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ピアニスト、サンソン・フランソワさんのこと (11月のコラムより)

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フランソワさんとの出会いは唐突とやって来ました。

それは私が未だ高校生の時、幼馴染のお父さんが何処かで貰ったらしく「2人で行って来たら?」とチケットをくれました。


その頃はやっとクラシック音楽に興味を持ちだしたころで、フランソワの事など全く知りませんでしたし、

聴いていた音楽もオーケストラ物が殆どで、ピアノ演奏の事など無知に等しい状況でした。

ですから、演目が何だったかは全く覚えていません。

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唯、ミーハーだったので、終演後、楽屋へサインを貰いに行きました。

当日のプログラム(淡いエメラルド・グリーンのフエルト地で、これはよく覚えています)を差し出し表紙の裏にサインをしてもらいました。

しかも手を差し伸べ握手までしてくれまいた。差し出された手は私と変わらない位の大きさで「ピアニストにしては小さいな!」と感じました。

ところが握った瞬間ウォと驚くほど分厚く、まるで丸太のようで、この握った感覚は今でも脳裏に刻まれています。


その後、年齢を重ねて行く中で、段々とピアノ演奏へも興味が沸き、ちょっとづつ演奏の違いや良し悪しも分かりだしました。

ある時、ラジオから偶然流れていたショパンの3番のソナタが、テンポも自由に揺れ動くし、今まで聴いたことがないような、怪しげで独特の雰囲気を醸し出していました。

「これは面白い演奏だな!」と調べた処、フランソワである事が分かりました。

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俄然、興味が湧きショパンを初め、ドビュッシーやラヴェルの演奏を片っ端から聴きだしました。

どれも自由な解釈でテンポは揺れ動き、ゾクッとするような寂びが利いていたりで、すっかり虜になってしまいました。

唯、技術的に難しいところでは、時折ハラハラする演奏でもあります。

ショパンではマズルカとかラヴェルでは「夜のガスパール」の3曲目「スカルボ」など、「こうりゃ指が回っていないなぁ~」と思うほど苦労がみてとれます。

きっとフランソワさんも分かっていて「コンりゃろー!」とばかりヤケクソ気味に指を打ち込んでいるかのようです。

ちょっと哀愁を帯びた独特の崩れた雰囲気は、まるで辛い人生を送ってきた酔っぱらいの演奏の様にも感じられます。

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そう事実、彼は物凄いヘビー・スモーカーで酒は浴びるように飲み、完全なアル中だったそうです。

それでもこの得難い独特の芸術性は、誰にも真似することが出来ない世界観でした。


10年ほど掛けて進行しされていたドビュッシーの全集録音の最中に、前奏曲の最後の1曲を残して、

突然心臓発作で46歳という若さで亡くなっていまいました。


私が聴けたのはたった1回切り、もう少し音楽が分かってから聴きたかったものです。




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# by Atelier-Onuki | 2021-11-23 01:22 | コラム | Trackback | Comments(0)

エディッタ・グルベローヴァさん逝去によせて

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先日の1018日、グルベローヴァさんがチューリッヒでお亡くなりになりました。

まぁ引退はされていましたが、まだ74歳という若さでした。

彼女の名前は日本にいた70年代の頃から、ウィーンでのデビューを伝え聞いていました。

それは「魔笛」の“夜の女王”役だったそうですが、衝撃的な素晴らしさだったそうです。

その後、続けて「ルチア」での名唱で確固たる名声を獲得しました。


彼女の素晴らしさは、先ず完璧な技巧で、あのコロラトゥーラと云う高域の難しい歌を軽々と歌ったことです

それに声が綺麗・・・というか透明感のある、むしろ可愛い声でした。


私が初めて彼女を聴いたのは、やはりウィーンで83年、恒例の大晦日公演「こうもり」でした。

彼女はアデーレという女中の役でしたが、最初の登場シーンは2からハタキを掛けながら階段を駆け下りてきました。

まぁ未だ若かったので歌いながら転がるように駆け下りてきたのですが、

それよりも驚いたのはその歌が更に転がるように完璧に軽く歌われ、まるで羽根が空中をクルクル回っているようでした。


彼女は稀にみる最高のコロラトゥーラ歌手ということもあって、コロラトゥーラが主役の作品が多いドニゼッティの作品上演に力を注ぎました。


ドニゼッティの時代には、優秀なコロラトゥーラ歌手が沢山いて、超絶技巧の作品が人気をはくし、このような作品が多く作曲されました。

唯、近年はそれほど凄いコロラトゥーラ歌手が少なく、多くのドニゼッティ作品も埋もれていました。

それを一つ一つ発掘し、「ルクレシア・ボルジア」とか「ロベルト・デヴリュー」や「シャモニーのリンダ」など埋もれていた作品に光をあてて行きました。

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丁度、私がミュンヘンに住んでいた頃は、これらの作品に出演されていて、何度か聴く機会に恵まれました。

