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アヌシー湖のセザンヌ

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サラサラと音を立てて霙が降る中このタロアーという村に向かったのは、もう何年前だったでしょうか。

この頃テレコムと云う4年に一度開催される大きなショーがジュネーヴでありまして、この準備のために出かけると2ヶ月程の長期の滞在になってしまっておりました。
会期が終わる頃には、もう身も心もボロボロに疲れ果ててしまっています。
そんな中、ジュネーヴからもそう遠くないこのアヌシーという街には、一抹の清涼剤のごとく癒しを与えてくれる存在として時々訪れていました。
静かで山々に囲まれた湖は近年の努力によってヨーロッパ随一の水質を取り戻しました。
それに加えフランス側ですので、ジュネーヴとは比較にならない程、食事が美味しくなります。

このタロアーはアヌシーの対岸に位置する静かで鄙びた村ですが、セザンヌが静養のため一時期滞在していたという事を聞いたので訪れてみました。
そこには彼が宿泊していた修道院を改装したホテルが現存しています。
聞くところによると今では何でもかのジャン・レノもすっかりここがお気に入りのようで、撮影が終わった後は必ずここで静養をするそうです。

セザンヌ自身はと云うと「多少の自然はあるが、若い女性旅行者のアルバムで見る風景と教えられてきたようなところ」と云っているように、それ程は気に入らなかった模様、エクスでの題材ほどのインスピレーションは受けなかったようで早くエクスに戻りたいとも漏らしていたそうです。

実際に絵葉書のような美しさなのですが、この「絵葉書のような」が問題で、
多くの画家がこのような風景や名所旧跡のモチーフをむしろ避けてきました。
アルルにおけるゴッホが一枚も闘牛場を描いていないように・・・
特にセザンヌは晩年になるに従い、興味を抱くモチーフが身近にある石切り場になったりで、木と岩だけの絵とか何の変哲もない対象から、とんでもない素敵な絵に仕上げています。
最後の方は印象派の生命みたいな光と影までも無視し始めて、単純に色と形の構成という域にまで達しています。
これはもう次にやってくる抽象画の先駆けではないでしょうか。
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風景画家にとって題材を見つけるのは一苦労で、中々理想的な風景には出会いません。
あちこちと歩き回っても全く興味が湧かなかったりする事もありますし、逆にパッ~とこれだと直感する時もあるのですが。(さすがフランスでは良くあります。)
モネのように描きたい理想的な対象を自宅の庭に作ってしまったのは例外中の例外で、大抵の画家は苦労をしていると思います。
実際に画家が描いた所に立ってその風景を見ても、普通の風景だったりする事がしばしば・・・ゴッホが描いた麦畑など全然うねってなどいなくて、とても平和で長閑な何処にでもありそうな田園が続いているだけです。
それをあんなに力強くうねって、情感がグワッ~と迫ってくる名画に仕上げるなんて、
これはもう画家の技量とセンスによるものでしかありません。
(尤も麦畑が光を浴びて黄金色に輝き、風がグワッ~っと揺り動かす瞬間もあるのですが)

さて、人気のない庭に出てセザンヌが描いていたと思われる場所に立ってみました。
中央のお城は絵に描かれているよりも遠くに感じられます。
背景の山には無数の木々が生えていますが、そこを彼は色の組み合わせと線だけで描いています。この実際の風景を簡素化しながらも、それらしく描くと云う行為がポイントでこれが中々難しくここも画家の技量が問われる処だと思います。
画面左側にドスンと描かれた幹は多分この木かなぁと思われるものがちゃんと健在しています。

それにしても人影がありません。シーズン・オフとは云え人の温もりを感じるのは
時々動いているホテルの従業員くらいです。
霧が立ち込めて山々をかき消しているようです。

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# by Atelier-Onuki | 2012-11-05 22:43 | フランス | Trackback | Comments(0)

もう冬景色

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まだ10月だと云うのに昨夜から結構な雪が降りました。
木々は紅葉の真っ最中なのに枝に積もった雪の光景はちょっとシュールです。
もう冬景色_a0280569_035897.jpg
暫くこの景色を楽しみたい処ですが、そんなことより今日ちゃんと飛行機が飛ぶかどうか心配しなければなりません。
と云うのもこれからロンドンへ行かなければならないからです。

それにしても早すぎです。
かれこれ30年ほどドイツにいますがこんなに早い時期に降るのは初めての経験です。
年々冬が暖かくなって来ているのは感じていましたが、逆に突然こんな時期に冷え込むとは、・・・
どうも世界中で天候は確実に狂っているようで心配です。
と云っても自分ではどうする事もできないし天に任せる他ありませんから、あまりヤキモキしないで今日も何時も通りの生活を送る事になります。

