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私の好きな秋の音楽 9月のコラムより

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「天高く馬肥ゆる秋」はヨーロッパの人にとっても同じ感覚のようです。


先ずはヴィヴァルディの「四季」から「秋」の楽章、ここでは収穫の喜び、

そして農民達の飲めや歌えの宴がくり広げられ、やがて疲れ果てて眠りに落ちる様子が描かれています。

一夜が開け、一転して勇ましい音楽となり冬に備え解禁された狩りへと出かけていきます。

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秋は空気が澄んでいるので、月明かりもハッとするほど綺麗です。


ヨーロッパに来て初めての秋、アーヘンの片田舎に住んでいましたがある夜、窓から差し込んで来た月明かりの眩しさで目を覚ましました。

その青白い光はまるでスポット・ライトのように鋭く、くっきりとラインを作って差し込んでいます。 

こんな感動的なのを見たら、何か創作意欲も湧くなと思いました。


そんな「月」をテーマにした音楽はベートーヴェンのピアノ・ソナタ14番ずばり「月光」があります。

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ドビッシーではピアノ曲集「ベルガマスク」から「月の光」、ベートーヴェンとは趣が違い、柔らかくロマンティックな曲です。

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一方、秋が似合う街としては「プラハ」でしょうか、紅葉も渋い街の雰囲気に合っていますし、

ビールが更に美味くなるのも嬉しい季節です。

曲はドヴォルザークの「チェロ協奏曲」がマッチします。此れを聴く度プラハへの思いを巡らせています。

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さて、秋に相応しい作曲家では、何と言ってもブラームスでしょう。

この人の作品は交響曲を始め協奏曲、それに室内楽に器楽曲、どれを取っても秋に聴くのにピッタリの作曲家です。

もっとも普段は演奏活動などで忙しく、作曲は夏休みの間に集中して行うことが多かったのですが、

このハンブルク出身の作曲家が持ち合わせた本来の性格がこのような雰囲気の音楽を作らせたのでしょう。

「北方ロマン」とも言われる彼の音楽はいぶし銀のような渋い輝きに、

なんともほの暗いロマンティックが分厚い響きから伝わってきます。


ある秋の晴れた日、カルヴェンデル(ドイツとオーストリアの境目にある山)の裏、

チロルの谷あいにある小さな山村で「エンク」という所があり、「楓」の紅葉が綺麗だと聞き出かけました。

ここは別目「アーロン・ボーデン」と言われ、谷あいに無数の「楓」が見事に紅葉しています。

あまりに綺麗だったのでアッチへ行ったり、こっちへ行ったりとまるでワンダーフォーゲルよろしく歩きまわりました。

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グッタリと疲れ広場にあったベンチへ仰向けに寝転がり、おもむろにヘッドホンをとりだしブラームスの3番の交響曲を聴きだしました。

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抜けるような青空をバックに見事な楓が目の前に広がっています。

しばらく気持ちよく聴いていたのですが、あの3楽章でホルンのソロが出てきた辺り、

両ホホに熱いものが伝わるのを感じました。



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# by Atelier-Onuki | 2022-09-19 22:36 | コラム | Trackback | Comments(0)

オランダでのサバ釣り 2

実はこの記事を先月からの続きとしてコラムに掲載する積もりだったのですが、

最後の氷を調達する部分が編集部で引っ掛かり

「倫理上、いかがなものか・・・」との指摘があったため、急遽来月用の原稿と差し替えました。

唯、ブログでは大丈夫かな~との認識でここでは記載することにしました。

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前回では本格的な釣り方をしていたプロに触発されていました。

翌年、折りしも日本へ行く用があったので、よし、この際サバ釣り用の竿と

疑似餌の仕掛けもちゃんとしたものを購入しようと大きな釣具店へ出向きました。


釣竿を繁々と眺めていると店員さんがやってきました。

「どんな魚をお狙いですか?」、「船釣りでサバを・・・」、

「それなら此れなんかどうでしょう。」と本格的な投げ釣り用の竿を勧めてくれました。


「それに仕掛けも・・・」、「サバでしたらこれが良いかも。」とちょっと小ぶりの疑似餌を渡されました。

さすが日本、オランダで買っていたゴツイものではなく繊細な仕上がりです。


サバ釣りだったのですが前回は時折「サワラ」か「太刀魚」を釣り上げている人がいました。

欲の深い私は、「あんなのが釣れたら良いな・・・」と密かに思っていたので、

「サワラ用の仕掛けも欲しいのですが・・・」と尋ねた処、店員さんは「どちらの湾ですか?」と訊かれました。

ちょっと躊躇しながらも「あのぉス・スケベーニンゲン」で・・・

店員さんは思わず三歩ほど後ずさりをされました。


結局は小さなタコに似せた疑似餌を勧めてくれましたが、此れが可愛い形をしていて

いかにも美味しそうにみえます。(まぁその先には鋭い釣り針が付いていますが・・)


