く通ったことで知られています。
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道を挟んだ角、今は銀行になっていますが、ここはセザンヌのお父さんが営んでいた「帽子店」の跡地です。 
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道が狭くなりオペラ通りへと入りました。

この先にクローム・イエローの外壁をもつ生家が残っていますが、扉は堅く閉じられています。
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Uターンをして今度はカルディナーレ通りのセザンヌが通っていた「ミニュ中学校」を目指しました。

この中学校では一つ下の学年にパリからエミール・ゾラが転校してきます。

同じ中学校に歴史に名を刻む2人が同時期にいたなんて、もの凄い学校ですね。
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唯、パリからの転校生は「イジメ」の対象となってしまいます。

元来、気難しく人付き合いの悪かったセザンヌは、むしろゾラをかばい、
そのせいでイジメッ子たちからボコボコに殴られたことがあったそうです。

それ以来、ゾラとは生涯に渡って親しく付き合うことになりますが、
まだ中学生なのに、お互い何処か才能の片鱗を見出していたのかも知れませんね。

この事件のあと恐縮したゾラは籠一杯のリンゴを抱えてセザンヌを見舞ったそうです。

その後、セザンヌの重要なモチーフの一つになった「リンゴ」はこの時の印象が強く残っていたのかもしれません。
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彼らはエクス周辺にも一緒に出掛け、サント・ヴィクトワール山、そして石切り場などを訪れますが、
セザンヌにとっては後に生涯に渡って向き合う重要なモチーフとなります。


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by Atelier-Onuki | 2018-11-17 01:17 | コラム | Trackback | Comments(0)

セザンヌを訪ねて 2 (エクスへの道) [ドイツ・ニュース・ダイジェスト10月のコラムから]

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ズ~と憧れていたセザンヌの生れ故郷、エクス・アン・プロヴァンスへは、ある時突然に思い立ちました。

それはカンヌで仕事があって、その後に自由な時間が出来たからです。

折角なので海沿いの近道を行くのではなく、
噂に聞いていた山間部を走るプロヴァンス鉄道に乗ってみたくなりました。

これはヨーロッパでは珍しい私鉄で、
駅はSNCF(国鉄)のニース駅からちょっと北側に行った所に鄙びた感じで佇んでいます。

列車はまるで遊園地の電車を思わせるような、ちょっと小振りの可愛い感じです。
運が良ければ、時々蒸気機関車も走っているそうで、まさに観光列車よろしくといった処です。

駅近くのスーパーでお惣菜やワインを買い込み、心は既に休暇モードです。

走り出して直ぐに山間部へと入り川に沿ってノロノロと走ります。

景色の良さと開放的な気分が相まって、早々に冷えたロゼを開けましたが、
山間部をジグザグに喘ぎながら上る小さな電車は上下左右に大きく揺れます。

溢さないように飲むのも大変でしたが、その酔いの早いこと・・・
この日の目的地アノー(Anot)に着く頃にはすっかり酔っ払っていました。

このアノーも山間の古くて小さな町で、屋根も壁も石造りの家々が数多く点在し、
独特の雰囲気を醸しだしています。

高台から眺めるプロヴァンス鉄道の石橋は霞んだ山を背景にし、古くとても趣があるもので、
山間には小さなチャペレがへばり付くように建っているのが見えています。

さて、いよいよエクスを目指しますが、先ずは終点のデューニュ・レ・バンまで列車、
そこからバスに乗り換えSNCFの駅があるシャトー・アンヌ・サン・トーバン
(Chàteau-Arnoux-Sant-Auban)へと向かいました。

地図を見るとこの駅の傍にはデュランスと云う川が流れていますし、
そのシャトーという地名からも、大いに期待が膨らんで行きました。

バスはクネクネと山間部を下り、遠くにはちょっと湿地帯のような草原も見えてきて、
「おお!シャトー!」と益々期待が膨らんできました。

閑静な住宅街を通り、ポツンと建つ小さな石造りの駅へと到着しました。

「さて、シャトーはどの辺にあるのだろうかなぁ?」・・・
ガランとした駅のホームに佇みアチコチを眺めて見たのですが、
目の前に広がっていたのはとてつもなく大きな化学薬品工場でした。

