人気ブログランキング |

ムーティとウィーン・フィルの演奏会

先週ウィーンへ行ったのは1週間の滞在でウィーン・フィルの演奏会を2つも聴けたからです。

こんなに短期間で2公演を聴けるチャンスは数年に1度ある程度ですし、
しかも今回はヤンソンスとムーティという豪華な顔ぶれだったからです。

残念ながらヤンソンスは演奏会の初日に亡くなってしまいましたが、
気を入れなおして、ムーティの演奏会へと足を運びました。

演目は1曲目がブッフビンダーのピアノで
ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番、「皇帝」、
休憩後の2曲目はストラヴィンスキーの「妖精のキス」ディヴェルティメント、
3曲目はレスピーギの「ローマの松」でした。

大きな拍手と共に2人が登場しましたが、背格好と言い、年齢と言い、
ロングの髪型までソックリな2人が登場し一瞬どちらが誰か分からないほどでした。
ムーティとウィーン・フィルの演奏会_a0280569_0573256.jpg

ムーティとウィーン・フィルの演奏会_a0280569_0574894.jpg

ダ~ンとオーケストラの一撃で始められ、すぐさまピアノが連打で対応しますが、
もうこの瞬間で「オォこれだ!」と感心させられます。

これぞ王道の堂々とした演奏で、安心して身を委ねられます。

ブッフビンダーはこの10数年ベートーヴェンのピアノ協奏曲に力をいれていて、
2年ほど前にはウィーン・フィルと弾き振りで全曲演奏会を行ったほどです。

演奏は終始堂々と手馴れたもので、正に正統派の演奏です。
叙情的なところも流れるような綺麗さで滞る事無く進められて行きます。

2楽章のあの静かで夢見心地のところもハッとタメ息が思わず出てしまいそうな美しさでした。
ピアニッシモから途切れることなくスムースに3楽章へと移行していきました。
オーケストラもフォルテで堂々としたテーマを奏でだし、グイグイと盛り上がっていきます。

いやぁ~こんな立派な曲を作曲したベートーヴェンも凄いし、
それを見事に表現している奏者たちにも大いに感心致しました。

幼い頃からウィーンで育ったブッフビンダーは聴衆からも好意的に受け止められているようで、
終演後は盛大な拍手で答えていました。

さて、2曲目の「妖精のキス」は元来バレエ音楽として作曲されていますが、
後に演奏会用に編曲されたディヴェルティメントが演奏されました。

正直あまり馴染みのない曲なので、
やはりムーティが昔フィラデルフィア管を振った映像で数回予習をしていました。

フルートのソロによって静かに始められましたが、やはり未だピンと来ません。

2曲のスイス舞曲はチェロのソロがハープの伴奏を伴って奏でられます。
そこにクラリネットが甘いメロディを浮かび上がらせ、まるで室内楽を聴いているような雰囲気です。
これは綺麗・・・ウットリと夢を見ているような心地に・・・
しばし天井を眺めながら聴き入っていました。

因みにウィーン・フィルもこの曲を取り上げるのは始めてだったそうです。

さぁいよいよ「ローマの松」です。

レスピーギはローマ3部作として、この「ローマの松」、「ローマの泉」、「ローマの祭り」
とローマ独特の情景を作曲していますが、やはり「松」が一番の名曲です。

確かにローマの松は特長的な形をしていて、
幹がス~と延びた上の方だけにフワフワとした円形の葉を付けています。
不思議なことにこのような形の松は他の地域ではあまり見かけたことがありません。

大きな拍手が鳴り止まぬ間にサッと振り返りながらムーティのタクトが振り下ろされました。
会場にザワメキが残るなかキラキラと「ボルゲーゼ荘の松」が鳴りだしました。

これはこの公園にある松の木陰で遊ぶ子供たちの様子を描いているそうで、
鳴り子などのオモチャを連想するような打楽器がいっぱい鳴っていてキラキラを賑やかに奏されます。

打楽器奏者がマックスで必要なので、トライアングルはティンパニー奏者が叩いている有様です。

その上にアチコチの金管が鳴り出し、これはローマの喧騒を表現しているのでしょうか?

