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「春はジワジワと・・・」

昨年から準備をしてきたプロジェクトもフランクフルトでの現場はスタートし、
私も来週から現場入りする予定で、いよいよ大詰めを迎えました。

そんな差し迫った状況にも関わらず未だ追加や変更など駆け込み寺のような事案に追われています。

そんな中、今日は青空が広がり家に居るには勿体無い天気になったので午前中にちょっとクイック散歩に出かけました。

家を飛び出して街路樹の脇をフト見ると雪解けの下からは、
もうクロッカスやシュニー・グロッケン(雪の鈴)が元気な顔を覗かせていました。
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雪が残っている時には気が付かなかったのですが、彼らはちゃんと準備をしていたのですね。

引き続き近場にあるイザール沿いにある池を目指しました。

池はまだ凍っていましたが所々溶け出して、ここでも春が近づいているのを感じさせます。
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川辺では水鳥たちも気持ち良さそうにノンビリと日向ぼっこを楽しんでいました。
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疏水に沿って暫く歩いただけでしたがポカポカと日を浴びて、その心地よさは水鳥たちだけではないようです。
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帰り際に先ほどのクロッカスを見ると、陽に誘われて力強く花を開いていました。
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これを書いていてちょっと暗くなって来たのでフト時計をみるともう夕方6時です。
陽も徐々に長くなってきました。・・・ 待ち遠しかった春はもうすぐ目の前に迫ってきたようです。



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by Atelier-Onuki | 2015-02-27 04:03 | Trackback | Comments(0)

「Ferney-Voltaireの思い出」

この週末は懐かしい写真を見付けたので、思い出しながらこの広場の絵を描いてみました。
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それはジュネーヴ近郊のフランス側にある小さな村でした。

この当時は4年に一度開催され展示会のオリンピックと云われた“TELECOM”と云う催しがジュネーヴでありました。

当時は未だ携帯電話なども存在しない頃で、通信網もそれほど完備されていない時代でした。
それに一般の通信設備でも、アフリカや中東では未々未開の時代で、
実際のビジネスも各国の大臣クラスなど大物が相手で、商談が決まると大きなプロジェクトを得るチャンスでした。

ですから各社共、えらい力の入れようで2年前くらいから計画が始まり、
施工も2・3ヶ月掛けて大掛かりなスタンドを作っていました。

中には4階建てやエレベーターを付けたことがあるほどでスタンドと云うよりも、もしろ建築物を作っているようでした。

まぁこれだけ大きな催しですから各国から大勢の人たちがジュネーヴに集結し、
会期が近づくと市内のホテルは不足し、値段も普段の4~5倍、一泊4万円なんてのはザラで
中には8万円なんて法外な値段を付けていました。

そんな厳しい状況下、我々も毎回2ヶ月ほど滞在をしなくてはならず、
ある年からはジュネーヴ市内は諦め近郊の町々にあるホテルをあたっていました。

そんな中、引っ掛かって来たのが空港からジュネーヴとは反対側にあるフランスの“Bellevue”と云う村にある一軒でした。

この空港はバーゼルと同様、国境に位置していますから、
空港の出口にはコッチがスイス、反対側はフランスと表示が出ていて、同じ空港内で違う国に出る事ができます。

されこの“Bellevue”ですが、何もない辺境の地で滑走路の直ぐ脇に面しています。
毎朝滑走路から聞こえてくるゴーと云うエンジン音に起こされていました。
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近くには大型スーパーが一軒とネオンで紫に染められた怪しげな中華バイキングが一軒あるだけです。

到着した夜は一人でしたが早速この中華を恐々試しに入ってみました。

少し遅かったのか寂しくなるほど疎らにしかお客さんが居ませんでした。

ビールを注文し、いざバイキングの内容を確認に・・・
フーム、ドイツあたりでは見かけないそこそこ興味深い料理が並んでいます。

前菜を盛り付け、いざ試食・・・ おっと何と美味しいではないですか・・・
さすがフランス、中華も美味しいのは認識していましたが、
こんな片田舎のバイキングなので全く期待をしていなかったのですが、それは見事に外れました・・・