あぁ憧れのエクスは遠いなぁ~



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by Atelier-Onuki | 2018-10-22 23:37 | コラム | Trackback | Comments(0)

セザンヌを訪ねて 1 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムから)

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印象派の画家にはモネやシスレーを初め好きな画家がたくさんいるのですが、
水彩画家の私にとって最も崇拝している画家はセザンヌです。

他の画家たちは水彩画をあまり描いていないのに対し、
セザンヌは多くの水彩画を描いているので観賞できるチャンスもよくあります。

ササッと描かれたその達者な筆致に、「ウ~ン、上手いなぁ」といつも惚れ惚れしながら眺めています。

絵は概ね軽やかなタッチで、絵によっては一部分しか着色していなくて
殆どのスペースが鉛筆描きだけで残っているものもあります。

唯、これを未完成とはとてもいえず、絶妙なバランスで着色されていて、
そのセンスのよさに「ウ~!」と感嘆しヨダレを垂らすばかりです。

色の選び方も絶妙でササッと大胆にブルーで縁取りを描いたり、
パッとビビッドなグリーンが置かれていたり、影など大胆に濃いプルシャンで覆われています。

線の表現も輪郭線などは何本か続けて描いているのですが、
これが又絶妙なズレ具合で、対象物に動きや立体感を与えています。

そんなに好きだったら似たような描き方をすれば良いのに・・・と言い聞かして、
模写も試みた事もあったのですが、イヤイヤ中々このようには上手く行きません。

ササッと描いて一発で決められるなんて何という神業か・・・

不器用な私にはコチコチと何度も何度も描き直しながら仕上げて行くしかありません。

唯、見た目は器用に描いているようですが、あの神経質で有名なセザンヌですから、
きっとあれこれ迷った後に一気に描いているのではないでしょうか。

実際よくよく観てみると神経質に何度も見直しながら描いている様子を垣間見ることができます。
パリで印象派の人たちが通う“グレールの画塾”には、
年下のモネたちよりも、かなり遅れて入門しています。

元来、気難しくて人付き合いも苦手だった彼は、
温厚で面倒見がよかった年上のピサロ以外とは余り付き合いませんでした。

ピサロが住んで居たポントワーズへ移り住み、ここを始め
オーヴェル・シュル・オワーズなど一緒に写生に出掛け数々の名画を描いています。

しかしここでの生活もプロヴァンス出身の頑固者には中々馴染めず、
とうとう故郷のエクス・アン・プロヴァンスへ引きこもってしまいます。

そんなセザンヌの足取りを辿りにエクスへと向かいました。




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by Atelier-Onuki | 2018-09-25 23:51 | コラム | Trackback | Comments(0)

私の好きな湖 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト 8月のコラムより)

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海から遠い内陸部に住んでいる者にとっては、その代わりとして湖は気持ちが潤いホットする貴重な存在です。

特にミュンヘンに居た頃は南ドイツからオーストリア周辺に数多く点在するあちこちの湖を頻繁に訪れることができました。

どこも素敵だったのですが、そんな中から印象に残る好きになった湖が4箇所あります。

1つ目はガルミッシュからバスで西に30分ほど行った所にある「アイプゼー」です。

ここはツークシュピッツが間近に迫り、水はエメラルドグリーンに透き通り神秘的な光に輝いています。
一周6kmちょっと。右回り左回りどちらも若干の高低を楽しみながら移り変わる景色を満喫できます。
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2つ目はまるで半島の様にオーストリアへ食い込んでいるベルヒテスガーデンの南にある
縦長のケーニヒス湖の一番奥から更に300mほど下った所にあるオーバーゼーです。
勿論ケーニヒス湖も充分素敵で山々に囲まれ、緑色の水は透明度も高く豊かです。
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遊覧船に揺られよくコダマするポイントではトランペット演奏でその響きを聞かせてくれますし、
途中で立ち寄るバルトロメー教会も趣のある建物です。

