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モネの風景画 (11月のコラムから)

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一般的に風景画は360度広がる景色の中から一部を抜き取って題材を決めます。

その時、最適な構図と色使いで作画されるのですが、更に目には見えていないものを入れ込むのが肝となります。

それは風であったり香りや温度感、そして音も感じさせることが重要です。

更に切り取った風景の周りに存在する空気感を、その絵の中にフワッと持ち込むことが出来れば,より一層その場の雰囲気を表現する事ができます。


それが尤もよく表現されているのがモネの絵ではないでしょうか。

彼の絵を見ていると、これらの要素が相まって、まるでその風景の前に立っているかのような感覚に導かれます。

ムッとするような草むらから立ち上がる温度感や、その香りまでも・・・

木立の向こうに流れていく暖かい空気、まるで吸い込まれて行きそうになります。


そんな、モネが描いた風景に出会うためアチコチと訪れたいものです。

まずは青年時代を過ごし、あの「印象派」の語源となった「印象・日の出」が描かれたル・アーブルの海岸を訪れました。

まぁル・アーブルの街自体は殺風景な港町ですが、まるで宝探しをするように、絵の構図を思い浮かべながらこの辺かな、

いやそっちの方かなと歩き回りました。

港の形や左手遠くに見える工場地帯の位置から、まぁ大体この辺かなと云う場所までたどり着きました。

この時はタイトルにある「日の出」の時ではなく夕暮れ時でしたが、

空や海は淡いパープル色に染まり、遠くを行く船はボヤ~とブルーグレーに霞んでいて、雰囲気はあの絵のような感覚を味わう事ができました。


さて、ここから東へ1時間ほどバスに揺られ次の目的地エトルタに向かいました。

そう、ここは大きく抉られた印象的な断崖が海に突き出しているところです。

古くはクールベも描いていますし、モネも何枚も描いています。

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朝起きて反対側の丘から見えた時は「オォこれか!」と体が震えるほどの感動をしました。

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この教会が建つ丘からの眺めも抜群ですが、この奇岩がある丘自体にも上る事ができます。

こちらは草むらを進む自然な感じが残っていて途中細い断崖の間を抜けたりと、ちゅっとしたスリルも味わえます。

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ここではモネは、やはりル・アーブルに住んで居でエトルタをよく描いていた先輩画家のウジェーヌ・ブータンから多くの事を学びます。

そしていよいよパリへと向かうことになります。

この頃はパリ郊外のフォンテーヌブローの森や展覧会を開催した大通りやサンジェルマンなど市内を描いています。



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# by Atelier-Onuki | 2023-11-19 01:37 | コラム | Trackback | Comments(0)

モネと印象派 (10月のコラムから)

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ある時、キリコが「最も印象派らしい画家はだれですか?」とピサロに尋ねたところ

「そりゃシスレーだよ!」と答えたそうです。


シスレー、その穏やかな画風のイギリス人画家は私も尊敬する大好きな画家です。

勿論、印象派らしく移ろい行く光のなかの情景を見事に捉えています。


唯、最も印象派らしい画家といえば、私はモネではないかなと思います。

尤も、この“印象派”という表現を生んだのもモネの絵からです。

それは展覧会に出品した初期の作品「印象・日の出」(Impression,soleillevant

を見た風刺新聞の記者が皮肉たっぷりにこの展覧会の名称としてネガティヴに取り上げたことに由来しています。

「何たるボーッとした表現、これを印象(Impression)と言うのか・・・」

この皮肉タップリな表現を、すっかり気に入った彼ら仲の良かった画家グループが、自分達の流派として受け入れてしまいます。

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この当時のフランス画壇はアングルを中心とするアカデミーが主流で、これにはサロンで入賞しなければ入る事ができませんでした。