ワイン・リストを見るとなんとシャトー・マルゴーまで揃っています。

すっかり気に入ったので、これ以来ホテルに近いこともありシバシバ訪れていました。

とは言え飽きてくるのも事実で、地図で確認をすると歩いて行けそうな近場に
“Ferney-Voltaire”と云う村を発見しました。

早々、出かけて見ると小さいながら古い家並みが続きとても趣のある街です。
バラバラとレストランもあってさすがに美味しい料理をだしてくれました。

ここもすっかり気に入ったのですが、中でも今回描いた広場には伐採された大木が象徴的に中央に立っていて印象に残りました。
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持参していた小さなスケッチ帳にササッと鉛筆描きだけはしたのですが、
その内にと思いながら今回まで描く機会がありませんでした。

この町には小さなシャトーもあるようですが、帰り際小さな広場に劇場を発見しました。
それは特徴的な看板が目に入ったからです。
そこには手描きでアルレッキーノやプルチネッラの姿が描かれていました。
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「ヘエ~、こんな田舎にも“コンメディア・デッラルテ”が来ていたのだ ・・・
それも未だ劇場が残っている。・・・」 と大きな驚きと感銘を受けました。

“この中世イタリアで出来た風刺喜劇はフランスでも絶大な人気があった。”と学生時代に習ったことがありました。

そして、ある時フランスの王様を風刺した劇をして、王の逆鱗に触れた為フランスを追放された。と ・・・ 

“ワトー‘も気に入っていたようで何枚も彼らの絵を描いている等々・・・
学生時代に習ったことが実際目の前に事実として展開している光景には唯々、感動を覚えるばかりでした。
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まぁこの絵を描きながら十数年前の出来事を懐かしく思い出していました。




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by Atelier-Onuki | 2015-02-24 00:59 | フランス | Trackback | Comments(0)

「ポカポカ陽気に誘われて」

この週末は久しぶりに陽が差し込み暖かな陽気になりました。

陽気に誘われ目指すは最寄り駅から南に下ったIckingです。
ここまで来れば自然に囲まれちょっとした旅行気分を味わえます。

途中Ebenhausenの家並みを過ぎれば、景色はパツと広がりアルプス山脈が遠くに見渡せこの路線随一の景勝です。
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人気のないIckingの駅からは国道を越え、ダラダラとイザール川を目指して下って行きます。
途中、私のお気に入りの小さくて趣のある教会を通り越すと森が見えてきます。
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おっと今日も森の入り口にはサーカス団が野営をしているようです。
ここは色んな旅のサーカス団が拠点にしているようで良く見かけるのですが、
以前この広場で‘象“の放し飼いをしていて、その余りのシュールさにびっくりした事がありました。
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さて、いよいよ下り坂もキツクなりだし、道に残っている根雪はちょうどカチカチで滑りごろです。
迂回すべく人が通った形跡がある森の中へと足を踏み込んで行きましたが
こちらの方が険しいけれども雪がフワフワしているので滑りません。
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暫くの悪戦苦闘のあとやっと小道に遭遇、その先からは既にゴーゴーと水が流れる音が聞こえてきました。
そこには大きな水門があって本流と運河への水流の調整をしているようです。
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木製の古い水門は味わいがあり、中は川向こうへ渡れる橋を兼ねています。
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水門を渡り運河に掛かる橋も渡ったところに、お爺さん二人が釣りの準備をしていました。
興味深々に仕掛けをチラと見ると、何と15・6cmほどある大きなルアーをセッティングしていて、
「エッ、何を釣るの?」と尋ねた処、お爺さんは得意げに手を4・50cmほど広げて「こんなの・・・」と云って笑っていました。
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暫く歩いてから振り返ると橋の上から釣り始めましたが、
その動きはギコチなくしかも川上から投げるなんて釣り人としては如何なものか、・・・ 
「こりゃ期待できないなぁ!」と歩を進めました。