さらに船を乗り継ぎ、終点からこのオーバーゼーまでは徒歩で登りますが、
この途中の山道が原生林のようでその不思議な景色を楽しむことができます。
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3つ目は湖水地方で有名なザツルカンマーグートの一番奥にあるゴーザウ湖から
更に奥に入ったヒンター・ゴーザウ湖でしょうか。

ゴーザウ湖自体すでに山々が間近に迫りエメラルドグリーンの透き通った水とのコントラストが見事で、
透明度が高くダイバーが多く訪れています。
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ここから2kmちょっとの所にある小さな湖ですが、ここまで来ると人影も少なく、
山々に囲まれた素敵な景色を楽しめます。
運が良ければ不定期で運行している馬車で向かうこともできます。
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最後は南チロル、今はイタリア領になっているトブラッハ(ドビヤッコ伊)から
バスで西に5kmほど行った所にあるブライエス湖です。
ここも透明度の高いやや緑がかったエメラルドグリーンで山々の迫り具合は相当なもので
まるで湖から山がせり出しているかのようです。
アップダウンの激しい遊歩道もありますが、半周分までで終ってしまいます。

貸しボートも浮かんでいますが木製のクラシックな物なので、ちょっとしたノスタルジーにも浸れます。
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唯、これらの湖は夏場、大勢の人たちが訪れ賑わっていますので、狙い目は秋です。

紅葉と神秘的な湖のコントラストは静寂の中に別世界を味わうことができます。



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by Atelier-Onuki | 2018-08-20 22:40 | コラム | Trackback | Comments(0)

晩年のブラームス (ウィーン) (ドイツ・ニュース・ダイジェスト7月のコラムから)



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地下鉄を降りムジークフェライン(楽友協会)へ向かう途中、道路を挟んだカールス・プラッツの木陰には、
椅子に座って物思いに耽っているかのようなブラームス像が見え隠れしています。

演奏会がある日はいつも、この像を眺めながら、
向こうのカールス教会の方から歩いて来たであろうブラームスの姿に思いを馳せています。

指揮者としても活躍していた彼は、ムジークフェラインまで、
近くにあった自分のアパートからきっと歩いて来たに違いありません。

今日、演奏会のプログラムは色んな作曲家を取り上げますが、
この形を最初に取り入れたのがブラームスだと言われています。

その頃はコンサート専門の指揮者は未だ少なく、一般的には作曲家が自らの作品だけを発表するのが恒例でした。

ブラームスを擁護していたハンスリュックと言う音楽評論家が、同時期に活躍していた作風の異なるブルックナーを攻撃していたので、
二人は不仲だったと言うのが定説でしたが、同じウィーンに居る作曲家同士がそれではいけないと、
一度連れ立ってブラームス行きつけのレストラン「赤いハリネズミ」へ行ったそうです。

ここでは二人とも「クヌーデル」が好物であることが判明し大いに意気投合したそうで、
その後はある時は一緒に、またある時は偶然この店で出会ったそうです。

こんな大作曲家のお爺さん二人が寄り添って歩いていたなんて、
想像するだけで微笑ましく楽しくなってきます。

残念ながらこの「赤いハリネズミ」は現存しませんし、
彼のアパートも工科大学の拡張に伴って取り壊されてしまいました。

大作曲家となった晩年のブラームスには多額の印税が入って来ましたが、
彼は質素な暮らしを変えることはありませんでした。
このムジークフェラインが新しく建てられる際も多額の寄付をし、
その小ホールはブラームス・ザールと冠されました。

