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初めての舞台監督は (1月のコラムより)

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それはまだ学生時代のある日突然やって来ました。

それまでは一小道具係りとして何公演かお手伝いさせてもらっていたのですが、

ある日、鬼瓦の様な強面のマネージャーがやって来て「君、音楽が少し分かるのだってねぇ?」と問われました。


「は、はい。」と曖昧な返事をしたのですが、「じゃぁ今回、舞台監督をやってくれないか?」・・・

「エエッ!」と突然の出来事にうろたえるばかりでした。


それでもドンと「Lucia di Lammermoor」と書かれたリコルディ社の分厚いボーカル・スコアを渡された時は興奮を隠せませんでした。

あのヴェルディやプッチーニが契約していた楽譜の名門出版社なので、ちょっと嬉しい気持ちにもなりました。

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さぁ大変な事に・・・毎日猛勉強が始まりました。

それまで観た事もない演目だったので、筋書きは勿論、音楽も暗記できるほど、数週間、毎日聴いていました。


いよいよ演出家がやって来て、立ち稽古が始まりました。


この時はジュリオ・ボセッティさんといって、昔NHKで放送された

イタリア国営放送制作の「ダヴィンチの生涯」で司会進行をされていた方でした。

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伺った処によると、あの番組で登場した絵画は「モナリザ」以外すべて本物を使ったそうです。


稽古はもの凄い勢いで進められて行きました。日本では稽古の時間が、たった2週間ほどと短く、

とても焦っておられ、朝10時から夕方6時まで、一切休憩なしで行われました。


いよいよ本番が迫って来たころ、衣裳もローマから到着しましたが、

何と半分の木箱が間違ってブリュッセルに行ったそうです。しかも届いたのは脇役用の衣装。


急遽、東京中の衣裳やさんでかき集めましたが大したものはありません。

脇役用といっても宝石など散りばめた衣裳は、ズッシリと重く、もの凄く立派でほぼ本物です。

急遽これを主役に回しなんとか初日に間に合わせました。(2日目には届いたのですが)。


舞台監督の仕事はいわば進行係りで、出演者が揃っているかのチェックから

大道具、小道具が間違いなくセットされているか確認して、いよいよ開演されます。


開閉するカーテンの速度や開き方などは演出家と打ち合わせ、劇場技術者に指示をだしていきます。

照明もインターカムで客席後方の照明室に合図をだします。


合図はQと呼ばれ、歌手の出入りなども含めて楽譜にQの何番と書き込みをいれますが、

この時のQは120番ほど書き込みました。いやぁ冷や汗ものの公演でしたが無事終えることができました。


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追記 : コラムでは字数制限があるので書き足りない部分もありますので、

以下にちょっと書き足しておきます。


この公演ではライモンド役(僧侶)に当時ケルンの歌劇場で主席ソロ歌手を

されていた大橋国一さんがゲスト出演されました。

稽古場はちょうど教室位の大きさだったのですが、これ位の部屋で彼が歌うと窓ガラス全体がビリビリと共鳴していました。


合唱も彼の歌の後直ぐに続かなければならないのですが、毎回1瞬出が遅れてしまいます。

何度も指揮者の駄目だしが入るのですが、コーラスのリーダー役が

「ツイツイ聴き惚れてしまって・・・」と弁解していました。

イヤイヤ本当に凄い声量の素晴らしい歌唱でした。


稽古場では舞台装置は付かないのでテーブルや床にテープを貼って階段や手摺などの位置を示しますが

(場ミリ)、彼は必ず「この手摺は寄かかれますか?」とか本番をイメージして演技されていました。


それに毎日のように傘や鞄などの何か忘れ物があるのですが、それはいつも大橋さんの物でした。

元ジャイアンツの長嶋さんもそうだったらしいですが、それだけ役柄に集中されていたのでしょうね。

人間的にも暖かくとても良い方でした。 43歳という早世が返す返す悔やまれます。


さて、本番での出来事として、1幕3場から4場へは暗転といってカーテンは開けたまま

暗い状態で城の中庭から泉のある庭へと舞台転換します。

舞台装置の転換が整うと指揮台にある緑のランプが灯り演奏が始まります。

ハープのソロが入り主題が転換する所からゆっくりと月明かりが入ってくる事になっています。

照明技師に指示を出すべく楽譜と睨めっこしていましたが、アレェ~、楽譜から音が完全に消えてしまいました。

「エェッ・・・どうなっているのだろう。」

頭の中は真っ白で呆然としていましたが、暫くしてやっと楽譜通りに戻ってきました。

ああ~やれやれホットしてQを出しました。

後からオケに確認した処、この本番初日からヨゼフ・モリナーリというハーピストがゲスト出演し、

彼としてはサーヴィスの積もりでカデンツァ(即興)を延々と演奏したそうです。

「先に言ってよヨゼフ・・・」


まぁ私も初めてという事もありバタバタ、ヒヤヒヤの公演でしたが何とか格好は付いたようでした。




# by Atelier-Onuki | 2021-01-25 22:05 | コラム | Trackback | Comments(0)

サイモン・ラトル氏ミュンヘンへ来る

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今日ボーッとBR(バイエルン放送)のサイトを見ていたら”サー、ミュンヘンへ来る”と題して

