![]() 長年、音楽界の帝王として君臨されたカラヤンさんの事は音楽に興味のない人でも知っているほどで、今更何の説明も必要ありません。 ![]() 彼の生演奏に接したのは、やはり1970年の大阪万博の時に来日され、 ベートーヴェンの交響曲全曲の演奏会をされた時のこと、その内の4番と7番の演奏会を聴くことが出来ました。 当時はベルリン・フィルとの頂点とも言って良い状態で、その一糸乱れぬアンサンブルに舌を巻きました。 何と弦楽群の弓の角度まで揃っていました。 その後、私はウィーンに住むようになったのですが、彼は毎年「フィングステン」の時にウィーン・フィルとの演奏会をされていました。 彼の演奏会が迫っていた時、会場のムジークフェラインから道路を挟んで建っているインペリアル・ホテルのカフェへ出向きました。 一番奥の席に着き、前に置いてあるグランド・ピアノの向こうが何だか明るいのにフト気付きました。 な何とそこにはカラヤンさんがご機嫌麗しく、後光を放ちながら歓談されていました。 お邪魔をしてはいけないのでなるべく見ないように心がけていました。 そして帰り際、前を通るときになって軽く会釈をしましたら、なんとこちらを凝視して大きく3度うなずいてくれました。 その演奏会はブラームスの「ドイチェス・レクイエム」でした。 ゆっくりとした歩みで登場されましたが、何だか顔も晴れやかで、相変わらず後光は射しておられました。 静かに慈しむようなオーケストラの前奏に導かれるように、 “Selig sind,die da Leid tragen“「幸いなるかな、悲しみを抱くものは」と合唱によって歌い始められましたが、 まるで天上からの響きのような神々しさです。 曲は重々しい足取りで2曲目に入りました。“Denn alles Fleisch,es ist wie Gras“「肉(人)はみな、くさのごとく」と歌われ、 後半に入ったころ、アチコチから鼻をかむ音が聞こえてきます。 「6月で暖かいのにも関わらず風邪をひいている人が多いのかなぁ、まぁお年寄りが多いので仕方がないかなぁ!」と思いつつも、 余りにも多いので回りを見回した処、何と大勢の人たちが泣いているのでした。 まぁオペラでは時々、泣いている人もいますが、演奏会でこれだけの人たちが泣いている状況はこの時だけの体験でした。 ![]() #
by Atelier-Onuki
| 2023-05-22 23:42
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![]() リヒャルト・ワグナー最後の楽劇「パルジファル」は修道院を舞台に“聖杯”を守る修道士からなる騎士たちの物語です。 そのモデルとなったのが、モンセラート山にある修道院です。 ここには確かにアーサー王時代の“聖杯”を守っていた伝説が残っていたので、そこからインスピレーションを受けたのでしょうね。 この“聖杯“はキリストが最後の晩餐でワインを注ぎ、翌日十字架に架けられ槍で脇腹を刺された時に注がれた血を受けた器とされています。 それが何処に存在するのかを巡り、長い歴史のなか捜索され、これだと思われる器は奪い合いになって世界のあちこちを点々としました。 唯、実はその“聖杯”、「これぞ本物だ」と言われるのが4つほど実存しますが、どれも確たる証拠がなく確定には至っていません。 さてこのモンセラート山ですが地層が垂直で、長い年月を掛けて侵食され、モコモコとした奇岩郡で形成されています。 スペイン語でモンは山、セラートはノコギリという意味だそうです。 西暦880年のとある土曜日、山腹にいた羊飼いたちが、空に強い妙なる光を見たそうです。それから何度も土曜日になると強い光が照るので、 不思議に思い光の指している場所へと向かったそうです。 そこには洞窟の入り口があり、入ってみると何とキリストを抱いた黒いマリア像があったそうです。 「これはえらい発見だ!」と麓まで降ろそうとしましたが、ビクともせず動かすことが出来ませんでした。 とうとうこのマリア像をそのままに、その周辺から修道院の設営が始まりました。 年月を経ながら段々ともの凄く大きな修道院へと改修が進められて行きました。 ![]() 現在はこの修道院の一番奥に祭られていて、 その右手に持つ黒い“球“に触れながら願い事を祈ると叶えられるという伝説から多くの信者や観光客も訪れています。 ![]() かつてスペインを代表するソプラノ歌手、カバリエさんはファースト・ネームが“モンセラート”で 女性にしては“ノコギリ山”なんてと思っていたのですが、最近知ったところによるとお父さんが難病にかかり、 医者にも見離されていたにも関わらず、このマリア像に触れながら祈りを重ねたところ、 不思議なことに回復したそうです。 その後に生れたのであやかって、この名前を付けたそうです。 バルセロナのエスパーニャ広場からモンセラート鉄道で1時間ちょっと 終点モンセラート駅から登山電車でノンビリか1つ手前の駅からロープウェイでも行けます。 #
by Atelier-Onuki
| 2023-04-24 23:31
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![]() 作曲家、指揮者、ピアニスト、それに教育者としても活躍された類稀な才能は、よく知られている処なので今更説明する必要がないほどです。 そんなバーンスタインさんとの縁は比較的に恵まれました。 ![]() 最初に彼の演奏に接したのは1970年の万博の時にニューヨーク・フィルと来日された折でした。 当時ミーハーだった私は終演後に楽屋を訪ねサインをもらおうとフェスティバル・ホールの地下へと向かいましたが、 どうもグランド・ホテルの駐車場へ迷いこんだようでした。 ウロウロしていると向こうから見たことのある人たちが歩いて来ました。 それは何とあの小澤征爾さんと音楽評論家の大御所、福原信夫さんでした。 恐る恐る事情を説明すると、気さくに「ああ僕たちも行くところだから、一緒に行きましょう!」と快く誘って頂きました。 緊張しながら一緒にエレベーターで上がりました。 彼の部屋を訪ねるとダーク・ブルーのバス・ローブに身を包んでオンザ・ロックをカランカランさせながらソファに座っておられました。 小澤さんが、早々に事情を説明してくれると、「ウェルカム!」と温かく迎えてくれました。 サインをし終えるとなんと傍に立っていた彼女(今の家内)の頭を撫でてくれました。 もうこの時は緊張のあまりお礼を述べ早々に立ち去りました。 それから時は経ちウィーンでの生活が始まり、初めて長年憧れていたムジーク・フェラインで ウィーン・フィルの演奏会にワクワクしながら出かけましたが、その時の指揮者がバーンスタインさんでした。 このころは彼も活動の拠点をウィーンを中心にヨーロッパに移しておられました。 最初はハイドンの交響曲88番で気宇に富んだ軽妙な演奏でその響きの綺麗なこと・・・ 日本にいる頃からこのオーケストラが一番好きで聴いてきたのですが、想像を絶する豊かで綺麗な響きに目からウロコがポロポロ落ちました。 このプログラム前半のハイドンが終ったあと、休憩に入るのかと思いきや何と、彼がオーケストラ側に向いた時、 何の動作もしていないのにオーケストラが鳴りだしました。先ほどの最終楽章です。 これは後にヴィデオになったので見たですが、何と彼は目だけでオーケストラを振っていました。 その後のブラームスのピアノ協奏曲1番ではホールが揺れんばかりの演奏で腰が抜けそうでした。 今年は彼の伝記映画「マエストロ」が上演される予定です。 #
by Atelier-Onuki
| 2023-03-21 00:18
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![]() 前回ご紹介したコンメディア・デラルテは18世紀に入り、オペラの世界にも影響を与えます。 元来、オペラはギリシャ悲劇の再興を目指して誕生したジャンルですから、物語は神話の世界や歴史的英雄などの悲劇を扱った内容でした。 その内、幕間に観客を退屈させないように、インテルメッツォといわれる簡単な寸劇を行うようになっていきます。 ![]() これが段々と発達し独立したオペラ・ブッファ(喜歌劇)へと発展していきますが、初期の段階でコンメディア・デラルテの為に戯曲を書き内容も深く 大いに洗練させたカルロ・ゴルドーニ(イタリアのモリエールと称えられる劇作家)がオペラ・ブッファへの戯曲を書き始めます。 序々に人気を博しベルコレージやチマローザ、そしてロッシーニやドニゼッティ、アルプスを越えオーストリアではモーツァルトへと受け継がれ、 オペラ・ブッファというジャンルを大いに発展させて行きました。 