お天気に誘われてパラパラと人々が歩いていますが、その大抵の人たちは日当たりの良い左岸を歩いています。

私は右岸を選んだのですが、この右岸には途中から小川が合流しその水が澄んでいてあまりにも綺麗だからです。
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その透明度はまるで湧き水かと思われるほどで、川底の緑鮮やかな水草をバックに可憐な小魚が所々で遊泳しています。
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小川をチラチラ見ながらこの一本道を水車小屋がある養殖場を目指しました。
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この養殖場では魚の販売もしているようですが、如何せん淡水魚ばかりなので中々買う気にはなりません。
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養殖場の中にも小川が流れているのですが、ここにはサスガこれでもかとばかり、あらゆる種類の魚が泳いでいます。
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ふと見ると金魚のような色をした魚も・・・これはゴールド・トラウトと云う種類だそうですが、これはちょっと気持ちが悪い感じです。
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もう3km以上歩いたのでここのレストランで休もうかとも思ったのですが、
それほど大した料理はないので、更に橋を渡り今度は左岸を修道院がある方へと歩を進めました。
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運河沿いの土手には雪が深く残っていて歩き辛いのですが、背中から太陽がポカポカと照りつけ心地よい気分で歩いていました。
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それでも2kmほどの道のりはキツク、遠くにレストランの屋根が見えて来た頃には
足腰のあちこちがガタガタ云い出していました。
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もう2時半を過ぎていて、こんな辺鄙な所にも関わらず店内は満席状態です。
何とか窓際の一席をあてがわれメニューを眺めました。
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臨時で差し込まれたページには“Wildwoche” (野生週間)と特別メニューです。
お決まりの鹿やウサギに混じって“猪”のフィレを見つけました。
これは食べたことがなかったので迷わず注文しました。
出てきた料理はフィレ肉をソテーし上からキノコソースが掛けられています。
野菜やポテトのグラタンが添えられボリュームもタップリ、濃厚な味ながらも美味しく頂けました。

帰り際店に入り口に飾られている賞の数々を眺めた処、このオーバー・バイエルン地方で
ドイツ料理として一位に選ばれた大きな看板が誇らしく飾られていました。
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さて体も温まったので川向こうの修道院を目指しました。
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そこから山を1kmほど上がって行くと、Ebenhausenの駅に辿りつきます。
大きな修道院でホテルやレストランなども周辺に隣接されていますが、
もう陽も傾きかけて来ているので雪道を急ぎました。
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途中、ブーン、ブーンと云うチェーンそうの音が聞こえてきました。
何と土曜日にも関わらず森林管理の人たちが働いています。
大きな重機で木を運んだり、細い山道を登っては大きな木を切り倒している様は中々迫力がありました。
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勾配の厳しい山道をやっと登りきり平地へと出られました。
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駅の近くには時々訪れたことがあるポスト・ホテルのレストランがあります。
ここはゲーテも滞在したことがあるほどで、その古くて味わいのある建物と、
料理も伝統的なドイツ料理で気に入っていました。
数年まえには一度スケッチをしたほどです。
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ところが昨年行った時、入り口には手描きで“閉鎖”と書かれた紙切れが付けられていました。
ひょっとして改装とかしていないかと淡い期待と共に眺めたのですが、
その紙切れが時を経た感じで付けられたままです。
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寂しい気持ちになりながら駅へ向かいました。

電車が来るまで少し時間があったので、疲労回復のため先ほど買ったチョコレートを取り出しました。
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“オッと、そう云えば今日はバレンタイン・デーでした。”


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by Atelier-Onuki | 2015-02-16 20:52 | ミュンヘン | Trackback | Comments(0)

「ベルリンの飛行場」昨今

東西ドイツの統一後ベルリンには、かつて3つの飛行場がありました。
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その内、一番小さいテンペルホーフは街に近すぎ危険でもあると云う理由から閉鎖されてしまいました。

東ベルリン側だったシェーネフェルトも今ではアエロフロートのみが乗り入れているだけです。

西ベルリン側の国際空港であるテーゲルも段々と手狭になってきたので、
シェーネフェルドを拡張し新しい国際空港を建設していたのですが、
工事が遅れ2011年開港の予定が4回も延期され、とうとう2016年まで延期されました。

2013年には二度目に予定された開港が間近に迫り5~6000人もの人を集めて
運営のシュミレーションまでしたにも関わらず、開港には至りませんでした。

1948年に例のベルリンの壁が突然築かれ、西ベルリンは孤立してしまいました。

この時、西ベルリン市民への救助物資の輸送をするために急遽作られたのがテーゲルだったのですが
何と49日間と云う信じられないほどの速さで滑走路を作り上げたそうです。

