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「マルモッタン美術館からパッシー墓地へ」

この日はドビュッシーのお墓参りをする予定ですが、同じ方向にあるマルモッタン美術館を先に訪れました。
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唯、今は東京でのモネ展のために多くの作品がこの美術館から貸し出されているので、
逆にこちらでは「Villa Flora」と題した特別展が開催されていました。
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内容はこのヴィラ・フローラが収集している印象派の作品を展示しているのですが、
特別展なので結構多くの訪問者で賑わっていました。

特にご婦人たちのグループが3組ほど来られていて、其々に説明員がついています。
まぁ世界中の大抵のご婦人方はお元気で賑やかなこと・・・
まるで小学生の団体のように係員から何度も注意を促されていました。

余りに込み合っていたのでグループを追い越して先ずは階下にあるモネの展示室へ先回りしました。
踊り場からは直ぐに私の好きな霧に霞むロンドンの絵が現れました。
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正面奥には「印象、日の出」が展示され小振りながらインパクトある存在感を漂わせています。
「お帰りなさい!」これは先日まで東京へ行っていたはずです。
ササッと描かれた勢いのあるタッチですが、その雰囲気や状況は充分に伝わってきて、やはり名作だなぁと感心しながら見ていました。
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ここに展示されている彼の作品は殆どが晩年のもので、睡蓮やバラのアーチ
それに「藤」を描いた大作など描いている頃は殆ど目が見えない状態だったはずで、
そのご苦労が手に取るように伝わって来ます。
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モネの作品を充分鑑賞した後は2階にある展示室へと移動しました。

ここにはそれほど多くはありませんがモリゾ(Berthe Morisot)の作品を纏めて見ることができます。
彼女は女性画家がまだ殆どいなかった時代にコローやマネから画法を学び、
特にマネの絵にはモデルとして良く登場し噂さえされたほどでした。
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結局は彼の弟ウージェーヌと結婚をしましたが、マネ家とは密接な間柄だったようです。
廊下にはその家計図や娘ジュリーのスケッチなども表示されていて興味深い内容でした。

私は特に彼女が描くバラが好きで、ササッとマネばりの巧みな筆運びで描かれながらも、
その雰囲気を実に見事に表現しています。
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彼女の作品には娘ジュリーが良く登場しますが、マネと庭で遊んでいる光景では、
ちょっと困惑しながらも何時ものイメージとは違う親しみやすい表情のマネが描かれています。
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さて、マルモッタンを後にしてドビュッシーの眠るパッシー墓地へと向かいました。

向かう先はトロカデロ広場、シャイヨー宮のある所です。

この墓地のことはインターネットで調べて初めて知ったのですが、
なんとこんな街中にあったにも関わらず全く気が付きませんでした。

それもそのはず広場に面した所は石垣が高くそびえ、
広場からはそこが墓地であることを伺い知ることはできません。

大抵ここへ来れば反対側のエッフェル塔ベスト・ビューに気をとられ、
お墓側には目も止めていませんでした。
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石垣にそってダラダラ坂を上って行くと入り口が見付かりました。

この墓地も何人か有名人が葬られているらしく、どこに誰がいるのか案内板が設置されています。

ザッと目を通すと何と、マネもいますし私の大好きなフォーレ(正しくはフォレー)も、
ちょっとマニアックな人では作曲家のイベールも眠っています。

それにしてもこの墓地からもエッフェル塔が良く見えます。
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マネなど胸像が柱の上に鎮座していますが、その目の見ている先にはエッフェル塔が聳えています。
もっとも彼が亡くなった時は未だ存在していませんが、・・・
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さて、ドビュッシーは左奥の二列目で発見しました。
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小振りながら黒い見影石の綺麗なお墓で、
表面がピカピカと磨かれ生のお花も供えられていて人気の高さを伺わせます。
暫く佇んでいましたが自然と「映像」の一節が頭に浮かんできました。
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並木道を挟んでこれも二列目にはフォーレのお墓がファミリーと眠っていました。
昨夜の雨風で倒れたのか小さなバラの鉢をそっと起こしておきました。
ここでも「ペリアス」の一節を浮かべながら暫くシンミリとして佇んでいました。
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空も小雨模様となってきて、この日はシンミリとした気分に浸ったまま過ごしていました。





