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アントワープにて

先日、ゴッホについて調べていたら、アントワープ時代のことが出てきたので、ふと行ってみたくなりました。

ここデュッセルドルフはオランダやベルギーに近く、ほんの2・3時間で異文化の空気を吸いに出かけられます。

DB(ドイツ国鉄)が運行するバスに乗り込み出発しました。

この日は途中の高速道路での工事が多く停滞が激しく迂回を迫られること、シバシバ・・・
その度に運転手は作を巡らすのですが、ことごとく裏目に出て結局は大回りを強いられ、地道を走る羽目になりました。

まぁ時間は掛かりましたが、お陰で普段なら絶対に行かないであろうオランダの村々を抜けられたので、
その味わいある風景を楽しんでいました。

バスは1時間以上遅れてやっとアントワープ駅に到着しました。

振り返るともの凄く立派な駅が建っています。

後で知った処によると「大聖堂のような駅」と言われているそうです。

外観は石作りの堂々としたバロック様式で、とても駅とは思えない佇まいです。
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中のコンコースに入ると天井が高く吹き抜けになっていて、
正面には入り組んだ大理石の階段が見事です。
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ホームが設置されているホールはアーチ状のガラス天上に覆われ、上下5層に分かれています。
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その一番上、センター、そして最下層の3層に列車が入ってきます。
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その構造の面白さにしばし、あっちへ行ったりこっちへ行ったりとして眺めていました。
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コンコースの裏側にあたるファサードが又立派・・・

バロックやロマネスクの様式が取り混ぜられ、
それにギリシャ風の柱が施された石作りの壁面、その上部には時計が設置されています。

その壁面を囲うように鉄の骨組みで、ちょっとアール。ヌーボー風のガラスの装飾が天井まで繋がって行きます。
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この左奥にはカフェがありますが、これはかつて特別な待合室だったのでしょうか。
淡い黄色地の壁に白で縁取りされた鏡、
中央の大理石の壁には立派な時計がはめ込まれていて、とても優雅な雰囲気を醸しだしています。
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ホームのあるホールへ戻り再び眺めていましたが、フト何処かに似たような建物があったなぁと思いつきました。

この中央が吹き抜けで両サイドが多層になっている構造・・・そうだオルセーです。
そう言えば建てられた年代もホボ一緒ですし、オルセーもパリ万博用に作られた駅でした。
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駅を出て右側には駅にへばり付くように動物園の入り口があります。
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こんな駅脇ですが、ヨーロッパで一番古い動物園だそうで、
入り口に左の建物は恐らく昔は保養施設だったのでしょうか、
立派なホールを持つ建物で、塔の上にはラクダの彫刻が鎮座しています。
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この日は先を急いでいたので入り口周辺をウロウロしただけですが、
花壇など綺麗に手入れされていて今度、時間を作って来ようと誘われました。
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さて、街中へと歩を進めることに、目指す先はルーベンスの家です。

商店街は人でも多く賑わっています。
以前来たときは冬場だったので寂しい印象でしたが、今回は全く違う趣で楽しくなってきました。
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古い建物が多く味わいを出しています。

全くドイツとは違う様式ですし、オランダとも違う・・・
アール・ヌーボー風の建物もあるのにフランスとも違う、まぁこれがベルギー独特のスタイルなのでしょうね。
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当然ながらブリュッセルとはよく似ています。
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レンガ作りのファサードを持つルーベンスの家は立派で裏庭も広く、
さすが人気が高く多くの受注制作をしていたのだなぁと感心していました。
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室内は当時の生活様式などが分かるよう展示されていますが、
なかでも布のプレス具は面白く眺めていました。
こんな16世紀なのにタオルやテーブルクロスをきちんと、
今で言うアイロンがけをしていたのですね。・・・
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疲れたので庭のベンチに座り一休み・・・フト見ると未だ小さいながらブドウがなっています。
喉も渇いていたので一粒もいで頂きましたが、
すっぱいの何の~もう頭の先まで痛くなるほどのすっぱさで、かえって気合が入り直しました。
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さて今回の目的の一つ、聖母大聖堂を目指しました。