本気を出せば物凄い底力を発揮するドイツ人ならではの偉業だったのでしょうが、
この新しい空港が遅れに遅れているのは如何したのでしょうか・・・

この当時テーゲルへは東ドイツの領域を飛ばなくてはならず、航空会社も西ドイツのルフトハンザは飛行が許可されず、
米英仏の3国統治からパン・アメリカン、ブリティッシュ・エア・ウェイズ、エール・フランスの3社だけが許可されていました。

ですから変な事にデュッセルドルフからベルリンへの国内線にも関わらず外国の飛行機に乗っていました。

それもハノーバー辺りから先はレーダー監視の目的から低空飛行を強いられ、
その高度は殆どが雲の中、飛行中はほとんどデコボコ道を走るバスに乗っているような
揺れを覚悟しなければなりませんでした。

ある時、得意先の人と同乗した事があって、彼は左翼横の窓際に座っていました。
その日は嵐も手伝って揺れは何時もの比ではありませんでした。
すると突然、“ドン”と青白く光り大きな衝撃が走りました。どうやら左翼に雷が直撃したようです。
フト見ると真横に座っていた彼は顔面蒼白でブルブル震えています。
何か声を掛けようかとも思ったのですが、彼は普段とても面倒な事を言っては困らせてくる人で、
その余りの変りようにグット笑いを堪えていました。

ベルリンは陸の孤島と云われていましたが、空港が近づき低空飛行を始めると、
2重の鉄線でグルリと街が取り囲まれている様子が現れ、ハハッなるほど孤島であることが良く見てとれました。

ただ、このテーゲルは小さいながらもとても便利な飛行場なので大好きです。
各々の搭乗口が単独で機能しているので、ゲートで直接チェック・インが出来ますし、
到着した時もドア一枚開ければもう外に出られます。

それにお楽しみがもう一つあります。

それはメイン入り口の直ぐ前、Sバーン(郊外電車)への駅へ向かう所に、古いSバーンを改造したカレー・ヴルスト屋があります。
(グリルしたソーセージに濃厚なケチャップ風味のソースを掛け、その上からカレー粉を降りかけただけの食べ物です。)
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このSバーンはかつて東西を繋いでいた唯一の路線を走っていた車両で、レトロ感満載です。
(看板を良く見てみるとSバーンの左隣にはEsと書かれていて食べろと云う意味と語呂合わせをしているようです。)

東西ドイツの時代はフリードリッヒ・シュトラッセと云う駅が国境で皆な降ろされました。
それは厳しい検問で特にドイツ人には厳しく、長々と待たなければなりませんでした。
ホームにも免税店が併設されていて、街中にも関わらず嫌が上にも国境である事を認識させられました。
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処で、このカレー・ヴルストはベルリンが発祥地だそうで、この店のメニューは3種類のカレー・ヴルストしかありません。
それも単に付け合せがポテトフライか玉ねぎかポテトサラダかと言う違いだけです。
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味も大して美味しいという代物ではありませんが、ツイツイこの雰囲気につられて入ってしまいます。
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出発までの暫くは昭和感満載の雰囲気を楽しんでいます。


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by Atelier-Onuki | 2015-02-12 03:31 | ドイツ | Trackback | Comments(0)

ベルリンの「ハッケシャー・ホーフ」

先程、日本のニュース・サイトを見ていたら、ある老朽化してきた団地を“MUJI”とコラボを組んで、
お洒落に改装し若い人たちを団地に呼び込んでいる取り組みが紹介されていました。

