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プロヴァンス鉄道 Chemin de fer de Provence (7月のコラムから)

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かつてイヴェントの仕事が毎年カンヌであって、よく行っていました。

ある年、仕事が予定より早く終わったので、噂に聞いていたプロヴァンス鉄道に乗ってみることにしました。

ニースへと戻り、街中のちょっと山手にある駅に向かいました。


一般的にニースの幹線鉄道はSNCF(フランス国有鉄道)で、こちらは風光明媚な海沿いを走りますが、

こちらは山岳地帯の渓谷に沿って走るフランスでは珍しい私鉄です。

ニースから終点のディーニュ・レ・バンまで約150kmほどの路線です。

仕事から解放され、ウキウキした気分で乗り込みました。

列車は一般の線路より狭いそうで、その分ちょっと小振り、何だか遊園地にある電車の姉さんと言ったところです。


暫く市街地を走った列車は、程なく川を渡るとすっかり長閑な田園風景となりました。

右手には山々が連なり出し、左手には渓流が流れ、その間を蛇行して走ります。

時折鳴らされる警笛もちょっと鄙びていて、益々遊園地気分です。

そうだ、ここで乗車前に買っておいた少々のお惣菜とロゼの小瓶を取り出し、チビチビと一人宴会を始めました。

しかしこの列車のよく揺れること・・・左右だけでなく上下にも揺れ、ワインを注ぐのもオットット、オットットと大変です。

それでもこの辺のお惣菜やロゼの美味いこと、上機嫌で楽しんでいました。


1時間半ほど揺られ、取り合えずの目的地アノー(Anott)に到着したころには、すっかり出来上がっていました。

鄙びた無人駅をおり、農家が点在する田園地帯を街中へとダラダラ歩いて行きました。

小さな石橋を渡り町中へ入りましたが、古い家並みで続き趣があります。

街といっても小さな集落で直ぐに山手の旧市街地へと入りました。

ここの家並みは壁はもとより、屋根も道も全てがベージュとグレーの石で作られて相当の古さを感じさせます。

洗濯場の大きな水槽も石を掘ったものでした。

更に上の方へと歩を進めると山々には霧が立ち込め、鉄道の石橋や山上の祠が霞んでみえました。


さて、帰りはエクス・アン・プロヴァンスへ回ろうと終点のディーニュからバスでSNCFが走っているシャトー・サン・トーバンの駅を目指しました。

名前にシャトーが付いているので期待しながら到着した駅はポツンと建つ石造りの寂しい駅で、

ガランとしたホームの向こうには白と赤でペイントされた大きな煙突にコンビナートの様相でした。



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# by Atelier-Onuki | 2023-07-26 00:30 | コラム | Trackback | Comments(0)

ラヴェッロ(Ravello)のこと (6月のコラムより)

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アマルフィーを出発したバスは真っ青な海を背景にグネグネと山道を登り20分ほどで終点へ到着しました。

ここはナポリの南、ソレント半島の中央南に位置するラヴェッロという山間の小さな町です。 

何故こんな町へ来たかというと、ワグナーが暫く滞在し「パルジファル」2幕目の花園のシーンを

着想したという庭園が見事なヴィラ・ルーフォロを訪れるためでした。

ヴィラは広場からトンネルを抜けると直ぐ左手に入り口がありました。

これは個人のヴィラでしたが、まるでお城のような佇まいです。

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それに何といっても高低差を上手く使った広大な庭園が素晴らしい。

一番下のテラスはテニス・コートほどある大きな花壇です。

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ここからの眺めも絶景で、ここに仮設ステージを設け、春から秋にかけて音楽祭が催されます。(最盛期は7月から8月上旬)

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当初はワグナーに因んで、彼の作品を演目に取り上げて来たそうですが、現在は色んな作曲家の作品を取り上げています。

毎年、音楽祭のテーマを設け「夢」とか「旅」とかに決められ、それに関連した楽曲が演奏されています。

このテーマの言い方もワグナーに因んで「ライト・モチーフ」と言われています。

出演者も中々豪華で、オーケストラでは近場からナポリのサンカルロ歌劇場のオーケストラやローマからはサンタ・チェチェーリア管弦楽団、

ミラノのスカラ座のオーケストラなど、外国からはロンドン交響楽団やドレスデン・シュターツ・カペレ、

ミュンヘン・フィルにフランス国立管弦楽団などが出演しています。


指揮者もムーティを初めメータやハーディングなど大御所も登場します。


さて、このヴィラを後にして更に奥へと細い道を登って行くと20分ほどでヴィラ・チンブローネの入り口が現れます。

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ここはホテルになっていますが、ここもお城の様な風格がありヴィラ・ルーフォロ同様