では、元気を出してイザ出発です。

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# by Atelier-Onuki | 2012-10-29 00:35 | ミュンヘン | Trackback | Comments(0)

バイエルン放送交響楽団 演奏会 2012年10月19日

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夏場は外でボーっと過ごす事が多いのですが、秋になって来るとオペラやコンサートの新シーズンも始まり俄かに忙しくなってきます。
昔と違って今はインターネットで各地のスケジュールが簡単に見られるので、さて来シーズンはどんな演奏会があるのかとワクワクしながら見ています。

ここミュンヘンにも幾つかオーケストラがありますが、やはりメジャーはバイエルン放送交響楽団(長ったらしいのでBRと略して読んでいます)とミュンヘン・フィルでしょうか。

BRは放送局に属し日本で云うとN響と云った処でしょうか、一方のミュンヘン・フィルは市に属しています。ミュンヘンは一般的にもお金持ちの人が多く住んでいるらしく、放送局も市も予算があるようで、歴代世界的なスターが常任の指揮者に就任して来ました。

現在はBRの常任指揮者はヤンソンス、客演指揮者の中にはムーティやラトルらの名が連ねられています。
ミュンヘン・フィルもマゼールと云う大物指揮者を常任に迎えました。80歳での就任でした。
客演指揮者ではメータを始めプレートルやゲルギエフなど豪華な顔ぶれ。
それにしてもこのオーケストラは余程ベルリンに対する対抗意識が強いのか、かつてのチェルビダッケにしろ今のマゼールにしても、ベルリン・フィルに振られた人達を音楽監督に迎えています。

演奏会場に関しては、BRがレジデンス内のヘラクレス・ザールとガスタイクにあるフィルハーモニーの二箇所を主に使用し、大抵はヘラクレス・ザールでの公演です。
一方のミュンヘン・フィルはもっぱらフィルハーモニーでの演奏会で、オーケストラ事務所もここに置いている程です。
この建物は30年近く前に建てられたもので、小ホールや図書館を始め各種の文化機関が入っていて、総合文化センターのようになっています。
その一つのフィルハーモニーは客席数もそこそこ多く、ミュンヘン・フィル以外にも多くの演奏会が連日開催されています。
すり鉢状に広がっている客席は壁や天井に天然木がふんだんに使われていて、これは相当予算を掛けただろうなと推測されます。
唯、残念なのは、入って直ぐに目につくのは客席後方から中央に堂々と突き出しているテクニカル・ルーム。どうしてこんなに大きなスペースをセンターに設計したのかは分かりませんが、見るからに音が別れてしまいそうです。実際に、出ている音は若干拡散されて響きが減少しやすい感じがしますが、皆が云う程は悪くありません。それでもどうしてもこの出っ張りは気になります。

その点ヘラクレス・ザールの方は素直でまとまりのある響きがします。
建物の形はウィーンのムジーク・フェラインと同じく、音楽ホールとしてはタブーとされているシューズ・ボックス型ですが、なぜか良い音がします。
それには色んな要素があるらしいですが、ウィーンの場合は吊り天井と金箔の彫刻と内装が影響しているそうです。ここはウィーンのように煌びやかな雰囲気はなく質実剛健、両サイドの壁面には立派な段通(今はプリントされた物)が何枚も掛けられています。フローリングの床に、客席もそれほど大きくはなく、これらのことも良い音がする要因かも知れません。

それにしても音は魔物、どんなに周到な準備をして設計しても大したことがない場合もあるし、
しかし建てて見なければ分からい、そして建設後2~3年経たないとその真価が分からないときています。一般的には、平行な面ができてしまい響かないと云われるシューズ・ボックス型ですが、他にもアムステルダムのコンセルトヘボウは周知の通り、ルツェルンのホール始めエッセンやブッパータールもこの形ですが、とても素晴らしい響きがします。そう云えば仙台のホールも良いらしいですね。

そこで先日はBRの演奏会へ行って来ました。
ヤンソンスの指揮で一曲目はシュッチェドリンとか云う作曲家のよう分からない曲でしたが、終演後は作曲家自ら挨拶に現れました。私は現代曲が殆ど分からないのですが、時々こうして世界初演とかに立ち会う機会があります。考えてみればベートーヴェンだって、あの当時にしてみればとんでもない現代曲で人々を困惑させていたのでしょうから、ひょっとしてこの日の演奏会に立ち会うのも歴史の証人になるかも知れない…と思いながら丁重に聴くようにしています。