さぁこれらを携えていざ出航です。

いやぁこのタコちゃんの仕掛け、良く釣れること釣れること、・・・


時には6匹も同時に掛かる時があって、これは大変、腕がへばるほどの力が要ります。

そんな訳でこの日は大漁、クーラー・ボックスへ入れるべく船会社で氷を購入・・と思い気や、何と売り切れ・・・


如何すべきか考え考えていると「そうだ来る途中、アメリカ系の大きなホテルがあったなぁ。」と思いつきました。

ここなら絶対に各階に製氷機が備わっているはずです。(アメリカ人はウィスキーのロックや水割りをよく飲むので。)


ホテルに到着すると何だか「ジャズ・フェスティバル」が行われていてホテル内は着飾った人たちがシャナリシャナリと歩いています。


それにもめげず大きなゴミ袋を携え3班に分かれたオジサンたちは、小走りで植木から植木を隠れながら各階に散らばっていきました。

製氷機は案の定エレベーター脇にありました。

3階へ行った我が班は、最初はスコップで上品にすくっていましたが、これでは間に合わない。 

「もうボタンを押しっぱなしにしたら・・・」

あら出るは出るは、ノン・ストップ状態です。


充分溜まったので、よしと再びエレベーターに乗り込み降りだしました。

途中、2階でも「ゴロゴロ・・・」1階でも「ゴロゴロ」やってるやってる。・・・

出てきた我々は、もう腰が砕けるほどの大笑いでした。


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# by Atelier-Onuki | 2022-09-19 22:18 | コラム | Trackback | Comments(0)

オランダでのサバ釣り ー1 (8月のコラムより)

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以前、毎年オランダへサバ釣りに行っている人から「一緒に行きませんか。」と誘われました。


場所はデン・ハーグの北にある港町「スヘフェニンゲン」(Scheveningen)から船に乗るそうです。

この町の名前は日本人の間では「スケベーニンゲン」と親しまれていて、私も名前だけは知っていました。


それに船の名前が「エスペローダ号」と言うらしく、その恰好良い名前にいよいよ期待が高まります。


オジサンばかり10人ほどが夜中に集合し、出発した車は朝早く到着しました。

早々に船会社で乗船券を購入し釣竿をレンタル、いざ乗船です・・・

100人ほどは乗れそうな大きな船ですが格好良い名前とはかけ離れたボロボロの古い船でした。

其々がポジションを確保し出航です。


港を出て1時間足らずでしょうか船は減速しいよいよ釣りが始まります。

碇が下ろされ汽笛の合図で一斉に仕掛けを投げ込みました。

もう仕掛けが底へ付く前にググッと重い当りが腕に伝わってきます。

まぁ釣れるは釣れるはで、大忙しです。


当りが落ちてくると船は再びポイントを求めて移動しますが、

その間、後方にある洗い場で素早く魚を処理しなければなりません。

綺麗に洗い流した魚は水分を拭き取り、クーラーボックスへ詰めていきます。

これを何度も繰り返していたのですが、ふとあることに気になりだしました。


それはベスト・ポジションである船の先端付近で簡易椅子にどっしりと座ったオジサンが釣っていて、

竿も我々がレンタルした2mほどの安物ではなく、4・5mはあろうか本格的な竿です。

投げるタイミングも絶妙で合図の汽笛がなる直前に振り下ろすので、真っ先に投げ下ろされた疑似餌なのでサバは直ぐに食いつきます。

一度に数匹ものサバを釣り上げています。


見ていると、それをサポートする別のオジサンがいて、何だか足繁く後方へ運んでいきます。

これを待ち構えていた、又別のオジサンが洗い場でセッセと処理し何と三枚におろしているではありませんか・・・

これは本格派の人たち・・・多分何処かの卸し業者の回し者では・・・

ちゃんと三枚におろしている所をみれば日系の業者に違いありません。


私の悪い癖である闘争心が沸々と沸いてきました。(つづく)


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# by Atelier-Onuki | 2022-08-31 00:29 | コラム | Trackback | Comments(0)

私の好きな夏の音楽 (7月のコラムから)

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夏といえば暑いので音楽なんて聴いてないで山や海へ出かけたくなるものです。

でも「山」や「海」、そして涼を求めて水がテーマの音楽もたくさんあります。


先ずは山がテーマの音楽では、リヒャルト・シュトラウス「アルプス交響曲」が代表的な作品でしょうね。

彼は晩年ガルミッシュ・パルテンキルヘンで過ごしていますので、恐らくツークシュピッツに纏わる登山での1日を描いています。

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もう1つはフランスの作曲家でヴァンサン・ダンディが作曲した「フランスの山人の歌による交響曲」で交響曲としながらもピアノがメインで活躍します。