そんな伝統的な写実表現ではなく、もっと自然の光に近い明るい絵画を模索していた彼らの描き方は、なるべく絵の具をパレット上で混ぜず、

キャンバス上でもストロークの短い割筆画方というやり方で、今で言うドットのような考え方でした。

これだと中々写実的には描く事が出来ず、サロンでは受け入れられず落選を余儀なくされる状態でした。


アカデミーには入れずモンマルトル墓地の近くにあったグレールの画塾に通っていましたが、偶然にももの凄い画家たちが集っていました。

年齢が上だったマネ(彼自身は印象派とは違う路線へと進みますが)を中心に、

カリブ海のセント・トーマス島からやってきたお父さんがフランス人のピサロ、彼も年齢が上で面倒見の良い人柄で慕われていました。

そこに親が銀行家のドガ、そして両親がパリで商店を営んでいたイギリス人のシスレー、

そして青年時代北フランスのル・アーブルにいたモネがやってきます。

さらにモネの1つ下のルノワールも加わり錚々たる人たちが集まりました。

グレールも伝統的な描法を押し付けず、彼らに自由に描かせていました。

彼らは画塾に近いカフェ・ゲルボアに集まっては、これからの芸術論に花をさかせていました。


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彼らは他に類を見ないほど仲の良いグループでした。

そしてドガ以外はサロンに縁がなかった彼らはいよいよ自分達で主催する印象派の由来となる第一回目の展覧会を

オペラ座前に横切る大通りにあるナダールの写真館で開催されます。

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# by Atelier-Onuki | 2023-10-27 00:19 | コラム | Trackback | Comments(0)

ロダン美術館 (9月のコラムから)

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パリにはルーブルを筆頭にオルセーなど世界に冠たる美術館が数多存在しますが、ロダン美術館もその一つです。

中心からちょっと離れているので落ち着きのある地区で、すぐ傍にはナポレオンのお墓がある黄金のドーム屋根のアンヴァリッドが建っています。


元々はビロンと云う貴族が住んでいましたが、革命後は女子修道会が引き継ぎ、教育活動をしていましたが、

政府によって宗教による教育が禁じられました。


その後、ここは若い芸術家たちに安く貸し出され、コクトーやマチスらも住んでいました。

その内の一人で詩人のリルケがロダンを招きましたが、すっかりここが気に入ったロダンも一部屋を借り毎日のように通って制作に励みました。


その後、国が買い取る際、全員が立ち退く事となったのですが、ロダンは是非とも自分の作品を紹介する美術館として、

全作品を寄贈することを条件に住み続けることが出来ました。

展示作品は彫刻が6600点、絵画とデッサンが約7000点とほぼ彼の全作品を所有しています。

それにここは館だけでなく庭が広いし、素晴らしく手入れされています。

彼の彫刻作品は屋外に展示されるのを想定して作られていますから、この庭に展開する作品郡は自然と庭に溶け込んでいます。


元来、粘土で元の像を制作し、そこから型をとってブロンズに鋳造するのですが、原則として12点目まではオリジナル作品として認められています。

鋳造の数が進むにつれ、オリジナルの原型が徐々に崩れて行きますが、さすがここの作品は殆どが1点目の物です。


ここではロダン主要作品が堪能できますし、彫刻だけでなく素描などササッと走り描きながらも、彫刻家ならではの描き方で、

もの凄く上手いなぁと感心します。


ロダン以外の作品では、彼の弟子で悲しい悲恋のすえ世を去ったカミーユ・クローデルの作品も館内に展示されています。

特に「分別盛り」(TheMuMature Age)はロダンとの悲しい関係を表現した作品で、胸が打たれます。

それにしても、もの凄い才能の持ち主だった事が伺われます。


もう一つは、何とゴッホの作品で「タンギー爺さん」です。

この人はモンマルトルで画材屋を営んでいましたが、売れない画家たちを援助し、作品を置く代わりに画材を無償で提供していました。

ゴッホもその一人で彼の肖像を3枚も描いています。

これはその内の一枚で最も有名な作品、この絵をすっかり気に入っていたロダンは

タンギーが亡くなったあと、娘さんから購入しています。



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# by Atelier-Onuki | 2023-09-20 00:42 | コラム | Trackback | Comments(0)

アルハンブラ (8月のコラムから)

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私の高校時代の親友でその頃からギターを始め、今も熱心に練習を欠かさない人がいます。 

アンサンブルにも属していてアマチュアながらコンクールで優勝するほどの腕前です。

そんな彼が好んで演奏する曲にフランシスコ・タレガの名曲「アルハンブラの思い出」があります。

彼曰く終始全曲のベースを支えているトレモロは噴水のこぼれ落ちる水滴を表しているそうです。

多分これは「ヘレラリフェ」といわれる離宮にある噴水のことでしょう。

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大きなパティオの中央にある水槽に向かって左右から幾重にも噴水が噴出してアーチを作っています。