広大な庭園が広がっていて、

一番奥にある手摺に胸像が並んだテラスからの眺めが絶景です。

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このホテルにはかつて指揮者のストコフスキーと女優のグレタ・ガルボがお忍びで滞在していたそうです。


中心の広場へと戻り、町外れの地元感溢れる小さなレストランで昼食をとりました。

店には上下フリルの付いた赤いエプロン姿で大きな髪飾りを着けたオバアサンが切り盛りをしていました。

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帰り際、飾ってあった写真をフト見るとそこにはムーティと親しげに寄り添うオバアサンの姿がありました。

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# by Atelier-Onuki | 2023-06-21 00:28 | コラム | Trackback | Comments(0)

ヘルベルト・フォン・カラヤンさんの思い出 (5月のコラムから) 

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長年、音楽界の帝王として君臨されたカラヤンさんの事は音楽に興味のない人でも知っているほどで、今更何の説明も必要ありません。

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彼の生演奏に接したのは、やはり1970年の大阪万博の時に来日され、

ベートーヴェンの交響曲全曲の演奏会をされた時のこと、その内の4番と7番の演奏会を聴くことが出来ました。

当時はベルリン・フィルとの頂点とも言って良い状態で、その一糸乱れぬアンサンブルに舌を巻きました。

何と弦楽群の弓の角度まで揃っていました。


その後、私はウィーンに住むようになったのですが、彼は毎年「フィングステン」の時にウィーン・フィルとの演奏会をされていました。

彼の演奏会が迫っていた時、会場のムジークフェラインから道路を挟んで建っているインペリアル・ホテルのカフェへ出向きました。


一番奥の席に着き、前に置いてあるグランド・ピアノの向こうが何だか明るいのにフト気付きました。

な何とそこにはカラヤンさんがご機嫌麗しく、後光を放ちながら歓談されていました。

お邪魔をしてはいけないのでなるべく見ないように心がけていました。

そして帰り際、前を通るときになって軽く会釈をしましたら、なんとこちらを凝視して大きく3度うなずいてくれました。


その演奏会はブラームスの「ドイチェス・レクイエム」でした。

ゆっくりとした歩みで登場されましたが、何だか顔も晴れやかで、相変わらず後光は射しておられました。

静かに慈しむようなオーケストラの前奏に導かれるように、

Selig sind,die da Leid tragen「幸いなるかな、悲しみを抱くものは」と合唱によって歌い始められましたが、

まるで天上からの響きのような神々しさです。

曲は重々しい足取りで2曲目に入りました。“Denn alles Fleisch,es ist wie Gras「肉(人)はみな、くさのごとく」と歌われ、

後半に入ったころ、アチコチから鼻をかむ音が聞こえてきます。

6月で暖かいのにも関わらず風邪をひいている人が多いのかなぁ、まぁお年寄りが多いので仕方がないかなぁ!」と思いつつも、

余りにも多いので回りを見回した処、何と大勢の人たちが泣いているのでした。


まぁオペラでは時々、泣いている人もいますが、演奏会でこれだけの人たちが泣いている状況はこの時だけの体験でした。

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# by Atelier-Onuki | 2023-05-22 23:42 | コラム | Trackback | Comments(0)

モンセラート山 (4月のコラムより)

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リヒャルト・ワグナー最後の楽劇「パルジファル」は修道院を舞台に“聖杯”を守る修道士からなる騎士たちの物語です。