フランス中部の山岳地帯セヴェンヌ地方の民謡を元に描かれていますが、メジャーではないながら中々良い曲です。

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次に「海」がテーマの音楽では、ずばりドビュッシーの「海」が代表で、波や風の対話を表現しています。

この初版スコアの表紙には彼の要望で北斎の「神奈川沖浪裏」が採用されていますが、

私はこの曲を聴くとモネのエトルタやベル・イルでの海の絵が浮かんできます。

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水をテーマにしたピアノ曲ではリストの「エステ荘の噴水」も爽やかな曲ですし、ラヴェルの「水の戯れ」はお洒落な曲です。

ドビュッシーでは前奏曲集第1巻の1曲目「水の反映」が雰囲気タップリな甘くて切ない素敵な曲です。

尚、前奏曲集第2巻の12曲目、すなわち全24曲の最後は「花火」でこれも夏の風物詩として挙げておきます。

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メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」も挙げておかなければなりません。

シェイクスピアの戯曲の付随音楽として作曲されましたが、夏に相応しい爽やかな音楽で、

その中の「結婚行進曲」は誰でも知っている曲です。

組曲にもなっていますが、歌手と合唱が付いた全曲版が聴き応えがあってお勧めです。

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他にもホルストの「惑星」も夏に聴く定番曲です。

特に最後の「海王星」は女性コーラスが神秘的な雰囲気を醸しだしていて、ちょっと涼しげになれます。

尚、作曲当時は未だ「冥王星」は発見されていませんでした。

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さて、暑さを逆手にとって楽しむにはビゼーの「アルルの女」が打ってつけでしょう。

アルルは夏が似合います。あのムッとするような暑さの中で展開されるロマンチズムは、また別の熱さを思い起こさせてくれます。

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最後に超高声で吹き飛んでみましょう。それはモーツァルトの「魔笛」から1幕目の」夜の女王のアリア」です。

コロラトゥーラといわれるソプラノよりも高い声で歌われますが、

私のお勧めはショルティがウィーン・フィルを振った旧盤で歌っているクリスティーナ・ドイテコムの声で、

まるで清涼飲料水を飲んだような爽やかさです。

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# by Atelier-Onuki | 2022-07-20 01:02 | コラム | Trackback | Comments(0)

ペール・ラシューズ墓地にて

ジヴェルニーから早く帰って来たので、ペール・ラシューズ墓地へ向かう事にしました。

ここにはショパンのお墓があるので一度は行きたかった所でした。

お墓巡りは宝探しのような趣があって、見つけた時には何だか達成感のような感覚があります。

まぁ筋金入りの“墓マイラー”こと梶ポンさんの足元にも及びませんが結構好きです。

メトロの駅もペール・ラシューズと分かり易く、地上に出ると大きく長い壁が目に入りますので、直ぐそれが墓地であることが分かりました。

階段を登るとそこは角っこのようで、正面入り口の方まで歩いて行きました。

それにしてもこの墓地は思っていた以上に大きく、丘に沿っているようで登りながらの参拝となり大変です。

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地図を頼りに、正面入り口に近い“ロッシーニ”からです。

メイン通路に面した彼のお墓はすぐに見付かりました。

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人気の作曲家だったので、若いうちから贅沢な生活ができ40歳ほどで作曲家を引退し、何と料理研究家としてパリで遊んでいました。

パリで亡くなっていますのでここにお墓がありますが、遺体は後にフィレンツェのサンタ・クローチェ教会内に移されています。


さて、次に目指すは“ショパン”です。中央のチャペルを目指して歩きましたが中々の勾配で段々とキツクなってきました。

右に曲がると細い通路に面して建っていました。

さすが人気作曲家だけあって沢山の花が飾られていました。

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彼も心臓はワルシャワに安置されているそうです。

ワルシャワ生まれですが、両親ともフランス人で彼もフランス風の感覚を持っていました。

なるほど昔からコルトーを初めフランス人のピアニストで、ショパンを得意にしている人が多い訳です。

尤もペルルミュテールのようにポーランド人ながら唯一ラヴェルの弟子で、長年パリで活躍したピアニストもいましたね。

この近くにはプーランクやケルビーニなどもいますが、あまり時間もないので次をめざしました。


大きなロータリーに出て一休みです。

中央には大きな台座に乗ったギリシャ風の服を纏った巨大な立像が立っています。

誰なのだろうと、名前を読むと“ペリエ“と書かれていますが、まさかあの炭酸水の”ペリエ”とは関係がないのでしょうね。

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さあここから更に勾配が厳しくなった道を上りコローさんを目指しました。