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by Atelier-Onuki | 2015-12-23 23:46 | フランス | Trackback | Comments(0)

「サン・ジェルマン・アン・レー」 ドビュッシーの生家を訪ねて・・・

ポール・マルリーを後にしてサン・ジェルマン・アン・レーへと向かいました。

終点でバスを降り、取りあえずはお城の庭を延々とテラスのある所まで歩きました。
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ここからの眺めもシスレーは描いていますが、絵のアングルから推測するに恐らくアンリ4世館のテラスから描いたのではないでしょうか。
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ここは現在ホテルとレストランになっていて素敵な雰囲気ですが、ちょっとお高い宿泊料だし、この格調の高さには泊まっていると肩が懲りそうです。
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庭のアーチにはここでルイ14世が生れたことを伺わせる表示がされていました。
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庭園をブラブラと散歩してから街へと向かいました。
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前回来た時は月曜の休館日だったのでドビュッシーの家には中庭にしか入れませんでしたので、
今回は楽しみにしてインフォメーションになっているアパートへと向かいました。
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チケットを求めるべくインフォのお嬢さんに尋ねると、何と無料との事、ニコヤカな対応で日本語のパンフレットまでくれました。

壁にへばりついた木製の階段をギシギシと上がり、ドアを開けるとガランとして誰もいません。
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入ってすぐマイヨールの裸婦像が静かに迎えてくれました。
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暗めの室内には当時の写真や彼の肖像画にデスマスクなどと、彼が収集していた調度品や装飾品などが展示されていました。
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正面の壁には江戸時代のものと思われる、鯉をモチーフにした浮き彫りの漆塗りが掛けられています。
ちょうどジャポニズムが流行っていた時代で、彼も日本にはとても興味があったそうです。
そういえば彼のピアノ曲「映像」の3曲目は「金色の魚」と云うタイトルが付けられていて、
「日本の装飾品からインスピレーションを得た曲。」と何処かで読んだことがありました。
恐らくこの漆塗りからヒントを得たのではないでしょうか。・・・
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このドビュッシーにしろモネにせよ大きな影響を日本文化から受けています。

先日の講演会でもモネ辺りのお話をしている間はバックグランド・ミュージックとしてドビュッシーの「前奏曲」や「海」を流したのですが、
この二人はイメージが良くマッチするようです。

「海」のジャケットなどは良く北斎の「神奈川沖波裏」とならんでモネの「エトルタ」や「ベルイル」での絵が使われています。
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モネがドビュッシーの曲を聴いたかどうか不明ですが、インテリで感受性の豊かなドビュッシーは間違いなくモネの絵を見ているはずです。

この日は内容も濃く、物凄く歩いたのでグッタリとしてパリへ帰りました。

さあ、明日はドビュッシーのお墓参りに行くぞ。・・・




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by Atelier-Onuki | 2015-12-22 02:39 | フランス | Trackback | Comments(0)

「ルーヴシエンヌ辺りの探索」

ちょっと寒さが緩んだので画家の足跡を探しに郊外へ出かけました。

この日の目的地はマリー・ルロワからスタートしてルーヴシエンヌを通ってポール・マルリーまで歩く
巡礼のようなキツイ行程ですが、この辺でもピサロとシスレーは多くの絵を描いています。

サン・ラザールからマリー・ルロワを目指し列車に乗り込みしました。

処で駅では何本もあるホームには人影がなくガランとしています。
電光掲示板の前では大勢の人が番線が表示されるのを待っていて、
ようやく出発の2分くらい前になってやっと表示されました。
あのテロ事件以来、監視がし易い様、こんなシステムが導入されたのでしょうね。