彼女が出演する場合は基本的に、ご主人のハイダーさんが指揮をすることになっていました。

これはかつてサザーラントさんがご主人のボニングさんとしか共演しなかったのと同じですね。


まぁコロラトゥーラという特殊な声域で、まず50年に一人いるかいないかの実力者ですから、ファンも特別に熱狂的な人たちもいました。

私の知り合いでも追っかけの人がいて、ヨーロッパ中、彼女が出演する公演に出かけ、毎回、何がしらのプレゼントを持参して楽屋を訪れていたそうです。

あまりのシツコさに、とうとう「もう楽屋に来ないで下さい!」と云われたそうで、それをちょっと自慢げに話しておられました。


また、バルセロナで「アンナ・ボレナ」を観たのですが、終演後のカーテンコールでは、

桟敷席から「エディッタ・・・エディッタ・・・!」と大声で声を嗄らして延々と叫んでいる異常なほどのオジサンがいました。


数年前にエッセンでリサイタルがあったので出かけたのですが、この時はキャンセルされ別の歌手で聴きました。

残念ながら、これが彼女の歌唱を聴ける最後の機会でしたが。・・

まぁ50年前後は出ないであろう希代の名歌手の、ご冥福をお祈りいたします。


# by Atelier-Onuki | 2021-10-23 04:03 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

指揮者アンドレ・クリュイタンスさんのこと (10月のコラムより)

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アンドレ・クリュイタンスさん、一度は聴いてみたかった指揮者でした。

しかし彼が来日したのは1回だけで1964年ですから私はまだ中学生、知る由もありません。

この演奏会を聴いた大学時代の音楽の先生によると、「ダフニスとクロエ」の夜明けのシーン、

フルートのソロがピーラリラ~と入って来る所で文化会館の天井が裂け光が差し込んで来たように見えたそうです。

(この伝説の演奏会はライヴ録音がCDになっています。)