この離宮は特に水が豊富に演出されていて潤いに満たされています。

階段の手摺までも水路があって水が流れているほどです。

これらは近くの3000m級の山々が連なるシェラネバダから雪解け水を引いてきているそうです。

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さて、この「アルハンブラ宮殿」(赤い城という意味だそうです。)は

当時イスラム教圏の民族によって支配されていたアンダルシア地方のグラナダの丘に建てられました。

9世紀ころに砦が建てられてから何世紀にも渡って増築されて行き、要塞都市として発展して行きます。

城内には宮殿を初め官庁や軍隊、モスクや学校もあって2000人以上の貴族が住んでいたそうです。

唯、カトリック教圏の国土回復運動(レコンキスタ)によって15世紀に陥落してしまいます。

普通は陥落すると城などは破壊されてしまうのですが、この時の女王イザベラが、この宮殿の余りもの美しさに、そのまま保存することに決めます。

そのお陰で今日もその美しさを観賞することが出来るのですが、そのアラビア風の独特の装飾は繊細で圧倒的な美しさを放っています。

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この宮殿からダロ川が流れる谷を挟んで対岸の丘に広がるアルバイシンの白い町並みも見ものです。

敵からの襲撃に備え迷路のように入り組んだ小道に複雑な町並みを形勢しています。

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ここから更に稜線に沿って進むとサクロモンテと言う地域、ここはロマの人たちの洞窟住居が点在して妖しげな雰囲気をかもし出しています。

今はちょっと観光化されましたが、40年ほど前に行ったときは踏み入ってはいけない感じがしました。

歩いていると洞窟の前にいた恰幅のいい婦人に、急に腕をグイと掴まれ「手相をみてやる!」と中へ引き込まれそうになりました。



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# by Atelier-Onuki | 2023-08-24 00:12 | コラム | Trackback | Comments(0)

プロヴァンス鉄道 Chemin de fer de Provence (7月のコラムから)

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かつてイヴェントの仕事が毎年カンヌであって、よく行っていました。

ある年、仕事が予定より早く終わったので、噂に聞いていたプロヴァンス鉄道に乗ってみることにしました。

ニースへと戻り、街中のちょっと山手にある駅に向かいました。


一般的にニースの幹線鉄道はSNCF(フランス国有鉄道)で、こちらは風光明媚な海沿いを走りますが、

こちらは山岳地帯の渓谷に沿って走るフランスでは珍しい私鉄です。

ニースから終点のディーニュ・レ・バンまで約150kmほどの路線です。

仕事から解放され、ウキウキした気分で乗り込みました。

列車は一般の線路より狭いそうで、その分ちょっと小振り、何だか遊園地にある電車の姉さんと言ったところです。


暫く市街地を走った列車は、程なく川を渡るとすっかり長閑な田園風景となりました。

右手には山々が連なり出し、左手には渓流が流れ、その間を蛇行して走ります。

時折鳴らされる警笛もちょっと鄙びていて、益々遊園地気分です。

そうだ、ここで乗車前に買っておいた少々のお惣菜とロゼの小瓶を取り出し、チビチビと一人宴会を始めました。

しかしこの列車のよく揺れること・・・左右だけでなく上下にも揺れ、ワインを注ぐのもオットット、オットットと大変です。

それでもこの辺のお惣菜やロゼの美味いこと、上機嫌で楽しんでいました。


1時間半ほど揺られ、取り合えずの目的地アノー(Anott)に到着したころには、すっかり出来上がっていました。

鄙びた無人駅をおり、農家が点在する田園地帯を街中へとダラダラ歩いて行きました。

小さな石橋を渡り町中へ入りましたが、古い家並みで続き趣があります。

街といっても小さな集落で直ぐに山手の旧市街地へと入りました。

ここの家並みは壁はもとより、屋根も道も全てがベージュとグレーの石で作られて相当の古さを感じさせます。

洗濯場の大きな水槽も石を掘ったものでした。

更に上の方へと歩を進めると山々には霧が立ち込め、鉄道の石橋や山上の祠が霞んでみえました。


さて、帰りはエクス・アン・プロヴァンスへ回ろうと終点のディーニュからバスでSNCFが走っているシャトー・サン・トーバンの駅を目指しました。

名前にシャトーが付いているので期待しながら到着した駅はポツンと建つ石造りの寂しい駅で、

ガランとしたホームの向こうには白と赤でペイントされた大きな煙突にコンビナートの様相でした。



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# by Atelier-Onuki | 2023-07-26 00:30 | コラム | Trackback | Comments(0)