かつて団地が建ちだした頃、そこに住むのは一つのステータス・シンボルでもあったのですが、
さすが50年近くの年月と共に老朽化し社会問題にもなって来ました。

そんな中、単に補修するだけでなく、専門家を入れてお洒落に改装していく試みは
とても素晴らしいことだと感心して読んでいました。

そこでフト思い出したのが、先日久しぶりに訪れたベルリンのハッケシャー・ホーフの事でした。
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それは外から見ると単に建物が寄り集まっているだけなのですが、
入り口から中に入ると8つの建物と中庭で構成されたアパート群が奥に広がっています。
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ここもかつて東独時代はボロボロのアパートだったことでしょうが、
10数年前に大改装されお洒落な空間へと変身し今やベルリン観光のスポットとなっています。
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地上階にはお洒落なショップやカフェなどが誘致され、その上が住空間になっています。
中庭はちょっと迷路のようで、次から次へと現れる中庭は雰囲気も微妙に違いがあって興味をそそられます。
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その一角、名も“Rosen Höfe”「バラの中庭」と云われる空間はピンクに塗られた外壁の建物に囲まれ、
余りの乙女チックにちょっと恥ずかしくなる位ですが中々いい雰囲気です。
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所々に付いている照明器具や手摺などモダンなデザインながら何処となく東欧の雰囲気が漂っていますが、
室内の手摺などはアール・ヌーボー風だったりと不思議な調和を醸しだしています。
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外に出て数軒先の同じ一角に面した入り口からは一転してボロボロの建物がそのままの中庭が残っています。
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恐らく先ほどの改装された中庭群も似たように老朽化していたことが伺われます。

この一角は「ハウス・シュヴァルツェンベルク」と云って、かつてナチスドイツ時代にユダヤ人たちを匿った地区だそうで、
アンネ・フランク博物館を始めこの当時を紹介しているユダヤ博物館などの関連施設が入っています。
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今や文化財に指定され、ここも観光スポットとなっているそうです。

同じ一角に建ちながらも、その大きな違いを目のあたりにし感慨深く佇んでいました。

それと同時にお洒落に改装されたアパート群も、今や観光客がひっきりなしに訪れ、
実際に住んでいる人たちは落ち着いた生活ができているのだろうかと、ふと心配にもなりました。

日本における団地は大抵ちょっと郊外に位置しているので、
この街中にあるハッケシャー・ホーフとは一概に比較はできませんが、
何かと知恵をだしあって魅力のある地域へと改良していってもらいたいものです。





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by Atelier-Onuki | 2015-02-03 20:18 | ドイツ | Trackback | Comments(0)

サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルの演奏会」から

演目 : マーラー交響曲2番「復活」

この週末は久しぶりにベルリンへ行って、マーラーの交響曲2番を聴いて来ました。
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実は彼らの演奏は2年前にウィーンで聴いたのですが、それはそれは腰が抜けてしまいそうな素晴らしい演奏で、
もう一度機会があったら聴いてみたいなと思っていました。

しかもこの曲はもの凄い内容ですし、2人のソリストに合唱、それにオーケストラ編成は最大級ですし、
さらにステージ裏のバンダが2部隊とオルガンまで加わり、演奏する側にとっては相当の気合を入れないと出来ない演奏会ですので、
取り上げられる機会もそう頻繁にはありません。

それにこの日は特別演奏会として1回だけの公演でした。

もうこれから先、この曲を彼らが演奏する機会は少ないだろうと思い出かけました。

開演は何時もより1時間早い19時からだったので、用心のため18時前には会場に到着しましたが、
もう大勢の人たちが集まりだしています。
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入り口近くには、「チケット求む」と書いた紙切れを持った人たちが何人も立っていますし、窓口には予約を入れていた人たちや、
当日キャンセルされるチケット待ちや立見席を求める人たちで長い列が出来ていました。
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まだ1時間も前なのにロビーには大勢の人たちが集い、聴衆も相当の気合が入っていることを伺わせます。
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指揮者のラトル自身もこの曲を初めて聴いたときに、指揮者になる決心をしたのは有名な話でいやが上にも期待が高まります。

座席に付いても超満員の会場はザワザワと半ば興奮ぎみで熱気がみなぎっています。

そんな中、厳かに登場したラトルの手にはマイクが握られていて、演奏に先立って挨拶が入りました。

「今日、ドイツの元大統領だったヴァイツゼッカーさんが亡くなりました。」と
全員が起立して3分間ほどの黙祷を捧げました。

このヴァイツゼッカーさんは国民から愛された立派な大統領で「過去に目を閉ざすものは、未来に対しても盲目になる」で始まる有名な演説をし、
ナチスドイツが犯した罪を未来に渡り共同で負って行こうと決意を表明しました。