まぁここは何といっても、あのフランダースの犬でお馴染みのルーベンスの代表作があります。

聖堂中央、平面図でいうと、ちょうど十字架状の両脇にありますが、
左側が「キリスト昇架」、右側には「キリストの降架」が掛けられています。
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この2作は彼の膨大な作品の中でも一際優れた名作で
この絵にかける並々ならぬ気合が伝わってきます。
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暫くあっちへ行ったりこっちへ行ったりと眺めていましたが、
何組もの日本人の方々が訪れ、未だに「フランダースの犬」の人気を伺わせました。

すっかり疲れ果てたのでホテルに戻り一休み、夕食に備えました。

お目当てのシーフード・レストランは中央駅から2駅ほど南へ下った所でした。

最寄り駅で降りて鉄道の高架に沿って歩いていました。

それにしてもこの石作りの高架は造形が凝っていて風格を漂わせています。
夕暮れが近づいていた事もあって、何だか昔にタイム・スリップをしたような感じでした。
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しばらく歩いていてハッと気付くと、回りを歩いている人たちは皆ユダヤの方々です。
それもちゃんと正装をしているのですが、その正装は半端なものではなく凄く正式なのではと思われます。

時々ウィーンあたりでは正装をしたユダヤ人を見かけるのですが、ここまでの正装はしていません。

特に帽子は直径が30cmほどの円筒形でフサフサとした毛皮で出来ています。
女性や子供たちも正装・・・何か催しでもあるのでしょうか?
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しかし、皆さん歩く方向が区々で、何処かへ集まって行くと言う感じではありません。

いやぁ何だか別世界に迷い込んだような感じで、
踏み込んではいけない世界へ入ってしまったのかなぁと、ちょっと不安になるほどでした。

後から調べた処によると、このアントワープはダイヤモンドが有名で、
この研磨技術はユダヤ人が優秀でこの街に集まってきたそうです。

しかも彼らが多く住んでいる地区らしく、ここは西のエルサレムと言われているそうです。

高架を潜り、ポツンと佇むシーフード・レストランに辿りつきました。
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メニューはフラマン語でしか書かれていないのですが、
書き文字は何となくドイツ語からも推測できます。

ふと隣席のご夫婦をみると大きく美味しそうなカニを食べています。

「それ何ですか?」と尋ねた処、「キング・クラブだよ・・・とても美味しいからお勧め!」
と教えてくれました。

それはタラバ・ガニを焼いたものですが、どう焼いているのでしょうか、
カニだけでなく何かのソースを絡めて焼いていて、とても美味しく頂きました。

食後、一服吸う為に外へでましたが、もう陽もどっぷり暮れ家々の窓には明かりが灯っています。

ボーと眺めていると、いやこの辺にもユダヤの方々が歩いておられました。
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アントワープでの1日が終りましたが、いやはや中身の濃い1日でした。


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# by Atelier-Onuki | 2019-09-19 00:15 | ベルギー | Trackback | Comments(0)

モンセラート


先日はかねてよりの念願だったモンセラートへ行ってきました。

バルセロナへはよく所用があって訪れていたのですが、
仕事に追われなかなか行く機会がなく、ようやく今回実現することができました。

ここは険しい岩山の上に建つ修道院が巡礼地として有名です。

それは800年ほど前に、羊飼いが洞窟で黒いマリア像を偶然発見したところから始まったとも言われています。

この珍しいマリア像を麓まで運ぼうとしたそうですが、
全く動かなかったので修道院を山の上に建てることになったそうです。

このアリア像が右手に持つ球を触ると願い事が叶うという事で、より人気が高いようです。

昨年亡くなったスペインを代表する大歌手カバリエさんのファーストネームもモンセラートで、
事実、彼女のお父さんが重い病気を患っていて、ここにお参りした後、その病気が治ったことから生れた女の子にモンセラートと命名したそうです。