それでも流石はウィーン・フィル喧しさは一切なく、むしろ心地よい響きです。

音量がマックスに達しパタッと音楽は止まると、低音の弦楽器で静かに「カタコンバの松」が奏でられ出しました。

厳かで荘厳なメロディが重なるなかバルコニー席の奥からソロのトランペットの甘いメロディが聴こえてきます。

まぁ何とも立体感のある表現でしょうか・・・まるで夕日が沈んで行くかのようです。

すぐさまザバザバ・ザバザバ・ザバザバ・ザバザバ・ザバザバン・バン・バンと弦楽器
で刻まれますが、まるでフーガの様に、この特徴的なメロディが続き、
盛り上りみせたあと、静かにクレッシェンドしながら消えて行きます。

コロコロとしたピアノの音でロマンティックに「ジャニコロの松」が始められました。

それにクラリネットの甘いメロディに弦楽器が対応していきます。
チェロのソロとクラリネットが絡み合うなかオーボエが切ないメロディで加わります。

再びクラリネットのソロが静かに吹き出したころ、
会場のアチコチからナイチンゲールの鳴き声が聞こえてきますが、
ここも立体感に溢れていて夢見心地の瞬間が訪れます。
夕方でしょうか・・・ウットリとするところです。

そういえばコロッセオの前の松並木には夕方になると無数のナイチンゲールが集まってきていました。

曲はハープと弦楽によって静かに閉じられると、静かにティンパニーの連打で「アッピア街道の松」が始まりました。

不安定なメロディの弦にバス・クラリネットが不気味な旋律を加えコールアングレが更に不安さを増して行きます。

曲はホルンの遠吠えが始まると序々に行進曲風になって行きます。

これは古のローマ軍がアッピア街道を凱旋してくる様子を表現しているそうです。

行進が近づくにつれ金管楽器が段々と増して行き、
バルコニー両サイドに配置されたバンダが加わり出すと曲はマックスの音量へと高まって行きます。

360度の音の洪水にホールは崩れんばかりに響いています。

曲は長いフォルテッシモの一撃で閉じられました。

そりゃブラボーまじりの拍手もマックスに達しました。

2度目、挨拶に現れたムーティはバルコニーの聴衆に向かって
「ちょっとバンダが煩くて御免なさい!」とドイツ語交じりの英語で誤っていて、微笑ましい光景でした。
ムーティとウィーン・フィルの演奏会_a0280569_058184.jpg

まぁこの曲をこの最高の演奏で聴けただけでも
「ホント、ウィーンまで来て良かった!!」とツクヅク感じていました。


by Atelier Onuki~ホームページもご覧ください~応援クリックありがとうございます!人気ブログランキングへ
# by Atelier-Onuki | 2019-12-12 01:03 | ウィーン | Trackback | Comments(0)

マリス・ヤンソンスさんの追悼演奏会

実は先週ヤンソンスさんの演奏会を聴きにウィーンへ行っていました。
マリス・ヤンソンスさんの追悼演奏会_a0280569_1582685.jpg

1ヶ月ほど前にエッセンであった演奏会でもハーディングが代役で演奏したと
娘婿から聞いていましたし、ムジークフェラインのホーム・ページでも
フルシャと言う指揮者に代わったとのお知らせが載っていました。

そこにはアキレス腱を故障した為と知らされていましたが、
元来心臓に問題を抱えていたので、実際はもっと悪いのかも・・・と心配をしていました。

それが悲しいことに11月30日に亡くなってしまいました。

3公演ある、この演奏会の初日の事で未だ誰も知らなかった初日は予定通りの演目で行われましたが、
曲はよりによってドヴォルザークの「謝肉祭」という場違いな演目でした。

2日目にウィーン・フィルの団員の一人がこの件を知り、急遽演目を変更し
ヤンソンスが生前好きだったラフマニノフのエチュードをソリストのピアニスト、マツエフが演奏したそうです。
マリス・ヤンソンスさんの追悼演奏会_a0280569_1595063.jpg

私が知ったのも12月1日でやはり音楽ファンの知り合いからメールをもらいました。

すごすごと重い足取りで地下鉄の駅からムジークフェラインへの階段を上がっていきました。

ライトに照らされたファサードには北風に黒い旗が悲しげにはためき、関係者が亡くなったことを報せていました。
マリス・ヤンソンスさんの追悼演奏会_a0280569_20473.jpg

マリス・ヤンソンスさんの追悼演奏会_a0280569_21209.jpg

会場内もやや重い雰囲気に包まれホールの入り口にはヤンソンスの遺影が掛けられ
前のテーブルには記帳簿が置かれていました。
マリス・ヤンソンスさんの追悼演奏会_a0280569_201613.jpg

演奏に先立ち挨拶がありました。
「当オーケストラの桂冠指揮者でもあるヤンソンスさんが11月30日に亡くなられました。・・・
演目も「謝肉祭」ではなくモーツァルトの「フリーメイソンの為の葬送曲」に変更し、
演奏のあと3分間の黙祷をお願いします。」との事でした。