列車は高層ビルが立ち並ぶラ・デファンスを過ぎると俄かに住宅地となり丘が連なる景勝地を通って行きます。

途中ルーヴシエンヌを過ぎ、揺られること3・40分でマリー・ルロワの小さな駅に到着しました。
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駅前の坂道をダラダラ上って行きましたが、周りは閑静な住宅街です。
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坂を上りきり左に折れると今度は下り坂、暫く歩いた所、市役所の前に一枚目を発見・・・
ピサロが描いた古い家並みです。
初めて見た絵なのでタイトルも分かりませんが、お宝探しのような散策で早々の発見はちょっと嬉しくなってきます。
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更にグネグネと坂道を下ると大きな人造池が現れました。
どうもお城の城壁下らしく石垣の向こうには大きそうなお城があるようです。
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この辺も探してみましたが一枚も見つけることができません。
角に建っている家の門柱にはシスレーに関する云々が書かれたプレートが付いていますが、
フランス語なのでさっぱり分かりませんでした。
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道もどっちへ行ったら良いのやら迷う事、暫し・・・
インターネットで拾ってきた小さな地図を頼りに、余り人が通りそうでない細い坂道を選びました。

勾配にキツイ厳しい道でしたが、この道沿いには一際大きなお屋敷が立ち並んでいます。
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やっと車が通る道に出て、今度は坂道を左折・・・暫く歩いていると小さな集落に出てきました。
ここにも一枚、ありました、ありましたピサロです。
「村の入り口」と題された絵のプレートが建っています。
それも先日、オルセーで見たばかりの絵です。
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暫く感慨深く眺めていましたが、この直ぐ後ろ側に建つ黄色い家はなんとルノワールのお母さんが住んでいたとか、・・・
ちょっと思わぬ発見でした。
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ここから鉄道に掛かる橋をこえると雑木林越しにチラチラと水道橋が見えてきました。
ここには道路を挟んで左右に二枚のプレートが建っています。

一枚目はピサロの「ヴォワサン村の入り口」で有名な一枚です。
もう一方はシスレーが描いた「マルリの水路」でこちらも代表的な一枚。
「二人仲良く描きにきたのかなぁ・・・」と感慨深く佇んでいました。
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ただ、この水道橋は彼らが描いた頃から比べると雑木林の木が大きく生長した関係か
描かれた頃のようにはっきりとは見えませんでした。

村をグネグネと通り抜け大きな並木道へと出ました。
この右側の建物は石塀が延々と続いていて小さなお城のようです。
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暫く進むと遠くからでも見えて来ました。・・・また道を挟んで2枚のプレートが建っています。
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一枚目はピサロがこの石塀の側から向かいの家の入り口付近を描いています。
入り口への坂道も置かれている車よけの石もこの絵の通りです。
これには思わず嬉しくなってきます。
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一方の絵はそうシスレー・・・この絵が描かれた所へ一度は行ってみたいと思っていた
「マシンの道」です。
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「もう今日はこれで充分か」、とも思いましたが、ここからセーヌまで下っていかないと交通手段がありません。

また、地図を頼りに並木道の一番奥まで歩きましたが、ナ・何と道は遮断され
“DANGER”と書かれた紙が今にも引きチギレてしまいそうな状態でへばりついています。
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ウ~ン、・・・この道を引き返して車道を下ろうかと、地図を再確認・・・相当長い距離を歩かされそうです。

Dangerと言われてもどの程度のものか分からないし、ショート・カット好きの私としては意を決して下ってみる事にしました。

年季の入った石畳はデコボコして歩き辛い上に昨夜降った雨で濡れています。
それに落ち葉はさらに水を含んでいて滑りやすい状態になっていました。
それでも途中にはここが高台である為、見晴らしが良く扇方をした案内プレートまでが取り付けられています。