そんなご利益を願って、スペイン人の女の子には多い名前だそうです。

このモンセラートはモン(山)セラート(ギザギザしたノコギリ)という意味があるそうで
“ノコギリ山”って名前を女の子に?と思うのですが・・・

さて、私が行きたかったのは、ご利益が目的ではなく(ちょっとあったかも知れませんが)、
あのワグナー最後の楽劇「パルジファル」の舞台になったところだ、と聞いていたからです。

ワグナーが実際行ったかどうか、また本当にこの修道院をイメージしたのかは不明ですが、
台本にはそう指定されていますし、一度は自分の目で確かめてみたかったからです。
バルセロナのエスパーニャ広場からローカル線のカタルーニャ鉄道にのって1時間ほど、
モコモコと垂直に盛り上がったモンセラートが忽然と見えてきました。
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まずはロープウェイが発着する“Aeri de Montserrat” に到着、
ロープウェイは人気が高く混み合うので、
もう一駅先のMonistrol de Montserrat”で登山電車に乗り換えました。

この登山電車は殆ど乗客もいないので楽チンです。

可愛い形をした緑の電車は、喘ぎながらゴトゴトとゆっくり走り出しました。
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湾曲した鉄橋に差し掛かると険しい山々が迫ってきます。
眼下に街を見下ろす谷からの眺めは中々の迫力で楽しめました。
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修道院脇の駅に到着し、その迫力ある奇岩やそれにへばり付くように建てられた修道院はもの凄く大きくて立派です。
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まぁそんな景色を楽しんでいる間もなく、急いで修道院の奥へと進んでいきました。

それは、このマリア像が目的の人たちの長い列が殺到し、
お昼に始まる“ミサ”が近づくと途中で止められてしまい、
その日は見ることができないそうです。

そう聞いていたので朝早く到着したのですが、
もう既に大勢の人たちが押し寄せ、長蛇の列ができていました。
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それでもボチボチと進み、教会堂の中央付近まで来ました。
ここからは階段を1列になって上がって行くのですが、
祭壇の上にはバルコニーのような窓が開いていて、チラチラとマリア像が見えています。
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階段を登りきり、いよいよマリア像と対面です。
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前の人たちが球に触れながら神妙に祈っている姿を、
「如何触れてよいのやら?」と、ちょっとした緊張をもって眺めていました。
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いよいよ私の番になり、アクリルのカヴァーから一部だけ出ている球を
「ホゥこれがそうかと!」触れようとした時、
係りのお坊さんが脇から「もう時間がないので、速く・・・」と呟きました。
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ソソクサと触れたのですが、あぁすっかり願い事を言うのを忘れてしまっていました。

気を取り直し、外に出てこの奇妙で雄大な景色を楽しんでいました。

この奇岩たちの塊は殆どが垂直に立っていて、ノコギリのようなギザギザした感じではなく、
表面が柔らかな曲線で覆われ、むしろ粘土や綿でできているような印象です。
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それにしても、こんな切り立った山の上に、こんな壮大な修道院を建てようと思ったものです。
登山するだけでも凄く険しい山なのに、よくこんな大きな石材や建材を上まで上げたものです。

それにどう建設して行ったのか考えるだけで途方にくれそうです。
昔の人たちの執念とも言うべき偉業に、しばし感服していました。
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さて、ここからさらに上に行くケーブルカーに乗って山の上を目指しました。

ここからの眺めも雄大で、先ほどの修道院を眼下に見渡せたり、山の裏側も見ることができます。
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遠くに鄙びた祠が建っているので、誘われながらダラダラと歩いて向かいましたが、
中々の登り道、・・・ ハァハァと休みながら登って行きました。
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この先にはもっと古い時代にあった修道院の跡が岸壁に沿って名残を残しています。
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更に上にも登れるらしいのですが、足腰はもう悲鳴を上げています。