指揮者なしで厳かに演奏された後、全員が起立して静かに黙祷を捧げました。

最初の演目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番で、
これも当初、予定されていたラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」から変更です。

それでもウィーン・フィルがこの曲を演奏することは滅多になく、
録音でも私の知る限り60年ほど前のカーゾンとショルティの盤があるだけです。

ホルンが冒頭のテーマを高らかに吹きました。
もう、このホルンの3連譜を聴いただけでゾクゾクです。

その渋みと深み、それにこのオケ独特の野性味も感じられ、
「アァ、ウィーンに来て良かったなぁ~」と最初から虜にさせられました。

ピアニストのマツエフは堂々と渡り合い、その硬質で力強い打鍵はギレリスを思い浮かべる程です。

技術的には完璧、それでもちゃんと抜けるところは抜き、叙情的な部分は柔らかく弾いています。
この人は相当練習もし、これからドンドン良くなっていく予感を沸々と感じさせてくれました。

3楽章、後半など目もくらむほどの猛スピードで進みますが、
ピアノもオーケストラも完璧で心地よい突進に身を委ねるばかりでした。

後半はバルトークの「オーケストラの為の協奏曲」で、私の大好きな曲です。

それにウィーン・フィルならではの楽しみも最集楽章でやって来ます。

それはティンパニーの一撃が“ボワァ~ン“と音程を下げる瞬間です。

普通プラスティック製のティンパニーにはペダルが付いていて、それを踏めば緩んで音程が下がるのですが、
このオケは革張りなので6箇所で張っているノズルを手動で緩めなければなりません。

今まで何度かこのオケで聴きましたが、大忙しで上手に緩めていました。

この日の指揮者はフルシャという若いチェコ人で、この演奏会が彼のウィーン・フィルのデビューです。

バルトークではまだ馴染みが薄いのかスコアを置いての指揮でしたが、
逆にオーケストラの方が「任せとけ!!」と言わんばかり気持ちが入っていて、
コンマスが指揮者との連携を全員に気合で伝えていました。

最終楽章は普通でも速いのに、更に猛スピードで一気に進められましたが、
ちゃんと丁寧な演奏で最後まで絶妙なアンサンブルやバランスが保たれていました。
マリス・ヤンソンスさんの追悼演奏会_a0280569_214417.jpg

ヤンソンスが亡くなったのは悲しい出来事でしたが、演奏会は実に素晴らしい内容のあるものでした。

考えたら今までの歴史の中でも代役が素晴らしいパーフォマンスをして、
大指揮者から世代交代を繰り返して来たなぁと感慨深く思いを馳せていました。

ヤンソンスさんは亡くなってしまいましたが、数々の名演が思い浮かべられます。
特にミュンヘンに住んで居た頃は毎月のように彼の演奏を聴くことができました。

特に印象深かったのは、先ずウィーン・フィルとの「オベロン」序曲、
バイオリン群が奏でる衣擦れのような響きはまるで天国にでも登るような心地良さでした。

又、コンセルトヘボウとのアンコールでやったシベリウスの「悲しきワルツ」
美しくも本当に悲しく冷たいロマンチズムに包まれ、まるで夢を見ているようでした。

ヤンソンスさんは亡くなられましたが、その演奏は記憶として心の中に蘇ってきます。

安らかなご冥福をお祈りいたします。


by Atelier Onuki~ホームページもご覧ください~応援クリックありがとうございます!人気ブログランキングへ
# by Atelier-Onuki | 2019-12-10 02:02 | ウィーン | Trackback | Comments(0)

ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)

[ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 11月のコラムから ]
ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)_a0280569_20363496.jpg

ゴッホは題材を求めてアルル近郊を精力的に歩き回っていましたが、
20kmほど南へ下った、地中海に面した街サント・マリー・ドゥ・ラ・メールへも行っています。

途中、ローヌ川の河口でカマルグと言われる広大なデルタ地帯を通りますが、
ここには野生のフラミンゴや馬がたくさん生息しています。
ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)_a0280569_20365866.jpg

ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)_a0280569_20371018.jpg

この馬は小振りで白馬も多く愛らしい姿です。
それに本物のカウボーイも居て牛の放牧をしています。
ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)_a0280569_20372758.jpg

水田地帯も広がり、ちょっと日本の原風景を思い起こさせますが、
何でも日本人が農法を教えたそうで、そりゃ日本の風景に似るわけですね。

さて、サント・マリー・ドゥ・ラ・メールにある教会の塔が見えてきました。

この街の名の由来は何でも、キリストが昇天した後、エルサレムを追われた3人のマリア、
すなわちマグダラのマリア、マリア・サロメ、そしてマリア・ヤコベたちを乗せた小舟が、
妙なる風に乗って一晩で漂着したのがこの街で、「海からの聖マリアたち」と言う意味を地名にしたそうです。