又、没後に分かったそうですが、匿名で孤児院へ寄付を続けていたそうです。

そんな彼の晩年の作品で「間奏曲」がありますが、
これは思い立った時にスケッチをするように書き溜めたピアノの小品集です。

ここでは過ぎ去った古への思いや心情の細やかな動きを
穏やかな中にもシミジミと味わい深く醸しだされています。

さて、今夜はグレン・グールドの演奏でも聴こうかな・・・



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by Atelier-Onuki | 2018-07-23 19:06 | コラム | Trackback | Comments(0)

「バーデン・バーデン、クララの家」 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト6月のコラムより)

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ブラームス・ハウスに貼ってあった手描きで大雑把な地図の記憶を頼りにクララの家へ向かいました。

趣きのある立派な修道院を過ぎると、小川を挟んで道が分かれています。

地図だと確か大通りに面していたので暫く探しましたがなかなか見付りません。
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景色に誘われ今度は橋を渡り川に沿って歩き出しました。
この川沿いには色とりどりの瀟洒な家が立ち並び中々素敵な雰囲気です。
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並木道も広々としていて、その先は広大な森へと連なっています。
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ちょうど前の方から地元の人らしきオジイサンが歩いてきたので尋ねてみました。
「エ~ッと・・・確か表通りだったような???」と彼もちょっと不確かな感じです。

そこへ彼の知り合いらしきご婦人が歩いて来られました。

「アア~、この人なら知っているよ・・・」・・・「クララの家・・・云々・・・」・・・
「知っている・知っている・・・一緒に付いて来なさい。」と心強い返事・・・

彼女は歩いてきた道を150mほども逆戻りしてくれ、

「ホラ・・・あそこの白い家・・・あれがクララの住んでいた家よ・・・、

唯、彼女が住んで居た頃は一階建てだったの・・・
今の大家さんが改築をして三階建てにしたのだけれど、彼女も音楽好きで、
二階部分はホールになっていて時々演奏会をやっているのよっ・・・」とニコヤカに話してくれました。
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「では、良い一日を・・・」と挨拶を交わし、彼女は又逆方向へ歩いて行かれました。
(因みにこの家の正面は大通りHauptstrasseにも面していて、そちら側には1863-1873年の間、
作曲家シューマンの妻で天才ピアニスト、クララ・シューマンが住んで居たとのプレートが付いていました。)
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暫く感慨深く眺めた後、川に沿って歩いてみました。

すぐ左手にはブルー系の花々で爽やかに植え込まれた素敵な公園が現れました。
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木組みで味わいのある東屋が建っていたので歩を進めると
直ぐ前の木陰にブラームスのブロンズ像が立っていました。
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遠く向こうの方にはクララらしき像も立っているようです。
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あっちへ行ったり来たりして眺めていましたが、この30mほどの距離をおいて立っている二人の像は、
お互いの微妙な関係を実に上手く表した間隔だなぁと感心をしていました。

何だか切なくも微笑ましい気持ちになりながらボチボチと帰路に付きました。・・・






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by Atelier-Onuki | 2018-06-18 23:54 | コラム | Trackback | Comments(0)

「バーデン・バーデンのブラームス」 (ドイツ・ニュース・ダイジェスト5月のコラムより)

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バーデン・バーデンはドイツ随一の温泉保養地として知られていますが、
私の興味はブラームスの家を訪れることでした。

このころの彼は30代、既に高名な作曲家としてウィーンに住んでいたのですが、
クララ・シューマンが滞在していた10年間に渡り毎年5月から10月ころまで彼女に会うためにやって来たようです。

クララのピアニストとして腕前はシューマンと結婚をする前から有名で、
彼の没後は演奏家として7人の子供たちを育てていましたが、
ブラームスは精神的にも経済的にもシューマン家を援助していまいた。

さて、ブラームス・ハウスがある郊外のリヒテンタールを目指しました。

バス停は”ブラームス・プラッツ”と明確です。
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この家はちょっと小高い所に建っていますが、
かつて写真で見たことがある白い家が表れた時にはちょっとした興奮を覚えました。
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かの高名なドイツのピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプさんがここを訪れた際には
「ここでひざまずいてから、上にあがるべきだろう!!」と仰ったそうです。
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この家は一時、解体の危機にありましたが、
世界中のブラームス・ファンが募金を募り保存することができました。