景色も充分楽しんだので下りることにしました。

まぁ、バルセロナから1時間ちょっとで、こんな奇妙な景色の中に迷い込めるので人気が高いのも頷けました。

さぁ、エスパーニャ広場に着いたら、お待ちかね・・・ギンギンに冷えた“Cerveza”!!
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# by Atelier-Onuki | 2019-09-03 23:00 | スペイン | Trackback | Comments(0)

ゴッホ-3 (アルルへ)  [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 8月のコラムより ]

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パリで多くの刺激を受けたゴッホはいよいよ新しい絵画運動のユートピアを夢見てアルルへと旅立ちます。

そもそも何故アルルを選んだのか分からなかったのですが、
どうも浮世絵に大きな衝撃を受けた彼は、本当は日本へ行きたかったそうです。

唯、当時の人たちにとって日本は遥か彼方の異国でした。

ゴッホは浮世絵には影が描かれていないのに疑問を抱き、
それは太陽が真上から照っているので人物などの影が真下に来る為だと結論付けました。

そう言われて繁々と浮世絵を見直してみると、ゴッホの言う通り確かに影が描かれていません。
まぁ凄い洞察力を持っていたのでしょうね。

彼にとって日本は太陽が燦々と輝く国だと思っていたようです。

そこでパリから行ける範囲ではプロヴァンスも、確かに太陽は燦々と輝いています。

しかし彼がアルルに到着したのは2月で雪が積もっていました。

さぞかし想像していた景色とは違ったと思いますが、そこにも日本的なモチーフを見つけています。
最初に描いた「雪景色」では広重が描いた雪の「沼津」を意識しているようですし、
春に描いた「花咲く桃の木」にははっきりとした浮世絵へのオマージュが見て取れます。
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ゴッホは冬にパリからアルルに来ましたが、私は夏に反対側のマルセイユから向かいました。

途中、丘陵が広がる草原はカラッカラッに乾いて茶褐色に枯れています。
その所々にはゴツゴツとした白っぽい岩が点在していて、まるで秋吉台のようです。

生えている木々はカサカサとした松が多く、「フムフム、この景色を描こうとすると、
確かに短いタッチでゴリゴリと描くしかないなぁ~」とセザンヌの描き方を思い浮かべていました。

列車はアルルへ到着、ヨーロッパに何処にでもあるような田舎の駅です。

ローヌ川に沿って街中を目指しました。

暫くして直ぐに城門の手前のロータリーに出ますが、ここで振り返り、プ
ラタナスの広場越しに家並みを感慨深く眺めていました。

そうここにはゴッホが借りた「黄色い家」が建っていた場所です。

もうこの家は建て替えられましたが右側奥に掛かっている鉄道橋は当時のままで、
彼の描いた風景に思いを馳せていました。
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いよいよ「夜のカフェテラス」を描いたフォーラム広場を目指します。



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# by Atelier-Onuki | 2019-08-20 22:17 | コラム | Trackback | Comments(0)

ゴッホ-2 (パリ) 〔 ドイツ・ニュース・ダイジェスト 7月のコラムより 〕

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1883年2月、33歳のゴッホは何の前ぶれもなく、

パリで画廊の支店長をしていたテオのアパートに突然転がり込んできました。


その後、テオの懸念は的中し、ヴィンセントは絶えず近所の住民とトラブルを起こしてしまいます。


手狭になったこともありモンマルトルの麓にあるルピック通り(RueLepic)の

アパートへ引っ越しますが、何と右隣のアパートにはドガが住んでいました。

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これは偶然なのかテオがわざわざここを選んだのかは分かりませんが、

こんな偉大な画家が同時期、隣り合わせで住んでいたなんて考えるだけでワクワクしてきます。

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33歳・・・図らずも私が初めてウィーンに移り住んだ年齢と同じで、