フ~ムこの下がセーヌであの辺がアルジャントイユか・・・と暫し眺めていましたが、そんなノンキな事を考えずに進まなければなりません。
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更に下ると案の定、工事中のようでショベル・カーなどの重機がおかれています。
この辺からは道がなくなり踏み場を選びながらあっちへポイ、こっちへホイと慎重に下っていると、
急に一枚のプレートが・・・エエッよりによってこんなところに。・・・
なんとピサロが描いているのです。
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この工事は何とその描いた家を取り壊している真っ最中だったのです。
まぁ仕方が無いと云えば仕方がないのですが、寂しい気分に落ち込みながら歩を進めました。
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この家の先を曲がるとセーヌが見えてきました。
辛く寂しい気分になってきた時に、やっと希望の光が見えたような・・・
ところがここからは更に急勾配に変わり「エッ本当に歩けるのかなぁ」と心配になるほどでした。
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ひ弱わそうな手摺が付いていなければ到底滑ってしまいそうでしたが、
何とかオッチラ、オッチラと下り終えました。
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ふと見ると麓には古い石作りの建物が建っていて、「来た坂道を振り返れば太いパイプが何本も設置されていました。」
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唯、嬉しいことに目の前は探していたセーヌに掛かる堰跡にビンゴです。
以前はバスで通過した時に撮った写真を頼りに一枚描いたことがありました。
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後から知ったことですが、この堰から丘の上にあるルーヴシエンヌまで水をくみ上げていたとかと云う事です。

さて、シスレーが描いた大きな堰は、残念ながら今は単に橋が架かっているだけですが、
この堰跡の一部は小さいながらも堂々とした風格を漂わせています。
それにその背景にみえる2軒の家が良い風情を醸しだしています。

ここでは当然ながらシスレーが描いた「マルリーの堰」の二枚を発見・・・
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セーヌ沿いにちょっと上ると今度はピサロがこの辺りの家並みを描いています。
これも初めて見る絵でタイトルは分かりませんでした。
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さて、ここからはバスに乗り、あの洪水の町ポール・マルリーへ向かいます。
初めて来た時は感を頼りにエイとバスを降りたのですが、今度は何処で降りたら良いのか見当が付いています。
見覚えのあるバス停は「Jaurés」と云って上に小さくポール・マルリーと書かれていました。
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あの憧れの「洪水の家」・・・ドキドキしながら近づいて行きました。
このトキメキは何だか昔の彼女に再会するような感覚に似て、自分でも可笑しくなりました。
暫くアチラからこちらからとシスレーが描いた色んな角度から眺めていました。
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公園を抜けセーヌの袂まで、ここには古風な船がたくさん停泊していてどうも皆さん住んでおられるようです。
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公園側から見た洪水の絵も発見しました。
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川沿いには昔、洗濯場があったそうでその光景はピサロが残しています。
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この辺りにも仲良くやって来たのでしょうか・・・もっともシスレーはこの町に暫く住んでいましたね。・・・
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疲れも限界・・・遅めの昼食を「洪水の家」の向かいにある、鄙びた「イタリアン」で取ることに・・・ 
(何でフランスなのにイタリアン?ですが・・・)

さあ、午後からはサン・ジェルマン・アン・レーまで出て、今度こそはドビュッシーの家に入るぞ・・・



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by Atelier-Onuki | 2015-12-19 03:22 | フランス | Trackback | Comments(0)

「シャルル・ガルニエでのバレエ公演から」

パリでオペラと云えば旧オペラ座のシャルル・ガルニエ宮を真っ先に思い浮かべます。
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1990年に新しいオペラ・ハウスがバスティーユに出来たのですが、どうもこちらの方へは気が向きません。

完成してから約25年、モダンな建物は既に老朽化が進み、ちょっと寂しい雰囲気になりました。

昔の建物は時代と共に風格が出てくるのですが、モダンな建物は薄汚れていくようです。

旧オペラはナポレオン3世の時代に貴族社会の最後を飾る象徴的存在として1875年に完成しました。
一方バスティーユの方はフランス革命200周年を記念して、革命象徴の地バスティーユに、
まるで庶民が勝ち取ったような存在として完成しました。

来られる客層も気軽な感じになり、特にバレエの時などロビーで子供たちがキャッキャッと
自由に飛びはねていて、これはこれで微笑ましい光景だなあと感じました。

唯、トイレの数が圧倒的に少ないようで、休憩時間など男子トイレに婦人達が大挙押し寄せ、
当たり前のような様相で堂々と出入りされています。

一時、ちょっと優雅な気持ちを味わえるオペラ・ハウスのはずですが、
余りに庶民的すぎて如何なものかぁと考えさせられます。

そんな訳でなるべくガルニエの方で観たいのですがオペラを上演することは滅多になく、
殆どがバレエの公演です。

この日もバレエでしかも前半はリゲティのピアノ曲「ポリフォニア」とP.ブーレーズの「アンセム2」とモダン・バレエ、
やっと後半にストラヴィンスキーの「春の祭典」、しかも振り付けはピナ・バウシュとコンテンポラリー・ダンスの雄です。