彼らはこの地で布教を始めるのですが、その内のサラと言うエジプト人の従者が、
不治の病に苦しんでいたシンティ・ロマの子供を癒したことから、守護神として崇められるようになったそうです。

この地にはシンティ・ロマがたくさん住んでいたそうで、サラの命日には大きな祭りが催されます。

またサラの肌が黒かったことから、この教会の地下には黒いマリア像が祭られておりアルジェリア辺りからも大勢参拝するようになったそうです。
ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)_a0280569_20381140.jpg

ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)_a0280569_20382639.jpg

ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)_a0280569_20383736.jpg

このアルジェリアから大勢やってくるスアブ族の噂をゴッホも聞きつけていたようで、
そのユニークな衣裳を纏ったスアブ人の肖像を描いています。
ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)_a0280569_20405711.jpg

未だ、それほど知り合いもなく、モデルになってくれる人が居なかったゴッホにとっては
珍しくもあり、貴重な存在だったようです。

風景画もたくさん描いています。

畑を通した遠景の街並みや、初めて見る明るい海に感銘を受け、
明るく伸びやかでキラキラとした海の風景を描いています。

遠くに浮かぶカラフルな漁船も波に揺られる躍動感に溢れています。
ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)_a0280569_20412291.jpg

その内の1枚は浜辺に上げられている漁船を描いていますが、
ここでもマストの角度はリズミカルでいかにも心地よさそうです。
ゴッホ - 6 (サント・マリー・ドゥ・ラ・メール)_a0280569_20413942.jpg

これは高校生のころ買ったゴッホの画集の表紙に使われていて、
観る度に懐かしく当時のころを思い浮かべています。



by Atelier Onuki~ホームページもご覧ください~応援クリックありがとうございます!人気ブログランキングへ
# by Atelier-Onuki | 2019-11-18 20:44 | コラム | Trackback | Comments(0)

ゴッホ - 5 (跳ね橋とクロー平原) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 10月のコラムから ] 

ゴッホ - 5 (跳ね橋とクロー平原) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 10月のコラムから ] _a0280569_23545858.jpg

アルルでのゴッホは絵の題材を求めて精力的に歩き回っています。

到着した2月には雪景色を2枚も描き上げていますし、
翌3月には街から1km以上も南に下がったラングロア運河に掛かる
「アルルの跳ね橋」を見つけ、2枚も描いています。
ゴッホ - 5 (跳ね橋とクロー平原) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 10月のコラムから ] _a0280569_23553793.jpg

ゴッホ - 5 (跳ね橋とクロー平原) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 10月のコラムから ] _a0280569_2355551.jpg

ゴッホ - 5 (跳ね橋とクロー平原) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 10月のコラムから ] _a0280569_23561629.jpg

跳ね橋はフランスでは数少ないのですが、故郷オランダでは典型的な橋なので郷愁を感じたのでしょうね。

余程気に入ったのか4月にもう1枚と5月には対岸からの眺めを描いています。
ゴッホ - 5 (跳ね橋とクロー平原) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 10月のコラムから ] _a0280569_23563392.jpg

ゴッホ - 5 (跳ね橋とクロー平原) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 10月のコラムから ] _a0280569_23565681.jpg

ゴッホ - 5 (跳ね橋とクロー平原) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 10月のコラムから ] _a0280569_2357926.jpg

ゴッホ - 5 (跳ね橋とクロー平原) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 10月のコラムから ] _a0280569_23574773.jpg

一度見たかったので近くまで行きそうなバスに乗り込み、跳ね橋を目指しました。
降りたところ周りは何もなく、カラッカラッの畑ばかりが広がる平原をそこそこ歩きました。

やっとそれらしき跳ね橋が遠くからポツンと見えて来ました。

橋を渡った袂には一軒の古い農家が寂しく建っています。

この跳ね橋は復元された物だそうですが、彼が描いたアチコチの位置に立って感慨深く眺めていました。

3月から5月にかけては果樹が見事に咲き誇るので、絵描きの気持ちを沸きたたせます。
ゴッホも桃を初めアンズやリンゴ、梨にアーモンドなどの果樹園を連作のように描いています。

そして6月にはクロー平原で麦畑や収穫の風景をこれまた数多く描いています。

中でも私が好きなのは「クロー平原の収穫」と題された1枚ですが、
穏やかで長閑な田園風景が描かれています。
ゴッホ - 5 (跳ね橋とクロー平原) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 10月のコラムから ] _a0280569_2358813.jpg