これは後に教科書にも取り上げられた程で、日本でも「荒れ野の40年」と題して岩波から出版されているそうです。

さて、1曲目はLachenmann作曲の “tableau”と云う現代音楽で、大曲を前にした小手慣らしでしょうか、
中々複雑で手の込んだ構成の曲でしたが、私には例によってさっぱり分かりませんでした。

休憩を入れずにオーケストラは粛々とマーラー用の編成に座り直しました。
最終楽章まで出番がない合唱団も最初から登場して来ました。
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いよいよ緊張感が漂うなかキリッと振り下ろされた棒に、バイオリン群が緊張感溢れるトレモロで反応し、
間髪を入れずにコントラバスがザバザバザン!とキリリと刻みを加えました。

もう冒頭から興奮させられこれから繰り広げられる、大伽藍への期待が一気に膨らんでいきます。

長い1楽章も緊張感を切らすことなく、ありとあらゆる楽想が交差し、ウネリ、歪み、
混ざり合いながら一気にクライマックスへと盛り上がって行きました。

一転して弦楽器群で穏やかにはじまる2楽章は丁寧であくまでも爽やかな表現です。

時折、ムセブようなと云うか、萌えるようと云ったほうが良いのか、
フワッ~と甘く浮き上がるように奏でられると、もうウットリとして聴き入ってしまいます。

間髪を入れずバンバンとティンパニーの一撃によって3楽章が始められました。
木管群の滑稽な旋律で軽妙に進められる様はまるで鳥獣戯画を連想させるような雰囲気ですが、
ちょっとグロテスクな部分でもあくまでも洗練された品格が保たれています。

ありとあらゆる旋律が絡み合い不思議な世界を表現しています。

オーケストラはぐっと音量を絞り、一変して静かな中にも厳かに「原光」と題した4楽章が
バイオリン・ソロに寄り添うようにメゾ・ソプラノによって歌い始められました。

ここではラトルは必ず夫人のコジェナを起用していますが、
彼女の清涼で真摯な歌唱は実力で選ばれている事が納得できます。

そしていよいよ長い最終楽章へと自然に移って行きました。

もうここでは作曲家マーラーの全ての思いと技量をつぎ込んで、
これでもかとばかりに目が詰まった楽章となっています。

音楽は複雑に絡み合い、ウネリ、別世界へと導いて行きます。

ホルンに応対するようにステージ・サイドからもホルンがコダマして来ます。
時折、ティンパニーが連打する音も聴こえ、これは遠雷のイメージでしょうか。

途中、滑稽で不安定な旋律が続くと今度はステージ左奥から、
軍楽隊を連想させる行進曲風の音楽が聴こえてきますが、これは過去への郷愁でしょうか・・・

これらが絡み合うのですが、バランスは見事に保たれているし、
ステージ上のオーケストラとも絶妙なハーモニーです。

いよいよホルンが厳かに“希望”を連想させる「復活」のテーマを吹き始めました。

合唱もユニゾンで従い曲は段々と盛り上がり出しました。

最後はステージ裏にいたバンダも加わり、トランペットは8本に、ホルンに至ってはなんと10人と膨らみ、
ティンパニーも2対を3人で叩き始めクライマックスを形成して行きました。

シンバル奏者に至っては叩くために立ち上がりましたが、
自分が座っていた椅子をサイド・キックで蹴ってスペースを作り気合満々の一撃を加えました。

鐘にオルガンも加わり、会場が割れんばかり、もうこれ以上の大きな音が出せないほどの大伽藍の内、最後の一撃で幕となりました。
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もう演奏者も聴衆も放心状態、・・・ しばし別世界で浮遊したままでした。・・・


追記-1 : 尚、この演目はツアーで2月14と15日(ロンドン)、17日(アムステルダム)、18日(パリ)でも公演予定です。

追記-2 : 先ほど思い出したのですが、ラトルはこの複雑で長い曲にも関わらず暗譜で指揮し、
       この曲を完全に自分のものにし音楽が自然と湧き出しているようでした。
       それにソリストはもとより合唱も暗譜で歌っていて、相当練習をしたことが伺えます。
       こんな事はカラヤンで聴いたブラームスの「ドイチェス・レクイエム」以来でした。


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by Atelier-Onuki | 2015-02-03 02:08 | Trackback | Comments(0)