それでもオペラ座の中は豪華絢爛、優雅なものです。
恐らくウィーンやミラノよりゴージャスではないでしょうか。・・・
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それにシャガールが描いた客席の天井画は見事ですしシャンデリアも大きくて豪華です。
ロビーはバルコニーなど場内をブラブラ散策して楽しんでいました。
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モダン・バレエなので覚悟を決めていましたが、リゲティも調整音楽で聴きやすく、
時折ドビュッシーを連想させるような瞬間もあってそれなりに楽しめました。

ブーレーズでは暗闇の中、円形の天井に取り付けられた照明器具が低音の電子音と共にストロボ状態で点滅、
かなり長くたってからやっとカーテンが開きソロ・ヴァイオリンが電子音楽に合わせ演奏し始めました。
ダンスというよりもパントマイムのような動きで、エレクトロ的な表現をしているようですが、
これは何とも良く理解できませんでした。

休憩後、客席に戻るとステージは既に開いていて大勢の大道具さんでしょうか、
舞台一杯に増設されたスロープに土を撒く作業をしています。
どうも演出的には既に始まっているのでしょうか.・・・
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15分ほど掛かったでしょうか、やっと土を均し終え大きな拍手と共に作業が完了しました。

ここでやっとオーケストラが入場し始め、普通のバレエらしくなってきました。

ファゴットが奏でる不吉な音色で始められクラリネットが怪しげに絡んできます。
調子外れのトランペットを合図に音楽は徐々に原始的なリズムを刻み始めます。

この曲を高校生の頃、ブーレーズの最初の盤で初めて聴いた時はまるで宇宙の音楽かと感じたものですが、
今ではすっかり古典音楽として耳に入ってきます。
この前に聴いた曲が余りにもモダンだったのも手伝っているのでしょう。

思えばこのバレエが初演されたのは、シャンゼリゼ劇場でちょうど100年ほど前のパリでした。

バウシュの振り付けは初演時のような原始的なものとは異なり、衣裳も女性ダンサーは白いワンピースで統一され優雅ささえ感じられます。
動きにも原始的な部分と優雅な踊りが上手くミックスされていて楽しめます。
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それにしてもこの大量の土の上を殆ど全力で踊るのですから大変な体力がいるでしょうね。・・・
汗をかき土の上を転げたりと衣裳は、段々とドロだらけに汚れて行きます。
いよいよ生贄の犠牲になる女性が選び出されステージ上で素早く赤の衣裳に着替えます。
群舞のあと、激しい彼女の踊りが続きますが、途中から片胸が露に弾きだされています。
それどもお構いなしに熱のこもった踊りは続きいよいよクライマックスの群舞へと盛り上がりオーケストラの一撃で暗転となりました。
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当然ながら主役を演じたダンサーには一際大きな拍手が起こりました。

ウン、これは面白い「春祭」を見せてもらいました。
さすがピナ・バウシュ・・・彼女の本拠地がある我が隣町ヴッパータールが誇らしく感じられました。
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by Atelier-Onuki | 2015-12-18 00:13 | フランス | Trackback | Comments(0)

「モンマルトル界隈を散策」

モンマルトル墓地を出て、サクレクール方面へとダラダラ上って行きました。

途中Abbessesの手前でLepicと言う通りと交差する所にV字型の建物が建っています。
ここはレストランになっていますがパリでは珍しく木組みの古い建物で渋い味わいを醸しだしています。
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このrue Lepicを左に曲がると54番地の家にゴッホが弟テオと住んで居たアパートが存在します。
プレートが取り付けられていて1886年から1888年までの3年間この4階に住んでいたそうです。
ゴッホはこのアパートからアルルに旅立って行ったのでしょうね。・・・
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さて、すぐ隣50番地のアパートにはドガが住んでいたそうでエライ人たちが隣り合わせで住んでいたものです。
ゴッホは弟を介してドガとも親交があったので、物凄いご近所付き合いですね。・・・
そういえば先ほどドガのお墓を訪れたばかりでした。