そのモデルとなったのが、モンセラート山にある修道院です。


ここには確かにアーサー王時代の“聖杯”を守っていた伝説が残っていたので、そこからインスピレーションを受けたのでしょうね。

この“聖杯“はキリストが最後の晩餐でワインを注ぎ、翌日十字架に架けられ槍で脇腹を刺された時に注がれた血を受けた器とされています。

それが何処に存在するのかを巡り、長い歴史のなか捜索され、これだと思われる器は奪い合いになって世界のあちこちを点々としました。

唯、実はその“聖杯”、「これぞ本物だ」と言われるのが4つほど実存しますが、どれも確たる証拠がなく確定には至っていません。


さてこのモンセラート山ですが地層が垂直で、長い年月を掛けて侵食され、モコモコとした奇岩郡で形成されています。

スペイン語でモンは山、セラートはノコギリという意味だそうです。

西暦880年のとある土曜日、山腹にいた羊飼いたちが、空に強い妙なる光を見たそうです。それから何度も土曜日になると強い光が照るので、

不思議に思い光の指している場所へと向かったそうです。

そこには洞窟の入り口があり、入ってみると何とキリストを抱いた黒いマリア像があったそうです。

「これはえらい発見だ!」と麓まで降ろそうとしましたが、ビクともせず動かすことが出来ませんでした。

とうとうこのマリア像をそのままに、その周辺から修道院の設営が始まりました。

年月を経ながら段々ともの凄く大きな修道院へと改修が進められて行きました。

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現在はこの修道院の一番奥に祭られていて、

その右手に持つ黒い“球“に触れながら願い事を祈ると叶えられるという伝説から多くの信者や観光客も訪れています。

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かつてスペインを代表するソプラノ歌手、カバリエさんはファースト・ネームが“モンセラート”で

女性にしては“ノコギリ山”なんてと思っていたのですが、最近知ったところによるとお父さんが難病にかかり、

医者にも見離されていたにも関わらず、このマリア像に触れながら祈りを重ねたところ、

不思議なことに回復したそうです。

その後に生れたのであやかって、この名前を付けたそうです。


バルセロナのエスパーニャ広場からモンセラート鉄道で1時間ちょっと

終点モンセラート駅から登山電車でノンビリか1つ手前の駅からロープウェイでも行けます。



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# by Atelier-Onuki | 2023-04-24 23:31 | コラム | Trackback | Comments(0)

レナード・バーンスタインさんの思い出 (3月のコラムから)

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作曲家、指揮者、ピアニスト、それに教育者としても活躍された類稀な才能は、よく知られている処なので今更説明する必要がないほどです。

そんなバーンスタインさんとの縁は比較的に恵まれました。

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最初に彼の演奏に接したのは1970年の万博の時にニューヨーク・フィルと来日された折でした。

当時ミーハーだった私は終演後に楽屋を訪ねサインをもらおうとフェスティバル・ホールの地下へと向かいましたが、

どうもグランド・ホテルの駐車場へ迷いこんだようでした。

ウロウロしていると向こうから見たことのある人たちが歩いて来ました。

それは何とあの小澤征爾さんと音楽評論家の大御所、福原信夫さんでした。

恐る恐る事情を説明すると、気さくに「ああ僕たちも行くところだから、一緒に行きましょう!」と快く誘って頂きました。


緊張しながら一緒にエレベーターで上がりました。

彼の部屋を訪ねるとダーク・ブルーのバス・ローブに身を包んでオンザ・ロックをカランカランさせながらソファに座っておられました。


小澤さんが、早々に事情を説明してくれると、「ウェルカム!」と温かく迎えてくれました。

サインをし終えるとなんと傍に立っていた彼女(今の家内)の頭を撫でてくれました。

もうこの時は緊張のあまりお礼を述べ早々に立ち去りました。


それから時は経ちウィーンでの生活が始まり、初めて長年憧れていたムジーク・フェラインで

ウィーン・フィルの演奏会にワクワクしながら出かけましたが、その時の指揮者がバーンスタインさんでした。

このころは彼も活動の拠点をウィーンを中心にヨーロッパに移しておられました。


最初はハイドンの交響曲88番で気宇に富んだ軽妙な演奏でその響きの綺麗なこと・・・

日本にいる頃からこのオーケストラが一番好きで聴いてきたのですが、想像を絶する豊かで綺麗な響きに目からウロコがポロポロ落ちました。


このプログラム前半のハイドンが終ったあと、休憩に入るのかと思いきや何と、彼がオーケストラ側に向いた時、

何の動作もしていないのにオーケストラが鳴りだしました。先ほどの最終楽章です。

これは後にヴィデオになったので見たですが、何と彼は目だけでオーケストラを振っていました。

その後のブラームスのピアノ協奏曲1番ではホールが揺れんばかりの演奏で腰が抜けそうでした。


今年は彼の伝記映画「マエストロ」が上演される予定です。



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# by Atelier-Onuki | 2023-03-21 00:18 | コラム | Trackback | Comments(0)