ラトルさんがBR(バイエルン放送交響楽団)の音楽監督に就任したニュースが載っていました。

一昨年末にヤンソンスさんが急遽され音楽監督が空席になっていましたが、何とラトルさんに決まりました。

13日に調印したそうですが、音楽界にとっては一大ニュースです。

ミュンヘン市は財政が豊かなのでこのオーケストラを初め、ミュンヘン・フィルや国立歌劇場も

歴代大物の指揮者を招聘してきましたが、今回は特に驚きました。

就任は2023年からだそうですが、現在のロンドン交響楽団は23年に辞任する予定で、このBRに専念することが予測されます。

おそらくイギリスがEUから離脱したことも影響しているかも知れません。

今やムーティと共に最も優れた指揮者ですからミュンヘンの音楽ファンが羨ましいです。

BRは物凄く優秀なオーケストラですが、世界の放送オーケストラに共通するように色が余りありません。

ベルリン・フィルに就任したときの様に暫く時間が掛かるかも知れませんが、ラトルさんがどの様な

色付けをしていくのか、今からとても楽しみです。

あぁ又ミュンヘンに住みたいなぁ・・・


追記 : な・なんと彼はドイツ国籍を取得したそうです。

      まぁイギリスにいるよりも動きやすいですし、その本気度が伝わってきます。




# by Atelier-Onuki | 2021-01-12 05:01 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

サンタ・チェチーリアのこと (12月のコラムより)

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イタリアのオーケストラといえば、歌劇場のオーケストラを直ぐにイメージしますが、

演奏会をメインにしたいわゆるシンフォニー・オーケストラは殆ど存在しません。


近年「それではイカン」と幾つか創設されましたが、世界的に認識されるには未々時間が掛かりそうです。

そんな中、唯一、長年活躍しているがローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団です。


その母体はサンタ・チェチーリア国立音楽院で創設は1584年と世界で一番歴史のある音楽院で、オーケストラも1908年創設ですから長い歴史を誇っています。

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かつては妙なことにオペラのレコード録音で、その名を知られるようになりましたが、

その「サンタ・チェチーリア」という何とも可愛い名前で親しみを感じたものでした。


イタリアの演奏家はソリストとしての腕前は世界でも最高のレベルなのですが、

オーケストラというアンサンブルが重要視される部分では若干の纏まりにかけるところもありました。


近年は実力のある指揮者を音楽監督として迎えるようになりましたが、

特に2005年から就任したアントニオ・パッパーノとは余程相性が良いのかメキメキとその実力が増して来ました。

元々上手いオーケストラでしたが、更に輝きを増しバイタリティに溢れた聴き応え満載の演奏をくり広げています。

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パッパーノも近年の指揮者では珍しく「ここでドーンと爆発してくれないかなぁ」と望んでいる聴衆を裏切ることなく、気持ちが良いほど鳴らしてくれます。

唯、彼はイタリア人の両親ですが、イギリスで生まれ、育っていますので、

その辺はちゃんと節度も備わっていて、決して単に大きな音を出している訳ではないので説得力があります。

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さて、この「サンタ・チェチーリア」という名前は起源180年ころに殉教した16歳の少女チェチーリアに因んでいます。

彼女は斬首刑にあったのですが、3度も刃が通らず3日間も生き延びたそうです。


その後、1599年教会を建立する際カタコンベから遺体を移設されたのですが、

全く腐敗していなく生々しい姿だったそうで、早々にステファノ・マデルノという彫刻家によって再現されました。

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現在はサンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会の遺体が安置されている上に展示されていますが、やや小さい印象を受け少女であったことが伺えます。

この彫刻家はもの凄い技量だったようで生々しく繊細な表現です。

大理石にも関わらず少し垂れた手からは温もりすら感じるほどでした。

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彼女は生前竪琴を奏でたり音楽に親しんでいたことから、この音楽院の名前に冠されました。



# by Atelier-Onuki | 2020-12-24 00:41 | コラム | Trackback | Comments(0)

急遽の演目変更は「トスカ」が (11月のコラムから)

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ドイツやオーストリアの歌劇場では年間300日ほど毎日公演があるので、出演者が急に病気になった場合に備え、何人かの予備要員を抑えています。

それでも間に合わない場合は、出演できる人員によって演目を変更するのですが、大抵の場合は「トスカ」に決まることが多いようです。

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名作オペラですから大抵の歌劇場はレパートリーの一つとして舞台装置や衣裳など