処で、このコンメディア・デラルテは1979年に日本に初来日しゴルドーニ作「二人の主人を同時に持てば」を ジョルジュ・ストレーレル演出(センスに溢れた天才演出家)による公演が行われました。 これは凄い名作で、各地で大変な反響を呼びました。 ![]() この来日に合わせ日本舞台美術家協会の主催で展覧会が開催されましたが私もこれに参加させてもらいました。 本国ヴェニスから舞台写真や衣裳、そして仮面やトルソが送られてきました。 この仮面は皮製で役者一人一人の型をとり、それに合わせて作られていますから、 顔にピッタリとはまり紐などで止める必要はありませんでした。 それにもの凄く軽く、軽妙な動きをする役者の負担にはなりませんでした。 ![]() 今でもヴェニスへ行くと多くの土産物店でコンメディア・デラルテの衣裳や仮面が、特産品よろしく売られています。 ![]() 丁度2月、カーニヴァルの時期にヴェニスへ行ったことがあったのですが、 皆さん中世の衣裳やコンメディア・デラルテからの衣裳を身にまとっておられました。 ![]() それも本格的に凝った衣裳で仮面を被っている人たちも沢山おられますし、 運河には8人で漕ぐ古式豊かなゴンドラを始め、色んな形をしたゴンドラが浮かんでいて 何だかタイム・スリップしたような錯覚に陥りました。 ![]() #
by Atelier-Onuki
| 2023-02-18 20:45
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![]() 喜劇は古代ギリシャ時代から存在していましたがローマ・カトリック教会から抑圧され、 500年間ほど公の場では公演ができませんでした。 彼らは大道芸人や旅回りの一座として細々と演じていましたが、 段々と規制が緩くなってきたルネッサンス後期あたりから公に公演できるようになりました、 そんな中、このコンメディア・デラルテの一座は筋書きや演技を洗練させ台頭してきます。 本国イタリアはもとよりフランスやイギリスでも大変な人気がでます。 特にフランスでは絶大な人気でロココ時代を打表する画家アントワーヌ・ワトーを初め多くの画家が旅の一座を描いています。 ![]() フランスでは後にモリエールに影響を与え、近年にはその演劇を観たチャップリンが受け継ぎ、 今日も多くの喜劇やお笑いの要素として受け継がれています。 喜劇の全ての要素はこのコンメディア・デラルテが元祖であると言う人もいるほどです。 彼らは時事や噂話をもとに大まかな筋書きだけで即興を多用して演じていました。 登場人物はストック・キャラクターと言われる20種類ほど典型的な性格をもつキャラクターが固定されていて、 筋書きに応じてその都度選ばれていました。 男性の演者は遠くからでも見分けがつくよう仮面を付け、一つか二つの役柄で固定されていました。 観客は何時も同じキャラクターの人物が登場するので、物語の展開や予想が付け易く直ぐに理解する事ができました。 セリフもごく少なくパントマイムや抜群の演技力で言葉が分からなくても理解できました。 特に主役のアルレッキーノはアクロバットもどきの演技力で、その機敏な動きや跳躍力は、まるで体操選なみです。 主なキャラクターでは、まず先ほどのアルレッキーノArleccino(ベルガモ出身の道化師かつ使用人、何時もお腹を空かせていて食べることなら何でもやる) イル・ドットーレ、IlDottore (猜疑心が強い医者で、理屈っぽいことを言うが、的が外れている) イル・カピターノ、IlCapitano(軍の隊長で、手柄話しで自慢しているが実は臆病者) コロンビーナColombina(召使でアルレッキーノの恋人、無学ながらコケットで機知に富んでいる) ![]() パンタローネ、Pantalone(金持ちで好色家、初めて長ズボンを着用し後のパンタロンの語源になった) プルチネッラ Pulcinella(鷲鼻の黒いマスクに白い衣裳、料理人なのでプチネッラというレストランが多い) ![]() そんなキャラクターたちが奇想天外な物語を軽快にテンポ良く展開していきます。 #
by Atelier-Onuki
| 2023-01-26 00:05
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