これから先、何かが約束されている訳でも無く期待と不安が混沌と交じり合った

心境だった事と手に取るように理解が出来ます。


彼がパリに行った頃、印象派の画家たちは皆すでに大家として活躍していましたが、

むしろ過去のスタイルになろうとしていました。


自然や光を感覚的に捉えるのではなく、科学的な分析をもとに描き始めたスーラーや

シニャックたちが台頭し始めていました。


それでも当初ゴッホは印象派の影響を強烈に受け、今までの絵とは見違えるほど明るくなり、

タッチも短いストロークで描く割筆画法を取り入れ、もの凄い勢いで吸収していきます。


この頃描いたモンマルトルの風景も未だ長閑なもので、

畑もあったしムーラン・ド・ラ・ギャレットの風車の周りには建物が殆ど建っていません。


通っていたコルモン画塾ではロートレックたちとも知り合い、

ここでも大いに刺激を受けたようです。


彼らは毎日の様に議論をし、新しい手法の絵画への思いを語り合っていました。


そんな折、ゴッホはクリシー通りのレストランで新進気鋭の画家たちを集めた展覧会を画策します。


並々ならぬ意欲で取り組み、ロートレックを初めベルナール、

そしてカリブから帰国していた当時まだ無名だったゴーギャンとも知り合います。


浮世絵に出会ったのもこの時期でした。


彼が浮世絵から多大なる影響を受けたのは、よく知られていますが、

その思いが何故かプロヴァンスへと向けられて行きます。




# by Atelier-Onuki | 2019-07-25 00:32 | Trackback | Comments(0)

ゴッホ-1 (ヌエネンからアントワープへ) [ ドイツ・ニュース・ダイジェスト 6月のコラムより ]

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父親が牧師をしていたヌエネンにいたゴッホは画家になる思いを父親から渋々許されるようになります。

ここでは、農民や労働者への共感と敬意をもって、彼らの肖像をたくさん描きますが、集大成としての代表作は何といっても「ジャガイモを食べる人たち」でしょう。
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しかし、そのモデルになった娘さんとの良からぬ噂が立ち始めたり、
父親が亡くなったこともあり、ヌエネンには居辛くなってしまいました。

ここで描かれた最後の絵は「開かれた聖書の静物画」と題されています。
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カルビン派と言うキリスト教の中でも厳格な宗派だった父親と自らもその精神を受け継ぎ、
伝道師して働いたことがありますが、彼の極端なまでの言動により皆からそっぽを向かれ挫折をしています。

この絵では、父や聖職者として生きることへの決別を表現しています。

開かれた大きな聖書の脇には、キリスト教の象徴の一つでもある燭台が置かれていますが、
ロウソクの火は消されています。

机の手前にはゾラの小説「生きる喜び」が置かれていますが、
この聖書の教えとは対極の自由に生きる世界観が描かれていて、
画家としての決意を表明しているようです。

もがくフィンセントに対し、すでに経済的援助をしていた弟テオからアントワープのアカデミーへ行く事を勧められます。

ここではアカデミックな技法をみっちり教えられ、初めて見るルーベンスの絵から、
オランダの画家たちよりもずっと明るく力強い絵に感銘を受けています。

あの「フランダースの犬」でも登場する大聖堂にある「祭壇画」も見たのでしょうか・・・
(膨大な大作を残したルーベンスですが、あの2枚の「祭壇画」に関してはえらい気合の入った最高傑作だと思います。)
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しかし、ここでの生活も酷いもので、絵には没頭していたようですがテオからの仕送りは
殆どが画材とモデル代、タバコそしてアブサンにと使われ、冷たいパン以外は殆ど食べていなかったようです。

そんな中、パリに居たテオに宛てて何度も「パリへ行きたい・・・」
旨の手紙を送っていますが、テオは難色を示しています。

そりゃ今やゴッホといえば美術史上燦然と輝く凄い画家に違いありませんが、
もしこんな神経質な変わり者と一緒に暮らすなんて想像をするだけでもゾッとしてしまいます。


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# by Atelier-Onuki | 2019-06-24 23:17 | Trackback | Comments(0)