直ぐに出せる状態で保管されていますし、歌手も主要な3人が揃えば何とかなるからです。


歌手の人たちも、よく上演される演目なので違う歌劇場も含め出演した経験があるはずで、リハーサルにもそれほど時間を取るが必要ないからです。


私が経験したのはウィーンの歌劇場でしたが、ある公演を観に行ったらポスターの地色がピンクになっていて、これは演目が変更になった事を報せています。

普段は薄い緑掛かったグレー地に文字だけで書かれた昔ながらのスタイルで、プレミア公演の時は黄色地になります。


それでもさすがウィーン・・・トスカ役になんとカティーヤ・リチャレッリが出演しました。

急遽シチリアから駆けつけたのか、それともウィーンの近くに滞在していたのかは分かりませんが、

カラヤンも「トスカ」の録音に際し彼女を主役に起用しているほどです。

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そんな真っ先に変更する演目に選ばれる「トスカ」ですが、割りとイージーに取り扱うと事故も起こり易い演目でもあります。


今までの例では2幕目にトスカに殺害されたスカルピアが仰向けに倒れますが、この後、弔いをする積もりで頭の両サイドに蝋燭の付いた蜀台を置きます。

これは台本にも指定されているのでどんな演出でも行われます。

それにヨーロッパの劇場は生火の使用が許可されています。

ある時、舞台と客席との間に空間の相違のため風が流れることがありますが、なんとスカルピアのカツラに火が付いてしまった事があったそうです。

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マリア・カラスとよく共演したティト・ゴッビは彼女の迫真の演技にこのシーンで毎回本当に殺されるのではと感じ怖かったそうです。

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それと3幕目での銃殺シーンでは、56人の兵士が一斉に銃を発砲するのですが、

音楽が高揚して来るので、彼らはもの凄く緊張するそうです。

しかも、演じているのは音楽をあまり知らない演劇学校の学生さんレベルです。

大抵はコーラスのリーダー・クラスが隊長役として、剣を振り下ろすなりの合図を決めているのですが、時折フライングをしてしまう人がいます。

そうなると大変で全員がつられて一斉放射・・・

打たれたはずのカヴァラドッシはうろたえながらも5秒遅れくらいでバッタリと倒れることになります。

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# by Atelier-Onuki | 2020-11-25 00:15 | コラム | Trackback | Comments(0)

プッチーニ作曲「トスカ」の舞台

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オペラをつくるとき、小説や戯曲を題材にすることや、作曲家と台本作者が共同で物語をつくり上げるケースもあります。


歴史上の伝説や言い伝えなどを参考にすることも多いので、物語の舞台は架空の場所か、

何となくどの地方や街をイメージしているのかが分かる程度です


その点、ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)が作曲したオペラ「トスカ」では、

3幕それぞれでローマに実在する場所を舞台として指定しています。


「トスカ」の原作は、フランス人のサルドゥが書いた戯曲。

画家カヴァラドッシと、その恋人で歌手のトスカの悲劇を描いた作品で、

サルドゥは実在した時代も場所もばらばらの人たちを組み合わせて物語に仕立てています。


プッチーニ自身も「トスカ」の演劇に魅せられ、彼が信頼する2の台本作者と共にオペラをつくり上げたのです。

 

ちなみに、この時期のオペラのスタイルは「ヴェリズモ・オペラ」(現実オペラ)といいます。

登場人物は歴史上の偉人や王侯貴族ではなく、より身近な庶民が主役で、

現実に起こり得るような事件が題材にされています。

そのため市民に親近感を持たれ、言うなれば、週刊誌のようなゴシップ的な内容で人気があったようです。

 

さて、「トスカ」第1幕の舞台であるサンタ・アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会は、

2幕のファルネーゼ宮殿(現在はフランス大使館)からお互い見える距離にあります。

原作では別の教会が舞台となっていましたが、オペラでは物語の進行と実際の街がリンクするように、

教会と宮殿の位置関係をより現実的なものに置き換えています

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さらに第3幕に登場するサンタンジェロ城も教会と宮殿から近く、

テヴェレ川を挟んで500メートルくらいの所に立っていて、登場人物たちの動きとつじつまが合っています。

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これらの場所を実際に訪れて驚くのは、舞台装置とそっくりなこと。

これだけ明確に場所が指定されているので、オペラのステージデザイナーも当然、

実物から影響を受けているのでしょうね。

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実際のサンタンジェロ城の回廊に出ると、看守がいる控え室をはじめ、トスカの恋人カヴァラドッシが銃殺される壁、

兵士たちが階下から上がってくる階段、そして最後にトスカが飛び降りる城壁の階段が見られます。

本物のお城と舞台装置が驚くほど似ているので、どちらがオリジナルなのか分からなくなってしまうほどです。



# by Atelier-Onuki | 2020-10-19 23:24 | コラム | Trackback | Comments(0)