このアパートの向かいにも古い家が残っていて、
その雰囲気はちょっとウィーンに似ているようでもありパリの中心部とは思えないような一角です。
ゴッホはこの家越しにパリの眺望を描いています。
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さて、Lepic通りは更に右の方へと湾曲して行きモンマルトルの中心へと登って行くと
途中、建物の間から木組みの風車がチラチラと見えてきます。
ここはルノワールが中庭でダンスの様子を描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」が有名で、
入り口にはこの同サイズのコピーが掛けられています。
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今は建物が密集していて当時の面影を偲ぶのは難しいのですが、
ゴッホが描いた頃、この辺には建物がなく風車だけが畑の中にポツリとあるだけでした。
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賑やかな中心街、Tertre広場の手前を左折、今度は坂をダラダラ下って行きます。

間もなく左の角には淡いピンクが特徴的でユトリロも描いたレストラン「la maison Rose」が建っています。
いつかこれを描きたいと思いつつ、もう何年経ったでしょうか。・・・
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右手にはパリ市内唯一のブドウ畑が広がっています。
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その真下には年期の入った赤壁が特徴的なシャンソニエ「Au Lapin Agile」(すばしっこいウサギ)が
小さいながら独特の雰囲気を醸しだしています。
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ここはピアフも出演したことがある有名なシャンソニエでやはりユトリロが描いていますし、
若きピカソやマティスも常連客だったようです。
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以前に母親と2度ほど入ったことがあったのですが、我々が知っているような有名曲は一曲も唄ってくれませんでした。
シャンソンといっても奥が深く夥しい数が存在するのでしょうね。・・・

この先、サン・ヴァンサン通りと交差する所にユトリロが描いたベルリオーズの家があるとのことでしたが、
今はプレートが付いているだけで建物はすっかり建て替えられています。
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気を取り直して階段をハァハァと上りきりコルト通りに出ました。
ここの6番地にはサティが住んでいたそうです。
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その隣、現在はモンマルトル美術館になっていますが、ここはかつて画家たちのユートピアと云っても良いような家です。
なんでもモンマルトルで一番古い家だそうで、正面のプレートにはここに住んだ画家たちの名前が刻まれています。
主だった人ではルノワール、デュフィ、そしてユトリロも両親と一緒に住んでいました。
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一歩中に入ると大きな中庭に雑木林まで残っていて
ここがモンマルトルの中心であることが不思議なくらい静かでオアシスのような別世界です。
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中庭越しにはサクレクール寺院やその手前には古風で巨大な水道塔が建っています。
一方反対側はパリの北東部を一望できる高台でもあり、隣には先ほどのブドウ畑が続いています。
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中央に建つ母屋には、キャバレーなどその当時この界隈に関する資料が
ロートレックのポスターなどで展示されていて時代は100年ほど引き戻されるようでした。

それにゴッホがパリ滞在中に描いた「タンギー爺さん」の画材店もここにあったそうです。
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さて、この日も寒いうえに中身が濃くてグッタリとなりましたが、
夜はガルニエでバレエを観る予定・・・もう一頑張りです。



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by Atelier-Onuki | 2015-12-17 00:20 | フランス | Trackback | Comments(0)

「何で今パリへ」・・・

先々週に開催された講演会も無事に終了しホットしています。

印象派が誕生した背景から始めて短い時間の関係上、結局はモネまでしか話せませんでしたが、
概ね好評だった様で、「また次回も宜しく。」と云う事で予定されていた忘年会へと移りました。

この後、再度オサライの積もりでパリへ行こうと思っていた処に、あの痛ましいテロ事件が起こってしまいました。
どうしようか迷っていたのですが、半ばヤケクソぎみに思い切って行ってみる事にしました。
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到着した北駅では既に物々しい警戒で抜き打ちの荷物検査をしていました。
駅の正面玄関には濃紺の制服に甲冑をまとった機動隊が列をなして警戒にあたっています。
その重装備はまるでスター・ウォーズの兵士を連想させました。