次も余り馴染みのないショスタコーヴィチの「ピアノとトランペットと弦楽オーケストラの為の協奏曲」と云う曲でしたが、これはさすがショスタコ、色んな作曲家からの引用も見え隠れして、とても楽しく聴くことができました。

休憩後はベートーヴェンの「エロイカ」シンフォニー、オーケストラは比較的に小編成で、配置も古典的な列びでしたが、演奏自体は昨今はやりのピリオド奏法ではなく、かつての正統派の路線で、素直な解釈(意外とこれが難しい)。安心して身を依だねながら聴く事ができました。

このオーケストラは、放送局オーケストラによく見られる通り、技術力が高く機能的で素直、余り色が付いていません。なかでもこのBRはレヴェルが高くどんな曲でも上手くこなしています。

この5月、4と5番のシンフォニーからベートーヴェン・チクルスが始まりました。
11月末からは日本の各地でもこのチクルスの公演を予定しているようです。

中々まとめてベートーヴェンを聴く機会も意外とありませんので、行かれる人は楽しみですね。

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# by Atelier-Onuki | 2012-10-28 16:08 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

シスレーの洪水

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以前、シスレーが描いた洪水の街へと向かっている夢を時々見た事がありました。
夢の舞台はどうも中部フランス辺りで、何故か汽車に乗って大きな川に掛けられた鉄橋を渡っています。
なぜ中部フランスなのかは分かりませんが、こう同じ夢をよく見ると云うのは、よほど印象に残っているのだなぁ~と思い返していました。

それはオルセーでも何度か見た事があったのですが、それよりもズ~っと昔、
未だ私が小学生のころルーブル美術館展と云うのが東京と京都にやって来ました。
それは大きな展覧会だったそうで、母親に連れられて京都まで見にいきました。
大阪の淀屋橋から特別仕立ての「ルーブル号」に乗って三条まで、岡崎にある市立美術館にはもう幾重にもなった列が出来ていました。
その賑わいは、テレビや新聞でも大きな話題として取り上げられていました。

押すな押すなの人混みの中、入って直ぐ目に入ってきたのはクールベの「水辺で戦う鹿」という大きな絵でした。それにミレーの「春」、これも印象に残っています。
(これらの絵は、未だオルセーが無かった時代、ルーブルに展示されていました。)
それに比べこのシスレーの「洪水」の絵はさほど大きくもなく、むしろ穏やかでおとなしい絵でした。何故この絵が夢に出てくる程に印象に残ったのかは、分かりませんが、多分なんの変哲もない風景の中に、その洪水と云う現象が何か日常的ではない不思議な光景として、何処かにインプットされたのでしょう。

これは一度訪れなければと真剣に考えるようになり、インターネットで調べてみましたら、あった、あった・・・それはパリの北、セーヌに沿った所でそれ程遠くはありません。しかもこの描かれた家もまだ現存しているようです。(中部フランスではありませんでした。)

パリの外れラ・デファンスから乗り合いバスが出ているようで、サン・ジェルマン・アン・レーへ行く途中にこの町があるらしい。唯、バスの路線図にはこの町の名前が出ていないのですが、まぁ近そうな所でエィと降りれば良いやと思い、バスに乗り込みました。
取りあえず、行きは終点のサン・ジェルマン・アン・レーまで行って様子を伺う事にしました。
この街には大きなお城があって、シスレーはここも描いているので、行く価値は充分ありそうです。
そのお城は案外バス停の近くにあって直ぐに見付かりました。
それにしても広大な敷地で、街の名前と同じく、サン・ジェルマン・アン・レー城と云うそうです。
お城に沿って庭園の端までテクテク歩いて行きました。
そこはちょっと高台になっていて、丘陵の葡萄畑越しにパリが遠く見えています。
そのちょっと左側へ目を移すと、これこれ・・・シスレーが描いた石橋のある風景がそのままに残っています。一方右側には赤い壁の素敵な館が建っています。
これは後から知ったのですが、アンリ四世の館と云って、なんとルイ十四世はここで生れたそうです。