私が初めてクリュイタンスの存在を知ったのは高校生の時でした。

それはベートーヴェンの交響曲全集が欲しくなり、あれこれと迷ったのですが、

結局彼の全集がお手ごろな価格で、アルバム・ジャケットの良さも手伝って購入しました。

初めて聴いた印象は、今までのドイツ系の指揮者による演奏とは違って、

まぁ何とも明るく伸びやかでエレガントな演奏でした。

後で知ったのですが、これは彼がベルリン・フィルに客演した後、

オーケストラ側から要望され録音が実現したそうですが、これはベルリン・フィル初の全曲録音でした。

その後、発売されたラヴェルの「管弦楽全集」やビゼーの「アルルの女」など、

まぁ何とも香り豊かな演奏ですっかり虜になってしまいました。

私の知る限り、これらは未だこれ以上の演奏が出現していないかも知れません。

例えば「ボレロ」では途中でチェレスタにピッコロが絡んでくる所があって、ここはあえて不協和音で作曲されています。

大抵の演奏では不協和音として聞こえるのですが、彼の演奏では、ハッと「綺麗なぁ」と思うほど絶妙にハモッテいます。

「アルルの女」に到っては、これを聴く度にあのアルル周辺の情景が浮かびあがり、

あの生暖かいミストラルにフヮ~と包まれるようです。

フランス音楽は優雅でホワッとしたイメージがありますが、

金管など時折揺れ動いて拳を利かせるシーンもありますし、ゾクッとするような怪しげな寂も隠れています。

ラヴェルの「左手の為のピアノ協奏曲」や「古風なメヌエット」における中間辺りで聴こえる

まるで金属をバシャと潰したような金管楽器の寂の入れようは、背筋がゾクッとして興奮すら覚えます。

そんなクリュイタンスの演奏を生で聴いてみたいと思いは積もりましたが、1967年62歳という若さで急逝してしまいました。

彼の没後、音楽監督をしていたパリ音楽院管弦楽団が解体されました。

その後世界中から優秀な奏者を集めたパリ管弦楽団として発足しますが、

あの懐かしいフランス独自の響きは失われてしまいました。

あの何とも野趣で怪しげなバソン(フランス独自のファゴット)の響きをまた聴きたいな・・・


# by Atelier-Onuki | 2021-10-19 23:47 | コラム | Trackback | Comments(0)

トリーアを訪ねて

先週末は例のDB(ドイツ国鉄)のローカル鉄道乗り放題のキャンペーン最後の期限だったのでトリーアへ行ってみました。

ここへは一度行ってみたいと思っていたのですが、そこそこ遠いので今までその機会がありませんでした。

デュッセルドルフから2時間ほどコブレンツで乗り換え、いよいよモーゼル川に沿って上って行きます。

コブレンツを出て直ぐに左にモーゼル、右側斜面にはブドウ畑が連なっています。

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モーゼルは川幅もそれほど広くはなく、流れも穏やか、緑も多く眺めていて気持ちが落ち着きます。

南側の斜面は所狭しとブドウが植えられ、急な斜面にも石垣が積まれよくもこんなに狭い所まで植えたものだと感心します。

それにしても収穫するには急すぎる所もあり大変だろうなと想像していました。

列車はモーゼルを右に左にと縫うように進み、中々の景勝路線です。

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1時間半ほどでトリーアに到着しました。

駅前の大通りをガシガシ進むと、見えてきました・・・この街のシンボル・・・ポルタ・ニグラです。

2世紀ごろにローマ人によって建てられた「黒い城門」です。

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そう、この街は紀元前1世紀ころにローマ人が築いたドイツ最古の街です。

ポルタ・ニグラをバックに歩行者天国の商店街が長く続いていて、大勢の人たちで賑わっています。

道幅が広いにも関わらず人々とのすれ違いはぶつからないよう神経を使います。

まぁ良くあることですが、こちらの人たちは感が悪く、前を見ないでボーッと歩いている人も多いです。

「こんな人たちが東京のラッシュに紛れたら如何するのだろう?」とついつい思ってしまいます。

そうこうしている内にマルクト広場へ出ました。

木組みの家やらカラフルな建物などに囲まれ広くて綺麗な広場です

土曜日だったので沢山の露天市が出ていますが、さすがワインやブドウを売っている店も多く、ブドウなど美味しそうで旅の途中でなければ迷わず買っていた処です。

建物の雰囲気は何処なのでしょう・・・アルザス風ありフランス風あり、オランダやベルギーの雰囲気ではありません。

まぁトリーア風としておきましょう。

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さて、街中のホテルで荷を解き、近くの大聖堂を訪ねました。

まぁ大きな教会で幾つものスタイルの違う時代に建て増しされているようですが、1700年以上の歴史があるそうです。

それに一般的なドイツの教会とは違い全くイタリア風で、アレッひょっとしてここはイタリアかと錯覚するほどです。

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聖堂内も大きくて立派、パイプ・オルガンなど見上げるほど大きく、煌びやかな装飾が施されています。

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中央付近から中庭に出られそうだったので、行ってみました。

アラベスク風の天井を持つ回廊が四隅を囲っています。

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中庭も広く綺麗に植え込みが整備されていますが、これは完全にイタリアでみかける中庭のスタイルです。

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聖堂内に戻り中央奥の祭壇へ登ってみました。

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更に奥に通ずる所には立派な彫刻が施されたアーチ状の装飾で仕切られています。

鉄格子越しに色からして翡翠でしょうか大きな棺のようなものが祀られています。

何でもこの棺のような箱にはキリストが40日間断食をした時に着ていた衣服が納められているそうです。

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再び商店街へと戻り、ちょっと小腹が空いてきたので、軽くカレー・ヴルストを頂きました。

何気に食べ出したのですが、これが美味しい・・・

ソーセージもさることながらカレー味のソースが美味しい・・・今まで食べた事がない風味ある味付けで、コリャこの街は美味しいものがあるのだろうと期待させました。

ポルタ・ニグラまで戻り、ここから出ている観光用のチンチン電車に乗り込みました。

他にもローマ時代の遺跡として大浴場跡や闘技場があるのですが、地図で見るとちょっと郊外なのでこれで巡ることにしました。

何れも外からしか見られませんでしたが、中々大きな建造物でした。


長旅の後、タップリと観光を楽しんだので、ちょっとお疲れ・・・

ホテルでシャワーを浴び一休憩・・・夕食に備えました。


目星を付けておいた「ベトナム料理屋」へ向かいましたが、ポルタ・ニグラの脇は通行止め・・・何かプロジェクター・マッピングのイベントがあるらしく入場のコントロールをしています。