それでも一歩街に入ると何時もと変わらないパリの雰囲気ですが、又逆に何時も通り別の警戒が必要です。

先ずは手始めに第一回印象派展を開催したナダールの写真スタジオからスタートしました。
これはオペラ座前に交差しているキャピシーヌ大通りを右に折れると、ほんの200mほどの所にあります。
ファサードの一部だけが当時の面影を残していますが、上部には新しいモダンな建物が増築されていますし、
当然ながら地上階はブティックが入っていて、それを示す石碑すら立っていません。

暫く開催された当時の面影とモネが描いた風景を偲びながら佇んでいました。
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メトロを乗り継ぎモンマルトルにほど近い“Place Clichy“へと向かいました。
ここには印象派の人たちが若き日に集まったカフェ“Le Café Guerbois”が存在していました。
ここも石碑が建っているだけで新しく建てられたビルにブティックとなっています。
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マネやピサロをリーダーにモネやシスレー、ルノワールなどが毎週木曜日に集まり芸術論を戦わせていたそうですが、
その錚々たる面々が同時期に集っていた事実には驚きと共にに憧れすら感じます。
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この日は余りにも寒く、開店早々のカフェに飛び込み一息を入れて、これからの墓地散策に供えました。

このモンマルトル墓地は以前にも訪れたことがあったのですが、
その当時はまだデジカメなどない時代だったので今回は写真を取り直すのも一つの目的でした。
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それと前回見落としている人の中には是非とも訪れたかった人がいました。
それはデュマの小説「椿姫」のモデルになったマルグリット・ゴーチェです。
この墓地には“Alphosine Plessis”アルフォンシー・プレシと云う本名で埋葬されているようです。
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入り口には案内地図がぶら下げられていて自由に貸し出されています。

地図を頼りに探してみると、入り口から直ぐの地区に埋葬されていました。
ちょっと高台になっている所を三列ほど入ると発見・・・
屋根型の蓋を乗せた墓石はどこかの写真で見たことがありました。
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正面には小さな肖像写真も付けられています。
これも何処かで見たことがある肖像画で噂通り気品の漂う美人です。
念の為に生年と没年を確認しましたが1824年生まれで1847年没と記されていて、
やはり23歳という若さで亡くなっていました。

ここには彼女に思いを馳せる人々がキスをした口紅の跡がたくさん付着していて、
この伝説が今なお人々の記憶に深く残っていることが伺われました。
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感慨深く眺めていると、お墓参りの婦人が声を掛けてきました。
最初は良く分かりませんでしたが、どうももう一人彼女が示したい人がいるようで、
「マダム何とかと言う人で、・・・」と地図を示しながら教えてくれました。
とりあえずは行って見ることに、そこには“Louise Weber”通称“La Goulue”「フレンチ・カンカンの創設者」とありました。
「そうだあのロートレックの絵に踊り子として良く出てくる女性のことだ!」
これは思いもかけない発見に暫く感慨深く佇んでいました。
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この墓地には他にも先ほどの「椿姫」を書いたデュマ・フィスを初めゾラやベルリオーズ、オッフェンバッハ、ドリーブ
そしてニジンスキーも眠っていますが、もう一つ確認したお墓がありました。

それはドガのお墓で以前見たときに気付いたのですが、普通ドガと云う名前で親しまれているにも関わらず
 “Degas”ではなく“de GAS”と書かれていました。
その後、調べたところやはり“de GAS”が正しく彼は“ガ”さんでした。
この“de”はラテン系の名前に使われる貴族の称号でドイツだと“von”にあたり何々家のと言う意味だそうです。
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銀行家で新しくブルジョワに加わった彼の先祖がどうもこの称号を買ったそうですが、
やはり間違いなく“Famille de GAS”と刻まれていました。
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もうこの辺で寒気も限界に近くのカフェにまた飛び込みました。

これからモンマルトルへと歩を進めルノワールが描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」をかすめ、
そしてゴッホやユトリロが住んだアパートの捜索です。
(次回)





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by Atelier-Onuki | 2015-12-15 03:10 | フランス | Trackback | Comments(0)