街の方へ戻って(と云ってもそれ程大きな街ではありませんが)、北フランス風のちょっと渋めな落ち着いた街を歩いてみました。
インフォがあったので、地図でも貰おうかと立ち寄ると、ドアの上のプレートにはツーリスト・インフォメーションと書かれた更に上に、ドーンとドビュッシーが生れた家と書いてあります。
エッ知らなかった・・・インフォの人に訊いてみるとその通りで、今は記念館になっているそうです。運悪く月曜日だったので休館日・・・それでも中へ入れてくれました。
狭い中庭には木製の階段がへばり付くように付いています。
彼が生れたと思われる三階あたりからは、中庭越しに家々の屋根が見えます。
上を見上げると小さく切り取られた空に雲が流れていました。
あの夜想曲に出てくる雲はこんな風景だったのかしら・・・と思いを馳せましたが、
実際には二歳までしか住んでいないそうです。
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さていよいよお目当ての洪水の町へ、ポール・マルリーと云う名の町らしい。
この辺りかと思われるバス停でエィと下車、・・・ 通りを渡って川の方へ
トコトコ歩いていると左の角に見覚えのある建物が、・・・
おっ~これだこれだ、ありました夢にまで見た光景が・・・
彼が描いた場所にはコピーの絵が入ったプレートまで立っています。

もう感無量・・・無言で暫く眺めました。
レストランだった所がタバコ屋になっている位で殆ど絵そのままです。
勿論今は洪水の状態ではありませんが・・・
気が付けば、嬉しさのあまり思わずこの建物をさすっていました。
冷静に考えると奇妙な東洋人を演じていましたね。
その建物の前は小さな公園になっていて、それを抜けると直ぐにセーヌ川にぶつかりました。岸辺まで水が迫っていて、こりゃ簡単に洪水になる訳だ。・・・

唯 残念な事に、この後は、この洪水の町を訪れる夢を見なくなってしまいました。


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# by Atelier-Onuki | 2012-10-27 01:54 | フランス | Trackback | Comments(0)

ミラノ・スカラ座の初来日は

ミラノのスカラ座が初めて来日したのは確か81年の事だったでしょうか。

それまでイタリアオペラと云えば、NHKが召集した通称「イタリア歌劇団」により
戦後間もない頃から伝説の公演がなされてきました。
オーケストラやコーラスは日本の団体で構成されていましたが、演出と歌手に関してはデル・モナコやテバルディ初め豪華キャストが出演した日本だけの特別な公演でした。

実際のイタリアの歌劇場が引越し公演の形で、これ程、大規模でやって来るのは初めての事でした。
演出や装置も噂によると凄いらしいし、指揮者はアバドとクライバーが二演目づつ、
歌手陣もフレーニを初めドミンゴ、ギャウロフなど豪華布陣・・・
オペラファンの間では大きな話題になっていました。
これは行かねばと、前売り初日にはボーナスをすっかり叩き込んで四演目の全てを押さえました。
未だ半年以上も先なのに、もう9月の公演が待ち遠しくてワクワクしていました。

ところが・・・予想も付かなかった大きな仕事が運悪く?この時期に入ってしまい、
それも毎晩遅い時間まで掛かってしまう羽目になってしまいました。
残念ながら、泣く泣く全てのチケットを手放してしまいました。

それでも突然一日だけ早く終われた時があって、そうだ今日はNHKホールで
クライバーの「オテロ」があるはずと思い出し、何の宛てもないまま駆けつけました。
案の定チケットなどあるわけがありません。
係りの人に頼んで何とか頭だけと云う事で、会場のドア越しに耳をあて付け中の様子を伺っていました。
ワッ~と歓声とともに異常に大きな拍手が沸き起こりました・・・カルロスの登場です。
一瞬の静寂があったと思ったら、ジァーン~(下手な表現で失礼)とオテロ冒頭の
嵐のシーンが異常な緊迫感と共に振り下ろされました。
もう向こうは大変なことが起こっているのだなぁとドア越しながらもヒシヒシと伝わって来ました。 「あのぉ~そろそろ」と係りの人に促されて、後ろ髪を引かれながらも、渋々そこから立ち退きました。

それから一月くらい経った頃でしょうか、一通の優待状が届きました。
どうも家内がオテロを観た日にアンケートに答えて、この優待状が当たったようです。
それはオペラ鑑賞のツアーでスカラをメインにパリやウィーン、フィレンツェでオペラを観て回ると云うもので、オマケにヴェニスやローマまで含まれた欲張りツアーでした。

内容の割にはお値段も手ごろだったので、オテロ以来すっかりオペラに興味を持ち始めた家内に「行くか?」と訊くと二つ返事。・・・あまり分かってはいないけど、熱烈なオペラ・ファンを自称している母親も誘わなければ、・・・(でも母は例のイタリア歌劇団の公演を第一回から何度も実際に観ており、この点に関しては嫉妬をしています)。それに何故か家内の妹まで行く!! と云いだす始末で、四人で参加する事になりました。