この辺の地区は入り組んでいて、お墓がぐちゃぐちゃ入り乱れています。

どこがどの区なのか分からなくなって、グイグイ奥の方へ掻き分けるように入っていくと、ちょっとした空間の木陰にでました。

そこにはトルコ系の顔をしたお爺さんとフランス人のオバサンそれに日本人らしき男性という

何とも不思議な組み合わせの3人がバラバラと座り込んで話しています。

お爺さんが「“コロー”か?」と尋ねてきました。

「そうだけど!」と答えると後を指差しています。

振り返ると、ありました“コロー”さんです。

肖像写真で見たソックリの胸像が鎮座しています。

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「ここはコロー・ファミリーが入っているのだよ!」と追加説明が・・・

お爺さんは、傍に生えていた紫の花を一輪もいで「ホイ!」と渡してくれました。

これを恐る恐るお墓の上に、お供えしました。

それにしてもあの穏やかかで小振りの絵からは想像できない立派なお墓で、ちょっとイメージとは違いました。

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「他に誰を探しておるのじゃ?」・・・「ドーミエだけど」、「じゃぁ連れていってあげる。」と

3人は各々腰をあげ墓の間を下りはじめました。

歩き出して直ぐ、ほんの3つほどお墓を抜けると「これじゃよ!」とお爺さんが示したのは全く目立たない四角い石のお墓です。

上に刻まれている文字も朽ちていて、読めそうにありません。

こりゃお爺さんに教えてもらわなかったら永遠に見付からなかったでしょうね。

お爺さんは上に置かれている鉢植えの葉っぱをグシャグシャといじりながら

「ワシャ元々庭師で、今はボランティアでお墓のガイドをやっとるんじゃよ!」と、どうりで詳しい訳だ・・・

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「次は誰じゃ?」・・・「エエッまだ付いて来てくれるの?」

「はいドーデーですが・・・」、お爺さんはゆっくりと歩きだしましたが、迷いはありません。

2m以上もあろうか大きなお墓の間をすり抜け、「ここじゃよ!」、角っこに彼の肖像が現れました。

これも案内されなかったら見付けるのが困難なお墓でした。

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もうこの辺からフランス語になり日本人男性が朴訥な日本語で説明してくれました。

途中、これはフランス啓蒙主義を唱えた誰それじゃ、とかヴィクトル・ユーゴの息子、それにナポレオンの息子の“乳母”など説明が尽きません。

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「それを見てご覧!」と指差されたお墓の上には、沢山のジャガイモが乗っています。

「この人はアンデス原産のジャガイモを今日のように改良したのだよ・・・

もっとも彼は18世紀のことで、ドイツではすでに16世紀には改良されていたのだよ!」と得意げに説明していました。

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その内、“モリエール”のお墓が鉄柵の上に現れました。

ラ・フォンテーヌのお墓と一対をなすように隣り合わせです。

「彼のお墓には遺体が入っているかどうか不明なんだよ!」、

「この当時、喜劇役者たちは共同の墓地に一緒に葬られることを望んでいたからね!」と、ほぅここでも詳しい。

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「次は誰じゃ?」、「はい、ボーマルシェです。」、もうこの辺から余りの詳しさに畏敬の念すら覚えるようになりました。

“ボーマルシェ”モリエールと同時代の喜劇作家で、我々オペラに携わった人間には

“セヴィリアの理髪師”や“フィガロの結婚”でお馴染みです。

処で、この区画は時代別とジャンル別に分けられているそうです。

「これがボーマルシェだよ!」、エエッ先ほどのモリエールのような感じをイメージしていたのですが、余りにも立派で逆に見落としてしまいそうです。

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なんでも彼は国王に仕えた重鎮だそうで、特にアメリカ独立戦争の時は、彼らを見方にに付けたいと、

当時敵対して恐怖を抱いていたイギリスに対し、発覚しないように

偽装工作をしながら武器、弾薬をアメリカに送っていたそうで、彼がその総指揮官だったそうです。

さて、この辺りで「閉門時間が迫ってきたので、我々はこの辺で!」と丁寧な挨拶に、私も丁重にお礼を言って別れました。


唯、もう一人だけ行きたかったのでチャペルの先まで大急ぎで歩きました。

それは“ビゼー“さんです。

ここでも大きなお墓の谷間ですが、こじんまりと良い感じで佇んでいました。

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さて、今回は半分ほどしか周ることが出来ず、ドラクロワやモディリアーニなどに挨拶ができないままなので、また近々生きたいなと思っています。

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あの3人は幻だったのでしょうか・・・否、あの辺に住み付いているタヌキとキツネとイタチの化身かも知れませんね。

また、次回コローさんのお墓に行けば会えるかな・・・



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# by Atelier-Onuki | 2022-07-16 00:05 | フランス | Trackback | Comments(0)