時期的にも6月で最も過ごし易い季節ですし、ゴッホも穏やかな気持ちで描いているようで、
ここには彼独特の激しいタッチや強烈な色使いなどは見受けられません。

空も南仏の抜けるようなブルーではなく、くすんだエメラルド・グリーンに抑えられています。

青みを帯びた荷車が中央に置かれ、西洋画の構図としてはアレッと思ってしまうのですが、
浮世絵の奇抜な構図を意識したのでしょうか。・・・

それを中心に収穫をする人たちや家路に向かう荷車が、
そして遠景には彼らが帰るであろう農家が点在しています。

遠くにはアルピーユ山脈が描かれていますが、それほど高くない山脈は安心感すら漂い、
暖かく長閑で平穏な日常が描かれています。

私はこの絵を見ていると必ずビゼーの「アルルの女」からの「パストラール」が
頭をよぎりプロヴァンスの暖かい風を感じています。



by Atelier Onuki~ホームページもご覧ください~応援クリックありがとうございます!人気ブログランキングへ
# by Atelier-Onuki | 2019-10-22 23:58 | コラム | Trackback | Comments(0)

ゴッホ - 4 (アルル-夜のカフェテラス) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムより ]

ゴッホ - 4 (アルル-夜のカフェテラス) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムより ]_a0280569_23453979.jpg

ゴッホのアルルでの代表作品と言えば真っ先に「ひまわり」と「夜のカフェテラス」が浮かびます。

その「夜のカフェテラス」を描いたフォーラム広場へと向かいました。

城壁を抜け暫く行くと古代闘技場の姿が堂々とした姿で見えてきます。

この先にもローマ時代に建てられた古代劇場の遺跡など観光名所を通りますが、
ゴッホはこれらの名所には、全く興味を示さず一枚も描いていません。

それは他の画家たちも観光名所を描いていないのと同様で、
どうしても「売り物の絵」的な出来栄えを避ける為でしょうね。

さて、フォーラム広場を挟んで「夜のカフェテラス」(現在は Café van Goghと改名)
の向かいに建つホテルに到着しました。
ゴッホ - 4 (アルル-夜のカフェテラス) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムより ]_a0280569_23462545.jpg

チェックインをしていると、別の女性従業員がバタバタと帰って来て
「今さっき、カフェ ゴッホで置き引きがあって!」と半ば興奮気味に話しています。

私にも「あそこへは行かないようにね!」・・・「No~Gogh!!」と念をおしていました。

いやはや~、ゴッホの足跡を訪ねてアルルまで来ているのに、いきなり「No Gogh!」です。

気を取り直して、そのカフェ・ゴッホを繁々と眺めにでかけました。
ゴッホ - 4 (アルル-夜のカフェテラス) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムより ]_a0280569_2347925.jpg

この建物の壁は恐らく黄色だったと思うのですが、
下半分はまるでゴッホが描いた「夜のカフェテラス」そっくりの色に塗り替えられています。
ゴッホ - 4 (アルル-夜のカフェテラス) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムより ]_a0280569_23473027.jpg

彼は夜に描いているのでランタンの光や影を反映させた色使いをしているのですが、
黄色地に緑やオレンジなどで絵と同じタッチで描かれています。
ゴッホ - 4 (アルル-夜のカフェテラス) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムより ]_a0280569_23482582.jpg

彼のアルルでのテーマの一つに夜の風景を描きたかったようです。

やはり尊敬をしていたミレーの「星の夜」からの影響かと思われますが、
この「夜のカフェテラス」と同じ9月に描いた「ローヌ川の星月夜」では
明らかにミレーを意識した感覚で描かれています。
ゴッホ - 4 (アルル-夜のカフェテラス) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムより ]_a0280569_2349019.jpg

ゴッホ - 4 (アルル-夜のカフェテラス) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 9月のコラムより ]_a0280569_2349172.jpg

黒色を使わないで夜の表現をしようと試みていますが、屋外で描くのを基本にしていた彼は、
麦藁帽にロウソクを立てて描いていたとも言われています。

まぁあくまでも噂であって本当の事はわかりませんが、
赤毛で汚い格好をしたオランダ人が奇妙な行動をとっていたようで、
さぞかし地元の人たちにとっては怪しい人物だった事でしょう。

事実、アチコチで誤解をされたり、からかわれたりして問題を起こしています。

それでもこの変な外人にも、絵描きとしての才能を認めていた理解者たちもいたようです。


by Atelier Onuki~ホームページもご覧ください~応援クリックありがとうございます!人気ブログランキングへ
# by Atelier-Onuki | 2019-09-23 23:50 | コラム | Trackback | Comments(0)