グルッと遠回りをしてやっと到着しましたが、満席とのこと・・・

今度は逆のルートでポルタ・ニグラへ後戻り、日中に目をつけていた「中華レストラン」を目指しました。

ここにはテラス席もあって座ることができました。


中華といっても、ちょっと創作料理もあり、すしも結構一押しで提供しています。

まずはおビール・・・この街も“Bit Burger”がメインです。

そういえばBit Burg 行きの乗り合いバスを見かけたのできっと近いのでしょう。

さて、料理は点心の盛り合わせと海老天ロール・・・

料理が出てくる頃にはとっぷりと日が暮れていました。

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# by Atelier-Onuki | 2021-09-30 00:50 | ドイツ | Trackback | Comments(0)

久しぶりのモンシャウ

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先週からの2週間、また“Deutschland-Aboupgrade”と銘打ったDB(ドイツ国鉄)の豪気なキャンペーンが始まりました。

これは各地方の公共交通機関の定期を年間契約している人を対象に、申請をすれば何とドイツ全土(一部を除く)のローカル列車が乗り放題というものです。

まぁローカル列車ですから、余り遠い所へは時間も体力も必要ですが、そこそこの所なら行く気になります。


そこで取り合えずは久しぶりにアーヘンを経由してモンシャウへ行ってみることにしました。

ここは昔アーヘンに住んでいた時、会社の同僚から真っ先に勧められた所でした。

アーヘンからアイフェル山脈の長閑な丘陵地帯をバスに揺られ1時間ちょっとで到着です。


バスを降り街中へとダラダラ歩きましたが、そこそこの人たちが訪れています。

数年前に行った折は、ちょっと寂れた感じもしたのですが、いえいえ活気が戻ってきたようで何だか嬉しくなりました。

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アチコチに点在する木組みの家々を楽しみながら、ここで一番有名な建物“Rotes Haus”の横から川へと抜け、橋を渡ってマルクト広場がある中心へ向かいました。

レストランやカフェそして土産物屋さんなどにも人々が訪れていて賑わっています。

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広場の先にある橋からはズラッと木組みの家々が連なっていて、さしずめ“いで湯の里”よろしくの雰囲気です。

まぁアーヘンは温泉で有名ですからここにも温泉が出ても不思議ではありません。

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グルッと1周しお昼にしました。

ちょっと中心から離れた小さなレストランに入店、先ずはおビールです。

さすが近場に醸造所がある“Bitburger”で、そう云えばこの辺の店は殆どこの銘柄を出しています。

グビィと引っかけた辺りで注文していた“マスタード・ソース添えのステーキ”が出てきました。

この町はマスタードも有名だそうです。

ちょっと表面がカリッと焼かれたステーキは香ばしく美味しく頂きました。


お腹も満たされたので、砦の廃墟がある丘の上へ登っていきました。

この途中にはパノラマ・テラスがあって、町を一望できます。

屋根という屋根はシーファーと云われるスレートの石で葺かれていますので、全ての建物がグレーで統一されていて綺麗です。

ここへ初めて来た時は、何だかヘンゼルとグレーテルの気分を味わいました。

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再び町へと下りましたが途中の石垣に生える蔦はもう紅葉が始まっていて、この辺はさすが寒いのだなと感じられます。

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さて目指すはマルクト広場に面したカフェで“アッフェルシュトゥルーデル“いわゆるアップル・パイを頂きます。

これも先の同僚から教えてもらったのですが、「ここのアップル・パイは暖かくて、

これにバニラ・アイスを付けてもらうと美味しいよ!」というのでモンシャウへ来る度に頂いています。

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テラス席はほぼ満席の状態ですが、2階の店内に入ると2組しか座ってなくてガラガラです。

私はこの2階席が大好きで古い調度品が品良く揃っている店内は、

ノストラジックな気分になれるし、窓からの眺めも素敵です。

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ホッコリと気分も暖かくなってきたので、ボチボチとアーヘンを目指しバス停へと向かいました。


今回はちょっとした観光地として活気を取り戻しているし、また来ても良いかなと云う気になりました。


# by Atelier-Onuki | 2021-09-25 00:28 | ドイツ | Trackback | Comments(0)