ここでは彼の重要な作品の数々が生み出されています。

主な作品では「ドイチェス・レクイエム」、
それに20年以上も悩みに悩みながら作曲をし続けた大作「交響曲1番」の仕上げ、
そしてペルチャッハで作曲をしていた「交響曲2番」の仕上げもここだそうです。
(いやぁ~余りの名曲の数々に感慨深いものが込み上げてきます。)
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それに「ブラームスの子守唄」として有名な曲「Lullaby」もクララの誕生日に演奏をしたそうです。
(作曲家はこんな技が使えて羨ましい・・・)
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キッチンがあった部屋には古い写真や楽譜などが展示されています。

ショーケースには小物と共にブラームスのデスマスクとクララの石膏手形などが展示されていました。
クララの手形は大きくて逞しく、さすがピアニストだけあって堂々とした立派な手でした。

賑やかに説明をしてくれていた管理人さんによると途中あった修道院の先には
クララが住んでいた家もあるそうで、ここも訪れてみることにしました。




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by Atelier-Onuki | 2018-05-29 22:54 | コラム | Trackback | Comments(0)

ぺルチャッハのブラームス (ドイツ・ニュース・ダイジェスト 4月のコラムから)

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構想から20年余りの歳月を経て、苦しみの内にやっと完成にこぎつけたブラームスの第一交響曲も初演を終え、
その重荷から開放された彼はヴァルター湖畔のペルチャッハへ作曲を兼ねた避暑に訪れます。
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ここでは構築的で重厚な1番の交響曲とは、打って変わって明るく伸びやかな2番の交響曲を生み出します。

それも彼としては珍しく3ヶ月ちょっとと云う短い期間で一気に完成させています。

その穏やかな曲想からブラームスの「田園交響曲」と呼ぶ人もいるほどです。

ブラームスが最初に宿泊したのは「シュロス・レオンシュタイン」と言う600年前のお城を改装した旅籠でしたが、
2年目の夏から筋向いにある、古びた「ラバッツ」と言うペンションに引っ越しています。
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それは最初に訪れた時に、長逗留をしていた芸術愛好家で世話好きの、
とある男爵夫妻が食事や船旅など頻繁に誘ったそうです。

人付き合いが余り得意でない彼は作曲に専念したかったので、
翌年からはこの寂しいペンションを7部屋も借りて静かに作曲をしたそうです。

その甲斐あって、ここでは「ヴァイオリン協奏曲」や「ヴァイオリン・ソナタの1番」
それに「ハンガリー舞曲」という名作の数々を生み出しました。

唯、このペンションは本当に朽ちかけていて、
壁に落書きのように「この家にブラームスは滞在しました。」と書かれていなかったら
唯の廃墟にしか見えず、ここで生れた名作の数々を思うと悲しい気持ちになります。
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「裏山には城跡があって、そこからの眺めが良いよ。」とホテルの人が言うので登ってみることにしました。

頂上には東屋が建っていてここからの眺めは遠くアルプスが見渡せ絶景です。
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東屋には大きな木製の安楽椅子が設置されていて、ここでゴロンと寝転べるようになっています。
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枕元を見るとボタンが3ツ付いていて、上から「ハンガリー舞曲6番」、
「子守唄」、そして「ヴァイオリン協奏曲」から2楽章と書かれています。

上から押してみると元気良くハンガリー舞曲が鳴り出しました。
続いて「眠れ~眠れ・・・」で始まる例の「ブラームスの子守唄」、
ヴァイオリン協奏曲のアダージョではその心地よさに本当に眠ってしまいそうでした。



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by Atelier-Onuki | 2018-04-23 19:56 | コラム | Trackback | Comments(0)