記念すべき初めてのヨーロッパは、パリにて第一歩を下ろす事から始まりました。
ここではシャルル・ガルニエで、何故かドイツ物の「ローエングリン」を観ました。
長いオペラにも関わらず夜8時の開演、2回の休憩も長くて、結局終わったのは夜中の1時をとっくに過ぎていたのには驚きました。
オペラは社交の場だと聞いていましたが、休憩時間の長さから納得できました。

憧れのウィーンでは「椿姫」を観たあと、昔からの知り合い達と再会して楽しい一時を過ごしました。

そしていよいよお目当てのスカラではプレミエの初日です。
演目は「アンナ・ボレナ」、何でも25年前の再演だそうで、その時はヴィスコンティの演出、カラスやシミオナートなどの出演で、その素晴らしさは凄かったらしく、今でも伝説として語り継がれているそうです。
今回も演出、装置はそのままに、カバリエ初め豪華キャストで前評判も上々でした。
劇場の中はもう何だか期待感で溢れそうな雰囲気で何時もと違うって感じが伝わって来ました。そしてシミオナートが臨席され聴衆に品格漂う挨拶をされた時には大きな拍手と共に、その興奮は最高潮に達しました。

緊張感が漂う一瞬の静寂があって、いよいよ開演かと思われた時、ステージ上に一人の紳士が現れ何か話しだしました。
何を云っているのかは分かりませんが、カバリエに代わってファルコムと云う所だけ理解できました。 場内はザワザワしだしブーイングや罵声が飛び交いだしました。
指揮者が出てきて演奏を始めようとしましたが、大騒ぎになりとうとう振り出すチャンスもなく退場して行きました。

暫くして今度は何とシミオナートがステージ上に現れ、なんとか上演できるように懇願しているようです。
処が、これが火に油を注いだようで、騒ぎはもっと膨らみ、もうヤレ、ヤルナで殴り合いの喧嘩まであちこちで勃発しています。
とうとう収拾が付かなくなった場内には「本日の公演は中止」のアナウンスが空しく響いていました。

翌朝の新聞各紙はどれもこの事件を一面で取り上げていました。
現地ガイドさんの説明によると、今回の発端は稽古中にカバリエが何故かカラスの
亡霊に怯えだし、とうとうそのプレッシャーから突然降板してしまったそうなのです。
劇場側は控えのファルコムで凌ごうとしたのですが、口うるさい天井桟敷の人達が騒ぎだしました。彼らはその頃、天井桟敷の席数を減らしたり、段々と厳しい条件を突きつけてきた支配人に対し不満が溜まっていたのでしょう。そこで今回の事件。なぜ支配人自らでなくシミオナートに陳謝させたのだと、彼らの怒りは頂点に達してしまったのでした。
その騒いだ人達にとっても、チケットを手に入れるのは容易ではなかったはずです。
にも拘らず公演を中止に追い込むほどの入れ込みようでした。
以前、スカラの桟敷席の聴衆はオペラ通が多く真剣に観に来ていると、何処かで読んだ事がありましたが、これがそう云う事なのかと納得致しました。

ツアーの主催者側は気を遣って、この日、急遽ピッコロ・スカラを手配してくれました。
その後には晩餐会も企画したとの事、会場に入ると結構な人が集まっています。
我々とは別のグループも何組か来ていて、おそらく、同じ憂き目にあったのでしょう。

食事も終わろうとしていた頃、壇上に主催者の人が立って挨拶をされました。
あれこれと陳謝のあと、お詫びの印として今夜は素敵なゲストをお呼びしていますと。
そして登場してきたのはパァと人目を引くほどの大柄で見るからに上品な女性・・・
なんとテ、テバルディではないですか。・・・ 
あの伝説の大歌手・・・一瞬目を疑いました。
それはそれは物腰も柔らかく、仕草の其々に気品が漂っていました。
皆との記念写真にもにこやかに受け答えされ、一緒に写真に収まって頂けました。
これは参加者にとって今回一番のサプライズになったと思います。

この旅の最後はフィレンツェで「ウェルテル」を観ました。
プレートルの指揮でクラウスやテラーニらが出演し素晴らしい公演でした。
特に二幕目、教会前のシーンは並木道の土手が右奥から斜めに舞台を貫通する
ようにセッティングされています。その中央あたりにトンネルがあってそこから教会が
見えるようになっていました。その紅葉した並木の大きくて綺麗だった事・・・
その内容とあいまって未だに印象深く心に残っています。



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# by Atelier-Onuki | 2012-10-23 05:27 | オペラ | Trackback | Comments(0)